『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第36章 戦士の墓場 −2−
傭兵の宿舎は大部屋だった。部屋には二段になった寝台とハンモックが無秩序に並び、床もまた寝床の一つであった。
カーキッドは部屋の隅の床を己の場所としていた。眠れるならばどこでも構わなかった。
翌朝早く、そんな彼の元へ来客があった。分隊長である。
起きろという言葉の代わりに、横たわっていた彼の腹を蹴り飛ばした。
すぐにカーキッドは蹴った主を睨み返した。深く眠ってはいなかったし、近寄ってくる気配は感じていた。
「顔貸せ」
分隊長と直接やり取りをした事はこれまでなかった。何らかの連絡を聞く以外に、言葉を交わす理由もなかった。
無視してしまいたかったが、カーキッドの脳裏には昨日の事が過った。それ以外に彼が来た理由は思い当たらない。
「俺は何もしちゃいない」
先んじて言っておく。それは昨晩も言った言葉だった。
促されるままに部屋を出て、宿舎も出る。見通しのいい場所まで来ると、分隊長は徐ろにきり出した。
「ミズキの処分は不問になった」
「ミズキ?」
問い返すと、分隊長は僅かに驚いた顔をした。
「チサ・ミズキだ」
……少し間を置きピンとくる。女傭兵の事である。
カーキッドは女傭兵の事も、他の同じ隊の者の事も、名前を憶えていなかった。
「昨日のうちに上に報告した。チサは正当防衛、殺された者はすでに除隊の扱いとなった」
「そうかい」
そして、カーキッドは返事はしたが特に気に留めなかった。どうでもいい話だ。
「お前もその心づもりでいてくれ」
話はそれだけと見て、カーキッドは無言でその場に背を向ける。
そんな彼がニヤリと笑うような事が起こった。
「待て、カーキッド・J・ソウル」
背後、にわかに膨らむ剣の気配。
無視すればどうなる? 斬りこんでくるだろうか?
――昨晩の事が頭を過る。この男は、何ら気配を悟らせぬままにカーキッドの後ろに立った。
「何だ?」
やるか? そう思いながら振り返ったが。
その途端、分隊長の気配はすっと消えた。
「気を付けてやってくれ」
「?」
「俺も気を付ける」
「……何の話だ」
「チサだ」
あ? とその顔が歪んだ。
「あれは、女だ」
「それがどうした」
カーキッドから、すべての興味が失せる。
「そんな事、生まれた時からわかってるだろうが」
わかってて、なおここに身を置き。
戦う道を選んでいる。
何故に守る理由がある?
「自分で自分が守れないなら、こんな所、さっさと去るべきだ」
そういう場所じゃないんだ、ここは。
戦場で。
戦う事が大前提。
そこに、「守る」、「守られる」?
そんな陳腐な物はいらない。
しかも我々はここに、強制されているわけではない。自分の意志で集ったはずだ。
「戦場で身を挺せとは言わん。ただ、日々の中でいざこざに巻き込まれないように、」
「同じ事だ」
……もう問答は不要。
一瞬認めかけたこの分隊長の存在を、カーキッドは忘れる事とした。
いいやそもそも、何て名前だったか。
覚えるまでもないと思った。
気分の悪い朝を迎え、その足でカーキッドは今朝の食料配給を受けるために配給所へ向かった。
毎日2回、そこでは決まった時間に配給の食料が配られる。
とは言っても大層な物が出るわけではない。一時の空腹を満たすためだけの質だ。
その朝は乾いたパンと肉、茹でた卵がついた。昨日と同じ。受け取ってその場から離れる。なるべく人のいない場所まで行く。
見晴らしがいいわけではないが静かな場所まで来ると、カーキッドは胡坐を掻いた。そして一口かじってみる。
辛いだけ。こんな物、家畜の方が上等な物を食べているだろうと思った。
それでも、腹が減っていたので飲み下す。
水が飲みたいなと思った矢先だった。背後に人の気配を感じた。
振り返ると女がいた。チサである。彼女は、突然振り返ったカーキッドに目を丸くした。
「1人? ここで食べてもいい?」
「……」
返事はせず、持ってきた水瓶をあおる。
「これ。ありがと」
チサが差し出したのは、カーキッドの上着であった。一瞬自分の物とわからないほどに、きれいに畳まれていた。
無言で受け取る。そして立ち上がった。
「もう行くの?」
――この地方の空は、碧 に近い色をしている。
場所により、国により、季節により、晴天さえも色を変える。
「カーキッド、」
チサも弾けたように立ち上がり、その勢いのままカーキッドを追い越した。
その際、彼目がけてそれを投げつけた。反射的にカーキッドは受け止める。
「お礼」
果物のようだった。形はりんごに似ているが、それより少し柔らかい。
チサはカーキッドが受け取ったのを見るとニッと歯を見せ、そのまま走り去っていった。
「……」
何だあいつは、と思った。
「……別に、大丈夫じゃねぇか」
呟きながら、シャクリとその果物をほおばる。
美味しかった。
――自分で自分が守れる事。それが最低限なのだ。
この世界で生きていくという事は。
戦う道を選んだという事は。
緊急の招集がかかったのは、その日の昼過ぎだった。
「国境でマリエル教信者を中心とした部族民が蜂起した」
傭兵隊一同こぞって集められる。規律のない彼らからはすぐに、歓声とも悲鳴ともつかない声が上がった。
「まずエッセルト兵団が出陣する。傭兵隊は分隊ごとに3手に分ける。1〜3分隊は第2兵団指揮下にて北進、ラヴァ集落へ南側から向かう。4〜6分隊は第4兵団指揮下にて西側から。7〜12分隊は待機」
傭兵隊の総取締は、エッセルト騎士団の長を務めるのコーエンという男であった。
歓声と怒号はさらに大きく膨れ上がる。
第5分隊に所属していたカーキッドは、喜色満面だ。ようやく戦いに赴ける。
「諸君らの活躍を期待している」
期待されているのは1人でも多くの敵を葬る事。それ以上も以下もない。実にシンプルだ。
そしてそれをこそ望む。
すぐにカーキッドたちは場所を移動、兵団と合流して詳細な作戦の流れを聞く。
「ラヴァ集落の部族民はせいぜい50〜80」
まず正面から第2兵団と傭兵隊で鎮圧を図る。
「第4兵団と、4〜6分隊は側面にて指示があるまで待機」
待機か……とカーキッドは一瞬落胆したが。
すぐに気を取り直す。
待機など、あり得まい。
そして同じ事を、彼の分隊長も言った。
「背後にはレセルハイム国が絡んでいるのでは?」
国が安定せぬエッセルトへの救済・援助を申し出た隣国。
だがその実は、混乱を煽って、一気にエッセルトを内戦へと引きずり込む。
彼らの目的は明白。部族紛争など様々な内部の混乱により兵力をそぎ落とし、そこを一気に叩く。
疲弊した瞬間を打てば、レセルハイムは自軍の兵力を削ぐ事なくエッセルトの地を落とす事ができる。
だとしたらば、この部族民の蜂起は口火。
消えてしまってはつまらない。背後よりレセルハイムの力が及んでいるであろう。
ただの蜂起には終わらない。
それを見越していながらも、万が一本当に一つの集落の反乱だけだった場合。あまりにも兵を多数出しては国際的にも冷ややかな目で見られる。それは、後々の他国とのやり取りにも影響が出てくる。
国際関係は実に繊細なのだ。直接人と人がやり取りをする以上に。
――何にせよ、カーキッドにはそんな問題はどこ吹く風だ。
すぐさま準備、エッセルトを出立する。
無論チサも一緒だった。
チサの昨夜の一件は他の傭兵にも知れていた。同じ分隊だけではない、他の分隊の者たちにもである。
少し距離を置かれている。
そしてチサもまた、笑顔で振るまってはいるがその目には今までと違い警戒の色が出ている。
それを確認し、カーキッドはそのまま警戒してろ、と思った。
分隊長も時折チサの様子をそれとなく観察していた。そしてカーキッドの事も。
目が合いそうになると、カーキッドが避けた。面倒だった。
(全部、どうでもいい事だ)
今から俺たちが向かう所は。
――そして実際に。
そこから始まる戦線は、生易しい物とはならなかった。
集落へは夜半に到着。
カーキッドたちは集落の西側の森で待機。
予定の通りならば、すでに直進の先行部隊が斬り込んでいる。
一体どうなっているのか、その場所からは何も知れない。突入後に知らせが飛んでくる予定であったが。
傭兵隊内からも焦れ焦れとした空気が膨れ上がって行く。
カーキッドもたまらず煙草に火を点けた。
「馬鹿。煙が上がる」
チサがカーキッドの煙草を奪い取ってもみ消した。
「馬鹿はお前だ」
煙草の煙がどうした。これだけ人が集まっているのに。そして煙草の煙は空までは形を保てない。
「焚火じゃねぇぞ」
「ああ、そうか」
高揚が、少しカーキッドの口先を緩める。
「……遅いな」
2人の会話に乗るように、分隊長もポツリと言った。
「分隊長、兵団に様子聞いてきてよ」
「伝令があれば、こちらにも連絡が来る」
部隊は突入したのか。前線はどうなっているのか。
……やがて、張りつめていた物が溶け、周囲の者たちの緊張が緩みかけた頃。
カーキッドはその気配に気づいた。
彼の様子にチサも気づく。「何?」と小声で囁く。
カーキッドはじっと、茂みの向こうを睨む。
「誰か来るぞ」
分隊長もすでに気づいている。周囲に控えた隊の者たちに合図をする。
潜んでいたそこから立ち上がり。
全員、抜刀の姿勢を取る。
人が姿を現したのは唐突。幾人かが咄嗟に斬りかかろうとした。
だが、分隊長が「待て」と制した。
「伝令か」
飛び出してきたのは3人。エッセルトの軍服を着ている。伝令が使う様相だ。
――だが。
「いかん」
カーキッドが剣を抜く。
伝令の足取りはヨロヨロと。
前のめりに倒れるとすぐに、その背にぎっしりと突き立った矢が姿を現す。
「敵襲だ!!」
エッセルトの伝令は、囮。
そこに気を取られた瞬間に。反対側の茂みの中から。
――無数の兵が、飛び出してきた。
「敵襲、敵襲――!!!!」
分隊長が叫ぶ。
その声をかき消すように悲鳴が湧き起こる。
待機の命令を受けていた部隊の側面、ど真ん中から。
カーキッドが振り仰いだ瞬間、もう頭上には剣を持って跳びかかってくる敵の姿があった。
自分でも抜いた瞬間の事はわからぬ。もう反射的に。
腕は剣を引き抜いて、振り下ろされた剣を受け止めて。
周りの連中が邪魔で、混乱が狂気となり、歯車がバラバラに動き始める。
この無茶苦茶な状況。
その中にある真実はただ1つ。襲い掛かってくる者すべてを斬る。
カーキッドの瞳が獣の光を灯す。
「立て直せッ!!」
いいやもう、個人戦だ。
「退却ッ!!!」
「進め、迎え討てッ!!」
――やけに明るい。森に火が移ったか。
それでわかる。敵の身なりは村人のようだが。
違う。ボロをまとうその目はただの人のそれではない。
斬る。
2、3人まとめて斬りかかってくる。横一線に胴体目がけて剣を振る。
1人後ろへ逃れる。そこへ向け、剣を突き刺したのは分隊長だ。
邪魔すんなと思ったが、まだまだ獲物はいる。
振り返ったその視線の先で、さきほど傍で暇を持て余してブツブツと文句を垂れていた傭兵が斬り倒された。
何か思うよりも先に腕が反応する。1人倒した余韻に浸る敵を、今度はカーキッドが叩き斬る。
返す刀で、後ろからの剣をかわし、反動で腕を落とす。
血しぶきから顔を背け、次の敵へ。
一瞬にして、森は血のと炎の海に。
そして平穏とは反対の世界へ。
次にカーキッドが狙おうとしていた獲物を、間髪、別の剣が倒す。
チサだった。
一瞬目が合う、だがチサは次の敵目がけて走り出した。
カーキッドは口の端を釣り上げた。
――突然の奇襲。それに部隊は完全に混乱した。
奮戦したのは一部。
特に被害がひどかったのは後ろを突かれたエッセルト兵団だった。
傭兵隊の踏ん張りにより数刻後、どうにか敵を退ける事はできた。
だが、混乱の中、逃げ出した傭兵も多くいた。
そして、残った部隊は急ぎラヴァの集落へ向かったが。
そこにあったのは炎。
……ラヴァ集落へ向かった兵団と傭兵隊は、半数ほど失い退却。やはりそこには罠があったのだ。
しかし味方がすでに退却した事を知らぬカーキッドたちは、
「進め!! 仲間の救出に向かう!!」
満身創痍の兵団の指揮の元、炎の壁の中へと跳び込む。
無論そこにあったのは。
……地獄である。
悲惨だった。
集落に入ってすぐに、最初に突入したエッセルト軍が総崩れに合った事は知れた。あまりにも明白に、大地には無数の遺骸が転がっていた。
だが指揮官は進めと言った。残りの部隊はこの奥に必ずいる、救出に向かうと。
満身創痍の状態。こちらも総崩れに近い中で。
……結末は、目に見えていた。
2度目の敵軍衝突。
傭兵たちは懸命に剣を振るった。
だがここは敵地である。
そして相手にしていたのが。
……鎧もまとわぬ一介の民。
女、子供も迷わず武器を手にし。
血眼で駆けてくる。
子供を前にうろたえる兵士を、後ろから潜んでいた男と老人総がかりでなぶり殺しにする。
無論それだけならば制圧も容易かろう。
だが違う。問題は。
――悲鳴が起こる。
絶望的な悲鳴。
カーキッドすらもハッとさせるほどの、強烈な。
――声。
「退却、退却――ッ!!!!!」
前に進めとがなり立てていた指揮官が血相変えて走ってきて。
その背後から、津波が襲い掛かってきた。
否、それは水にあらず。
炎の。
押し寄せる、強大な、壁。
業火。
「逃げろォォォオオオ!!!!!」
人を飲み込み。
町を飲み込み。
誰かが泣き叫び。
でも、笑い声も起こっている。
「カーキッドッ!!!」
呼ばれた声にハッとする。
炎の向こうに、子供が飲まれて行く。
思わず手を伸ばしかけた瞬間、頭上に、黒い影を見た。
「あ」
声を上げるよりも先に、腕を掴まれた。
逃げる事、戦う事、走る事、叫ぶ事。すべてを差し置いて。
カーキッドは空を見上げた。
こんな経験は初めてだった。
空にいた。
竜だった。
それが炎を。
……吐き散らしていたのだ。