『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第33章 選択 −1−
朝日が昇っていく。
光は、少し目に痛い。
だがオヴェリアは目を閉じず、その光景を見つめた。
――朝が来た。
だが彼は、その朝を迎える事ができなかった。
――エンドリア領主、ブルーム・ロンバルト。
「申し訳ございません」
デュランが再び言った。もう何度も何度も聞いた。そして彼もまた憔悴している。
あの混乱の中、ブルームは何者かに斬られた。デュランが彼を見つけた時、すべてが終わっていた。
倒れたブルームと、その遺骸を抱く側近ジラルド。
「私が少し席を離れた隙に……」
無念、無念……これほどの事はない。
斬った相手はわかっている。
「……」
その後も行方を捜索した。だが結局、ズファイは見つからなかった。
だが確かに彼はいたのだ。部隊を率いてこの地に押入り、そして結果エンドリアは領主を失った。
それはすなわち、エンドリアが陥落したという事。
敵を薙ぎ払った。港の爆発も惨状になる前に止めた、騎士団長が主君を狙った瞬間も防いだ。磔にされたオヴェリアを救い、空を飛ぶ化物をも始末した。
だが、領主が討たれた。
「これでエンドリアは終わりです」
ブルームは棺に入れられた。そしてこの国のあちこちにまだ、それすら適わず打ち捨てられたままの亡骸が散乱している。
「終わってしまった」
棺の傍らに立ち、ジラルドは呟いた。その背は随分と弱々しく見えた。
城の一角にある礼拝堂。ここだけは、まるで何かに守られていたかのように無傷だった。
それ以外の城は、西塔の崩壊を筆頭に半壊してしまっている。
……ジラルドはしばらく放心の様で主を見つめていたが。やがて、力ない足取りで歩き出した。
3人の横をすり抜け、礼拝堂を出て行く。オヴェリアはハッとし、その背中を追いかけた。
「ジラルド!!」
礼拝堂を出た所、少し開けたその場所で。ジラルドはおもむろに剣を抜き、自分の首元へと突き立てようとした。
それを寸前でカーキッドが体当たりで止める。転がった剣をデュランが急ぎ拾い上げる。
「止めるな」
死なせてくれ。
……熟練の老兵が、背を丸めて泣いている。かつてハーランドを支える猛者の中に名を連ねていた男が。
「ジラルド様」
オヴェリアは膝を落とし、その腕を握った。
「死んではなりません」
「……されど」
「あなたが死んだら、エンドリアはどうなりますか」
この現状を、誰が立て直すのか。
生き残った兵士は、何を頼りにすればいいのか? どうやってこの先を、築き直していけばいいのか?
瓦解は早い。一瞬の事。
だが立て直すのは容易ではない。
「なぜ、殿下が……ッ」
ブルーム・ロンバルト。その名もこの国では剣豪として馳せている。いかに不意を突かれたといっても、倒すには容易ではないはず。
だが彼は正面から一刀。心臓を一突きにされていた。
誰が成したか、並の腕前ではない。
そしてこの、流れるような仕事。
「エンドリアは終わってはおりません」
そうでしょう? とオヴェリアは強く男の腕を握る。
「あなたがいる。そして兵士が残っている」
「しかしッ……」
「ブルーム様の誇りは潰えておらぬはず」
「……」
「あなたがいれば、あの方の魂は、残る」
「……」
「あなたがブルーム・ロンバルトに生涯を誓ったのは知っている。父の戦友ジラルド・ガルグーク。だがお願い、逝かないで」
差し迫る現状がある。
「国を守るために、どうか」
国のために生きてと――。
オヴェリアは何度も言った。
ジラルドは泣いた。
オヴェリアも泣いた。
……朝日の光が雲に陰るまで、泣いた。
◇
後日、領主ブルーム・ロンバルトはしめやかにロンバルト家の墓地に埋葬された。
命を落とした兵士たちは合同で火葬。すべては残った兵士たちとオヴェリアたちのみで静かに執り行われた。
そして、城を襲った異形も燃やされたのちに郊外の地中深くに埋められる事となる。
日が昇り露わになったその様相には、大の男たちが震えあがり、中には嘔吐する者もいた。
黒い肉の塊。
頭と呼べるような物はないが、巨大な硝子玉のような目があった。そこはオヴェリアが突き、黒い血がこびりついていた。
そして恐ろしきはその全身に張り付いた口。
デュランとカーキッドも言葉を失い、その異形を見下ろした。
だが、2人はオヴェリアから話を聞いていた。彼女が川で化物に船ごと飲み込まれた事。そしてその中に町の人々は生きていた事。腹の中に広大な大地があった事。
彼女は実際その腹を割り、這い出している。そして2人はオヴェリアが斬った残骸も見ている。
「腹を開けよう」
デュランの言葉に、兵士たちは凍り付いた。
誰もが恐れてその異形に近づこうとはしなかった。
だから、斬ったのはカーキッドである。
彼は無言で異形の腹を裂いた。デュランも無論手を貸した。
結局その中からは何も見つけられなかった。だがその生態は内部も異質であった。
内臓は、普通の生態ではありえない配置を取っていた。臓器は押し込まれたようにぐちゃぐちゃ。しかもつながらぬ場所に腸も胃袋も点在。骨も螺旋を描き、骨盤も幾つかあった。腕と足の骨が1つになる場所や、最初から砕けていたような部位もあった。
そしてもう一つ特記すべきが、心臓と思しき場所。そこに埋め込まれた石。
石灰のようになった石が1つ。引き出すと、すぐに崩れ砂となった。
その砂を手のひらに乗せ、デュランはじっと見つめた。
「これは……」
異形の化物。
この旅で、幾度も目にしてきた。
「それは……蟲、なのですか?」
兵士の1人が恐る恐る2人に尋ねた。デュランは彼を見、静かに首を横に振った。
「違います」
それどころではない。
いいや、この場所にいる誰もが気づいている。この化物は、尋常ならざる生命体。
自然界に、こんなもの存在しえない。誰かが故意に生み出した物。
だとすれば、誰が?
「……鴉は入ってなかったな」
現場を封鎖し、カーキッドとデュランは人通りのない道を城に向けて戻る。
「あの時のあの竜は、あいつが異界から引っ張り出した物……だったか?」
暗黒の魔術によって。
デュランは表情を固くした。
「奴はバジリスタと関わりがある」
「ならばやはりあの化物はあいつの仕業か」
「……恐らくは」
「はっきりと、お前の見立てを言えよ」
カーキッドの声は立ち止まり、懐から煙草を取り出した。
その様を見、デュランはしばらく沈黙したが。
「多種の臓器が見て取れた」
「……」
「1つ2つじゃない……お前も見たな。……あれは、生命をかけ合わせて作られている」
「……」
「どうだろうな、一体何が掛け合わされているかはわからんが……動物、……そして人」
「そういう魔術があるのか? 暗黒魔術っていうのは」
「ある」
生命の融合。
体、命、すべてを混ぜ合わせて。
別種の物を生み出す。
生命を超える生命。
まるで神の所業のような、だが真実は、
「悪魔の所業だ」
「……」
2人は思った。やはりここで混乱は止まらない。
この炎は、まだ広がる。ここ一点消しただけでは鎮火はせぬ。
国を巻き込む大事になる。
「クソだ」
カーキッドは笑いながら言った。だがその目には怒りが灯っていた。
「まったくだ」
この先を思い、2人は、しばし沈黙の空を見上げた。
◇
「文を書きます」
だが、心を静めねば書けぬ。
そして静めても、書き進めれば筆跡も内容も荒れていく。
落ち着いてしたためなければならぬ。こんな時、こんな内容だからこそ。
エンドリアの顛末、エンドリア領民の保護、ブルーム・ロンバルトの死。
そして何より書かなければならないのは警告。
(父上)
――カーキッドとデュランに現場を任せ、オヴェリアは取り急ぎ筆を走らせる。
(国が危ない)
バジリスタが襲ってくる。エンドリアが落ちた。このままでは、このままでは――。
そしてカーキッドとデュランの報告を聞き、一層オヴェリアの心は荒れた。異形、暗黒魔術の存在。
だからこそ、父の言葉が蘇った。いやそれは、剣の師であるグレンであったかもしれない。
常ならざる時こそ心静かに。落ち着き、岩であらねばならぬと。それが国の行く末を担う者に課された使命なのだと。
マルコが食事を持ってやってくる。
オヴェリアにはジラルドが特別に部屋を用意してくれた。このような待遇はもったいないと言い張ったが、ジラルドに強く勧められ、結局オヴェリアたち4人でこの部屋を使わせてもらう事にした。
今この状況、寝食も満足にできぬ兵士もいるのに。領地を追われた民の安否もわからぬのに。
申し訳ないという気持ちがオヴェリアにはあった……だがそれを飲み込み、筆を進める。
「この文を、至急父に」
そして完成したのを見て、カーキッドとデュランは顔を合わせた。
「姫様、よろしいでしょうか?」
「何?」
改まった様子のデュランに、オヴェリアも正面から彼を見る。
「どうかしましたか?」
「お話したき事が。――我らのこれからの動向です」
マルコが大きな本を抱え、不安そうにオヴェリアとデュランを交互に見た。カーキッドは寝台に胡坐を掻き、パンをかじりながらもその目はオヴェリアを捉えていた。
「姫様。これからどういたしますか?」
この旅の行く方向である。
「はっきり申します。私は、ハーランドに戻るべきかと存じます」
オヴェリアは無言でデュランの言葉を受けた。デュランは続ける。
「これまでも、この旅の危険性はわかっておったつもりでしたが……事態が変わりました。国を揺るがすほどの何か大きな事が起ころうとしている」
「……」
「ここはハーランドに戻るべきかと。今ここで姫が王都を離れ続けるのは危険かと存じます」
デュランは探るように、だが断固たる口調で言う。
それはひとえに、オヴェリアの身を案じているからである。
「竜どころじゃないわな」
カーキッドも口を挟む。そして彼も心はデュランと同じ。
――この旅は、危険だ。
これまでもそれは同じだった。オヴェリアの命を狙う者の存在もあった。異形とも対峙した、謀反した公卿とも戦い、暗黒魔術とも向かい合ってきた。
だが、それは断片だった。
今まさにすべてが繋がった。色々な事が、隣国バジリスタに繋がって行く。そしてその国の意志も明確になった。
国が揺らぐ事態が待ち受けている。
このままでは、オヴェリアはその矢面に立つ事になる。
「ヴァロック王の安否も気がかりです。一度戻り、現状を直に姫様が報告されるのが一番かと思います」
黒竜の討伐、それだけでも大事であったが。もう、事態はそこにとどまらない。そして向かう先にも、もはや単純に竜のみが待ち受けているのではない。
ギル・ティモはゴルディアで待つと言った。そして彼はその直前、魔術で竜をも呼び寄せた。
本当はその時点で判断を下さなければならなかったのだ。
姫に危険が及ぶ。そもそも竜自体が、すでに罠だったのかもしれないのだ。
「城に戻りましょう、姫。幸い船が何隻か生き残っております。それで近海まで行けば、さほど時間もかかりません」
ゴルディアを目指す理由が、それぞれにはあった。だが状況が変わった。そこまでわかっていて、飛び込むわけにはいかない。姫をそんな所に立たせてはならない。デュランは判断し、カーキッドも同意した。
ゴルディアに行ってはいけない。そして城に戻り、判断しなければならない。これからハーランドが国としてどう動くのか。
姫を安全な場所に。
「……姫様」
マルコが呟いた。オヴェリアは黙ってデュランの言葉を聞いていたが。
やがて、ゆっくりと口を開いた。