『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第38章  娘よ

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 エンドリア。
 船着き場より火急の知らせ。
 すぐにエンドリア総指揮であるジラルド・ガルグークが駆けつける。
 夜であろうとも。
 炎が、陽のごとく光となるようにと、松明が煌々と照らされた。
 オヴェリアたちは、エンドリアの城へと連れられた。
 そして、エンドリアに入るとすぐに気配を感じた。
 つい先日立った時とは違う。
 船の中でも感じた異質。
 ……他の3人も怪我の中感じた。
 何かが起こっていると。
 そしてそれが、ただ事ではない事も。




 ジラルドの執務室。
 すべての者が退席した。
 残ったのはジラルドと、オヴェリアたち4人。
 怪我の深いデュランも、身を案じられたがここに残った。
 そして彼らは、ここを立ってから起こった事をすべて話した。
 竜と対峙した事。
 逃した事。
 沈痛。悲痛。
 ……ジラルドは頭を振った。
 ――だが本当に、オヴェリアが迎える局面はここから。
 現実を知るのはここから。
 ジラルドは口を開いた。
「無念でございます」
 と。
 竜を倒せなかった事かと、オヴェリアは一瞬思ったが。
「……姫様、このような時に……このような事を申し上げねばならないとは」
 言葉の運び。音の流れ。
「心静かに。どうぞ、……気を確かにお持ちください」
 ジラルドの目が光っている。
 涙か。
 そう思った時に本能が。
 オヴェリアを誘った。
 何が起きているのかと。
 何が起こったのかと。
 聞きたくないと。
 だが。
「ハーランド王……ヴァロック・ウィル・ハーランド様が」
 陛下が。
 いやだ。




「陛下が、お亡くなりになりました」




「え……」
 ヴァロック王が。
 死んだ。
「……病の、進行が、」
 デュランも驚き口走った。
 だがジラルドは首を振った。猛然と、悲痛なほどに。
「違う」
「ならば、」
 何故。
「……早馬により知らせが。6日前、城にて、陛下が討たれたと……」
 討たれた。
 父王が。
 ――オヴェリアは。
「陛下を斬ったのは、」
 ――聞きたくなかった。
 耳を塞ぎたかった。
 なのに。
 ギル・ティモにも聞けなかった、あの人の、ちゃんとした行方。
「アイザック・レン・カーネル」









 ――ハーランドに知らせが届いたのはその晩であった。
 エンドリアが攻め入られた。
 領民をすべて領内から逃し、ここですべて処理するという旨。
 だが相手は明記されてた。
 敵首謀者は隣国バジリスタの王子、ズファイ・オーランド・バジリスタ。
 書簡にはオヴェリアの仲間がエンドリアにいる事、そしてオヴェリアが敵側に捕らえられている事も書かれていた。
 必ず救うと。必ずここで絶つと添えられて。
「急ぎ援軍をッ!!」
 ヴァロックが命ずるまでもない、武大臣グレンはすぐに出兵の準備に入る。
「オヴェリア様は、必ずや」
 手紙が届き、場内は慌ただしくなった。
 ヴァロックが満足に動けなくなってから、軍議はヴァロックの寝室で行われる事が多くなった。グレンは報告の後にすぐに軍の手配に出て行った。
「エンドリアに攻め入るとは」
 文大臣コーリウス・ロンバルトは苦渋を満面に浮かべた。
「何たる度胸。あそこに控えるは、国の英傑ぞ?」
 地大臣クトゥも小さな笑みを浮かべる。
「ブルーム・ロンバルトとソルディック・ガルクーク。陛下の戦友でございますな」
「我が弟。身内の自慢はしたくはないが、あれの手腕は秀でておる。わしが国で領主になれなんだのは、あれの才に及ばなかったゆえだ」
 コーリウスが高らかに笑う。
「まったく、良い度胸」
「バジリスタの青二才。恐れを知らぬ」
 ――だが、感じている。
 その場にいた5人の大臣が、予感を。
 ブルーム・ロンバルトが、エンドリアを封鎖した。
 ここで止めると宣言した。外には及ばぬようにと。
 だがその策は、あまりにも刹那的。
 ギリギリの戦況。まるで、相討ちすら覚悟しているかのような。
「……あれは、きっと切り抜けましょう」
 コーリウスは不安を払うように確信を表情に浮かべた。
「姫様は必ずや。ロンバルトの名に懸けて」
「……」
 ヴァロックは深く瞬きをした。
「ああ」
 そして、コーリウスに笑みを向けた。
「お前が領主になれなんだのは、わしがお前を側近にと熱望したゆえだ」
「――」
「信じておる」
「……もったいないお言葉」
 コーリウスは深々と頭を下げた。
「皆に告ぐ。わしはこの体だ」
 ――オヴェリア、とその名を心の中で。
「わしに代わって、苦労をかけるが」
 何度も何度も呼んで。
「頼む」
 最後には、愛しきもう一つの名を呼ぶ。
 守ってくれと。
 お前と私の愛しい娘を。
 リルカ……と。




 大臣たちが去った後。
 ヴァロックもまた、部屋を出た。
 その夜は体が動いた。最近では稀な事であった。
 従者を3人だけつけて、杖を片手に歩く。
 杖を打つ音が、長い廊下に鳴り響いた。
 やがて渡りの展望にまで出ると、ヴァロックは足を止め空を見上げた。
 今宵の月は満月だ。白き光を放っている。
「良い風だ」
 緑が匂う。だが薔薇は匂ってこない。
(オヴェリア……)
 もう、エンドリアまで行ったか……。ヴァロックは思いを馳せる。
 随分遠くまで行ったな。海を越えればもう、ゴルディアではないか。
(後悔しているのか)
 娘をそんな遠くへやった事。
 ずっと傍に置いておきたかった。あの娘を、危険な目に遭わせたくはなかった。
 妻・リルカのように。
(リルカ……)
 運命に翻弄された姫君。オヴェリアと同じ、白薔薇の剣を握ってしまったがばかりに。
 許嫁から離され、自分の元hと嫁がされ。
 そして、王の身代わりとして戦場にも立った。
 女の身で、姫の身で、剣を握り、人を斬り。
(後悔、せぬか?)
 ――いいえ。
 いつか王は、王妃に聞いた。
 だが彼女は笑って答えた。
 いいえと。
『悲しまないでくださいませ』
 愛せぬと、愛してはならないと思った。
 リルカが大事だった。
 犯してしまった罪。彼女を巻き込んでしまった事。
 国を騙した事、いいやそれ以上の。
 リルカが愛しかった。
 でも、愛してはならぬ。
 そう思って、そう思ってきたあの時。
 ――顔を背けるようにしてきた男に、決して自分に触れようとせぬヴァロックに、ある日彼女は言ったのだ。
『愛してください』
 私の事を、強く。
 抱いてくださいませと。
 ……初めて、彼女を胸に抱いた感触。
 永遠に忘れない。
 ずっと誓い続けている。
 生まれてきたオヴェリアを、共に守ると。
 ――この国が終わる時、そこにいるのは、白薔薇の剣を持つ女。
 リルカは死んだ。
 そしてオヴェリアが白薔薇の剣を握った。
(させるものか)
 そんな事。こんな事。
 糸は絶対に断ち切る。
 それが、リルカに誓った事なのだ。
 彼女が亡くなったあの時託された、最期の言葉。
 だがな、リルカと。王は闇へと呟く。
 嬉しくもあるのだよ。
 あのオヴェリアが……旅に出るなど。たった一人の娘が、この国のために戦っている。
 こんな、状況であるのにも関わらず。
 誇らしくもあるのだよ。
 幾多の挫折があっただろう、泣いた事もあっただろう、苦しんだであろう。命の危機にも直面しながらも。
 でも、あの娘は立ち向かっている。
 そんな娘を持った事。
(男であればよかったなどと)
 もう言わない。
 男だろうが女だろうが、その魂は、誇りだ。
 我が、最大の誇り。
(お前の娘だ)
 そうだ。
 お前の娘なのだ。
 オヴェリア・リザ・ハーランド。
 愛しき愛しきその名前。その存在。
(残るこの命、)
 願わくば、
 その娘を守るためだけに使いたいと――。
 ――風が止んだ。
 ヴァロックは気づいた。顔を月から引きはがす。
 まだ、付き添いの兵士は誰一人気づいていない。
 1人目は、そして、気づかぬままに終わった。
 心臓を一突き。
 何が起こったかもわからぬという表情で倒れて。
「あ」
 次の兵士は、かろうじて剣を抜こうとした。
 だが、その腕が絶たれた。腹に一文字の流れ文字を作って。
 大量に血が噴く。人の内にはこれほどにもたくさんの血が通っているのかと。
 そんな事実、王はもう当に知っている。
 そして。2人目を斬った時、ようやく賊の顔が見えた。
 一片も隠さぬ、さらした面相。
 黒のマントと、赤の鎧。
 最後に会った時よりやつれた様相。
 そして。
 その目に、一層の闇を灯して。
「アイザック…
 来たか、と王は思った。
 ――アイザック・レン・カーネルの謀反。
 フォルストでの一件。
 あれから、随分と国内でも処断を辛くした。
 アイザックにつながっていると思われる者をことごとく捕らえ、密と思われる者には死罪も下した。
 すべてを絶つために。
 リルカの弟。
「……」
 3人目の兵士が、斬りかかった。
 だが、技量が違いすぎる。
 アイザックの腕前は並ではない。グレンがいなければ、薔薇前試合での称号も叶っていただろう。
 そして今、彼の腕はさらに拍車をかけて。
 人を斬る事に、ためらいがない。
 殺しにきたのか。
「……今、か」
 もっと前から。
 アイザックが自分を憎んでいる事は知っていた。愛しい姉を奪った男として。
 斬ればいいと思った瞬間もあった。わざわざ斬るために間合いをやった時だって。
 でも。今は。
「なぜ、今だ?」
 やれんよ、簡単には。
 大事な物があるんだ。
 ――アイザックはじっと王を見つめ、黙っている。
 王はため息を吐いた。そして、兵士が持っていた剣を拾い上げた。
 握れた。
 腕が、今日は利く。
 ――神が最後に与えたか?
 失笑する。
「……」
 準備が整ったと言わんばかりに。
 アイザックの目が、カッと開いた。
 ヴァロックはそんな事しない。ただ静かに視線を受け止めて。
 走りくる男を。
 走りくる目を。
 押し寄せる狂気を。
 そして流れ込んでくる怒りと悲しみと。
 ――最後には、無を。
 受け止めた剣は、弾かれる。
 もう、王は随分と剣を振っていなかった。
 結果は最初からわかっていた。
「ヴァロック・ウィル・ハーランド」
 貫かれた。
 口から熱い物が押し寄せ、ヴァロックは吐き出した。
 塊の血。
 その中で、アイザックが耳元で唱えている。
「姉の仇」
「……この国はやらぬぞ」
 笑ってやる。死んでも苦しみの表情など浮かべてたまるか。
「絶対に、やらぬ」
 アイザックは切っ先を切り替える。肉がえぐられる。だが悲鳴は封じ込める。
「地獄へ堕ちろ」
 呪いの言葉を吐かれても。
 ヴァロックは一層口を開いて。
 笑って。
 笑って。
 ――剣を引き抜かれたら、もう、立っていられなかった。
 嗚呼、と思った。
 ――絶対が、闇を生む。悲しむべきではない。これはただの、通過儀式である。
 目を閉じると、浮かんでくる、愛しい姿。
 誰かが駆けてくる。だがもう、その音は届かない。
「ウィル様ッ!!!!」
 ――消えたら最後、二度と灯らぬ。
 閉じた目の中に、光を見た。
 そして、光の中に見た映像。
 悔しくても泣きたくても。
 すべてを差し置いて、王はその名を呼ぶ。
 これが最後の、愛しき名前。






「オヴェリア」


















「父上――」







 もう一度会いたかったけれども。
 もう会えぬ。
 二度と、会えぬ。

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