『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第32章  白と黒 −2−

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 その瞬間の事は、覚えていない。
 ただ、真っ白になった。
 夢で見たような白い世界。
 だが違うのは、感覚がある事。
 吹き飛ばされた。そして叩きつけられる。
「姫様ッ!!」
 そしてここには、まだ、仲間がいる。
「オヴェリアッ、無事かッ!!?」
 ええ、無事よ。答えられぬ代わりに立ち上がる。
「ディア・サンクトゥス!!」
 デュランが膝をついた状態で術を解き放つ。赤い閃光が夜の空に向けて飛び出す。
 だが弱い。今一歩その距離は届かぬ、炎は闇に食われて消えてしまう。
 代わりに天を覆う黒い影から今一度光が解き放たれた。
 今度はオヴェリアたちではなく、明後日目がけて。
 放たれたその方向に、デュランがハッと顔を上げる。
「城が」
 ゴォという地面が揺らぐような音が響いた。
 まさか、とオヴェリアは思って走り出した。カーキッドとデュランも続く。
 トンネルを抜けるとすぐに、見晴らしのいい場所に出る。城は見えないが、その方角から灰色の煙が立ち上っていた。
 城にはマルコがいるのだ。
 そして領主ブルーム・ロンバルトも今はそこにいるはず。
 天を覆う黒い影が、3人を追い越し城の方へと向かっていく。
「カーキッド、デュラン様ッ!!」
 皆まで言わずともわかる、3人は走り出した。
「何だありゃ!!」
 数々の異形を見ていた。黒く広がるその輪郭は、翼に見える。
 まさかと、脳裏に浮かぶのはただ1つ。
 竜か、と。
 ――視界が開けた。城が見える。赤い炎を上げている。
「避難誘導と、ロンバルト公の安否をッ!!」
「オヴェリア様はマルコをッ!! カーキッド、お守りしろッ」
「言われるまでもねぇッ!!!」
 城門を駆け抜け、デュランと2人は道を違える。
「救護所はどこだッ!!」
 爆音がほとばしる。また砲撃を浴びたか。
 走る廊下の隙間から空が見えた。そしてその空に、確かに生き物の輪郭を見た。
「カーキッド、」
 放置はできません。オヴェリアは白薔薇の剣を抜いたが。
「馬鹿野郎ッ!! 走れッ!!」
 カーキッドが一喝する。
 空を相手に、どうやって戦うつもりだ?
 ――オヴェリアは唇を噛み、再び走り出した。
 間もなく、救護所になっている西の塔へ2人はたどり着いた。
 だがすでに西の塔は半壊。
「いかん!!」
 さらに踏み込もうとするオヴェリアをカーキッドは引っ張った。寸前で、崩れた壁面が雪崩のように地面に叩きつけられる。
「マルコがッ」
 砂煙の中にオヴェリアが悲痛な叫びを上げた時、
「姫様」
 塔の脇から数人、足を引きずるようにして現れた。
 白衣に身を包んだ医師と思しき者と、患者と。その中に確かにマルコが歩いてくる。
「姫様……!! ご無事で」
 痛々しいほどに随所を包帯で巻かれ、白い布を当てられたその姿にオヴェリアはしばし言葉を失う。駆けてくるその足も、明らかに片方かばっている。
 オヴェリアは強く強くマルコを抱き留めた。
「良かった……」
 温もりに、安堵する。頭を抱き撫でる。
「全員無事か!? ここはヤバイ。裏から城外へ早くッ!!」
「ブ、ブルーム様はご無事ですか!?」
 医師が詰め寄るように問うてくるが、オヴェリアは首を横に振るより他にできない。
「とにかく早く! マルコも逃げて!!」
「姫様は!? どうされるんですか!?」
 問われオヴェリアは一瞬黙ったが。
 カーキッドを振り返る。2人の目が重なる。
「ロンバルト公の安否を確認せねば」
 マルコはじっと姫を見た。
「逃げないのですね?」
 オヴェリアは何も返事をしなかった。代わりにマルコが頷いた。
「僕も行きます」
「あなたは怪我を負っている」
「姫様だって」
「……」
「走れます。もし遅れるようなら置いて行ってください」
 だから。
「急ぎましょう」
 少年は腕に巻かれていた包帯をむしり取った。
「走るのには、少し邪魔です」
 ――少年はいつ、男に変わるのか?
「ついてこれなくなったら、勝手に逃げろよ」
 カーキッドがマルコの肩を軽く叩いた。
「いいな?」
「はい」
 ――共に旅をすると決めた以上は。
 全員で戦う。全員で走ろう。
 来た道を戻る。回廊を走り抜ける。
 その過程で、困惑する兵士を何人も見つけた。オヴェリアは外を指し、兵士たちを城外へ誘導した。
「姫様、水を使いますか?」
 マルコが尋ねる。その顔には疲労が浮かんでいるが、目だけはしっかりと輝いていた。
 オヴェリアは迷った。
 その瞬間にも城が揺れる。
「とにかく外へ」
 ――討たねばならぬ。
 取り逃がせば、あれがそのままハーランドの城へ向かったら。
 崩壊していく城の中、オヴェリアは喉を枯らすように走り。
「弓を持つ物は、編隊を」
 兵士に指示を出す。
「どうする気だ、オヴェリア」
「……」
 オヴェリアは足を止めた。
「カーキッド、」
 そして男を振り返る。
「マルコ」
 少年を見る。
「……」
「……」
 姫の眼光。その意志。そこに何が宿っているか。
 言葉にせずとも、見える。
「チ、」
「ここで討たねばなりません」
「……言ったはずだ。敵は空だ」
「ええ」
 だから。
「マルコ……お願いがあるの」
 空をも斬る。
 それが国を脅かすというのならば。
 迷ってられぬ。
「ロンバルト公は、デュラン様に任せます」
 マルコはゴクリと唾を飲み込んだ。
「あれは、我らで倒します」
 ――腹をくくる。




 上空に黒い影。
 光を放つ。城を完全に砕くまで。
 咆哮と咆火が重なる。翼が一層鳴き立てるように羽ばたく。
 ――弓隊、側面に配置。
 数は少ない。まだ城外に出た兵士たちは戻っていない。
 そしてこの混乱の中、どれだけが犠牲になったのか。領主を守るために奔走している者も多いだろう。
 だから、多くは望まぬ。
(充分)
 ――真下は死角になっている。
 闇の中、だが身を隠しながらマルコは走った。
 白墨では追いつかない。もう何でもいい、地面に曲線が描ければ。
 呪文を刻む事ができれば。
 ――中庭をグルリと囲むように円。
 そこに刻み込んでいく、文字、図形、そして言葉。
「我ここに魂を刻む」
 陣形を描く。奏でるまでに時間がいる。
 1つずつ整っていく作戦。
「本気でやる気か」
 カーキッドはオヴェリアを見た。
「ええ」
 オヴェリアはもう空だけを見ている。
「付き合ってくれるでしょう?」
「チ。面倒臭ぇ」
 だが、カーキッドの顔は笑っていた。
「……面白そうだ」
「どこを狙います?」
「とりあえず落とす。そこ一点に賭けるぞ」
 オヴェリアは彼を見た。
 カーキッドが眉を上げる。
 改め重なる2つの目は。
 互いを信じる、その相手のみに向ける眼差し。
「完成しました」
 マルコが戻る。
 2人の剣士を前に、マルコも出かかった言葉を飲み込んだ。
「合図と共に」
「……姫様」
「ん?」
「ご武運を」
「……マルコ。よろしくお願いします」
 頷き合う。
 さぁ、始めよう。




「開門」
 陣を前に、マルコは腕を解き放つ。
 巨大な陣形である。こんな大きな曲線を描くのは彼も初めての事だ。
 術が成るのか。作戦通りに解き放つ事ができるのか。
(成す)
 絶対にと、心で叫ぶ。

  万物の神ヘラ
  太陽の神ラヴォス、闇無の神オーディーヌ
  我ここに魂を刻む、我ここにこの名を捧ぐ
  わが真実の名はマルコ・アールグレイ

「放て――ッッ!!!」
 カーキッドが叫ぶ。
 一斉に空に向かって弓が解き放たれる。

  我、悠久の時、先人オルカ・トルカ・マサライアの血を受け継げし者なり
  大地との契約、御剣の証
  糾うは十字架の梢
  切り刻むは天宝の縁

 弓では歯が立たぬ。
 弾き返され、黒い影は大きく鳴いた。
 オヴェリアは腰を落とす。

  我ここに魂を刻む、我ここにこの名を捧ぐ
  須らざりし一輪の結得にて
  抗うは日責じっせきの抗
  今我に答えよ、願わくば
  結晶の石、今ここに解かれたし

 ――行くわよ。
 オヴェリアとカーキッド、互いを最後にもう一度確認して。
 空に視線を定めた。
 そしてマルコが高らかに、最後の言葉を叫んぶと同時に。


「立て、水神の舞い」


 中庭に描かれた陣、その中心から水が空に向かって立ち上がる。
 水は陣の中にあったすべての物を持ち上げて空へ。
 ――陣形の中央にいた、オヴェリアとカーキッド。2人が乗っていた板片もろとも。
 空へ高く。
「もっと高く」
 もっともっと高く。
「飛べ」
 マルコが唱える。
 オヴェリアとカーキッドは板の上で腰を落とし、剣を構える。
 狙うは黒い影。
 いいや、それが影でなくなっていく。
 見えてくる、その姿。
 生き物だ。
(翼をもいで)
 地面に叩き落とせ。
「行け」
 誰が唱えた言葉か。
 カーキッドとオヴェリアが、両者同時に板を蹴って跳んだ。
 化物目がけて。
 黒い剣と白い剣。
(狙え)
 縦一閃。
 横一線。
 交差する、2つの剣と切っ先が。
 翼を捉え、両断する。
 落ちて行く体、視線だけその異形に残して。
 その身を受け止めるように、再び水が湧き出た。今度は先ほどより優しく。
「姫様ッ」
 マルコが駆け寄る。
「落ちるわ」
 すぐに起き上がり、空を見上げる。片翼を失ったそれは、一瞬もがくがすぐに斜めに落ちてくる。
 衝撃が地面に走る。
 そして地に着いたならば、後は。
「カーキッドッ!!」
 男の動きは早かった。落ちた瞬間、カーキッドが剣を突き立てた。
 金切り声が、脳天を貫く。
 だが負けてはいられぬ。オヴェリアもまた走り。
 剣を振りかぶろうとしたその瞬間、その獣がオヴェリアを振り返った。
 見た。目が合った。
 その瞬間、オヴェリアの心に一瞬躊躇が浮かんだが。
 ――斬る。
 その目に、剣を突き立てた。
 すると今度はもう、それは悲鳴を上げる事はなかった。
 痙攣するように全身が震え。
 やがて、それも止み沈黙が落ちた。
 ――異形に、目は、1つしかなかった。
 いや、正確には目のような物。その塊には顔と呼べるような物がなかった。
 巨大な塊に翼だけ生えて。
 ただ全身に無数の、牙の生えた口があった。
 見るからに異形。
 それはまるで、悪魔の所業のようだった。

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