『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第42章  帰還 −3−

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 ――変わらないと、カーキッドは思った。
 ハーランドの城下は、あの時のまま。
 馬車に揺られる窓の向こう。見覚えのある景色が流れて行く。
「ここがハーランド……!」
 マルコが歓声を上げている。今までに、こんな大きな町並みを見た事はないのだろう。
 たくさんの人が行き交っている。
 たくさんの顔が、笑い、怒り、叫び、町を行く。
 まだ夕と呼ぶには早いその光が、町並みを明るく染めて行く。
 賑やかな町だ。
 流れた末にここに来た。カーキッドもいつしかこの光景に慣れて。いつしか退屈だとすら思った光景。
 だが。同じはずの光景が。
(違う)
 別の世界に見えた。
 デュランは窓を見ているが、その眉間には深刻な色が浮かんでいる。
 カーキッドもそれは同じ。
 ――町は、まだ知らぬ。
 この国はまだ知らぬのだ。
 王が倒れた事。
 そしてこれからの予見。
「オヴェリア様……」
 オヴェリアはグレンに抱えられるようにして別の馬車に乗った。
 その背中を追う事はできなかった。
 カーキッドは目を閉じた。
 耳に、誰かの笑い声が飛び込んでくる。
 別の世界の話である。

  ◇

 城門を抜ける。
 馬車が到着すると、兵士がサッと列を成した。
 扉が開き、そこからサイラスが姿を現すと、一同は敬礼し。
 続き現れたグレンに、目を輝かせる。
 そしてそのグレンがそっと手を差し出した先を。誰もが食い入るように見た。
 白き手が、外からはっきりと見えた。
 細い腕。
 続き現れたその姿に。
 皆が、息を?む。
 オヴェリア・リザ・ハーランド。
 ハーランド王国唯一の姫君。
 だが誰も姫のそのような姿を見た事がない。
 ――白き鎧をまとい、闘技場に立ったあの時。その姿に誰もが驚きを上げた。
 だが今においては、それは姫などではなかったとも言われている。あれは、姫との婚礼を条件に掲げた王家の、逃れる口実にするべく使った替え玉であったと――。
 姫が剣を握り、すべての戦士を圧倒するなど、ある事ではないのだ。日夜鍛えぬいた戦士たちのプライドにかけて、あってはならぬ事だったのだ。
 姫は鎧ではなくドレスをまとい、しとやかに薔薇を愛でる。すべての者に微笑みと慈悲を。国の至宝と謳われたローゼン・リルカ・ハーランドの娘なのだ。その容姿は今はまだあどけなさを残すが、遠くない未来大輪となって輝き花咲かせるだろう。
 その姫が。一体いつどこで剣を磨いたと? 日夜鍛錬する戦士たちを差し置くほどの、どこで鍛えられると?
 ……あれは姫の名を語る別の者であった。誰もがそう思った。
 だが。
 控える兵士たちの面前で、グレンが恭しく頭を垂れる。姫の顔を知らぬ兵士たちにも、それがどのような事かは理解できる。
 一人の女性を前に、この国の武の最高権力を持つ者が。
「姫」
 そう言い、馬車から降りるのに手を貸す姿。
 そして降り立った娘は。
 ……旅人の姿。それがどのような旅であったか、まとう衣が物語っている。
 結い上げた金髪がほつれて風に遊んでいる。
 陶磁器のような白い肌が、旅着の間から見え隠れしている。
 茶色のマントが風になびき、要所を守る簡易な鎧の汚れが何かを訴えかけている。
 そしてその視線。斜め下に向けられた、伏せた眼差しから。
 顔を上げ、周りを見渡したその瞬間に。憂いと影の中に、一同は別の物を見た。
 それは、常人がまとえる空気ではない。
 凛として。
 だが、危うい。
「姫、こちらへ」
「……」
 王女オヴェリア。
 彼女はひと時城を見上げ、それからグレンに従い歩き出した。
 兵士が道を作っていく。
 その足取りは緩やかで。彼女の身を案じているのが見て取れる。
「姫様ッ!!!!」
 歩くその中、その呼び声に、オヴェリアはもちろん兵士たちもハッとそちらを振り返った。
 給仕服の女性が1人駆けてくる。スカートが翻ろうが髪が乱れようが構わぬ様子で、その姿はまさに血相を変えて。オヴェリアの姿を見止めると、その顔は一層悲痛に歪んだ。
「姫様ッッ、姫様ッッ――」
 泣いている。呼びながら走りながらグシャグシャに涙するその姿を見て。
 オヴェリアの陰った瞳に光が差した。
「フェリーナ」
「オヴェリア様ッ!!!!!!!」
 侍女のフェリーナ。幼き頃からずっと一緒にいた、オヴェリアにとって家族同然の娘。
 彼女は大衆の面前にも関わらず、オヴェリアにそのまま抱き着いた。
「オヴェリア様ッ、オヴェリア様ッ……ご無事でッ、ご無事でッ……」
 侍女の身分で王女にこのような事、本来はあってはならぬ。
 実際、後から駆けてきた他の侍女は血相を変え、フェリーナより年上の侍女は「フェリーナッ」といさめるように叫んだが。
「うん……」
 胸の中で涙する女性に、オヴェリアの目からも涙がこぼれ落ちた。
「勝手にッ、勝手に行って……行かないでって言ったのに……!!」
「ごめん……ごめんなさい、フェリーナ……」
 抱きしめる。
「ごめんね、フェリーナ……」
「バカ姫様」
「うん……」
 2人の様子に、グレンもしばし笑みを浮かべた。
「お帰りなさいませ、姫様」
 言われて。
 オヴェリアは泣きながら思った。
 ――帰ってきたのだ。
 ……ただ、それ以上の思考は、涙の中に消えて行った。




 オヴェリアの帰還、それはその日のうちに城中に知らされた。
 それは誠に姫だった、本当に姫が、竜退治のために旅に出ていたという事。
 皆が一同に驚き、そして同時に歓喜した。
 ――そしてその歓喜した者の多くはまだ何も知らぬ者たちだった。
 だからこそ、ひと時その偉業に酔いしれる。
 一国の姫が竜退治を成したという事に。
 ……誰もが、竜は退治されたと疑わなかった。



  ◇

 オヴェリアに続き、城に到着したカーキッドたち3人は、まずは長旅を疲れを取るようにと命じられた。
 本当は一刻も早く旅の経緯を説明したかった。だが起こった事はあまりにも多く。
 結局、案内されるままにまずは湯を借りた。
 城の湯殿は、むろん3人共初めてである。
「……すごいですな」
 デュランすら絶句する。マルコは茫然と立ち尽くす。
「お背中をお流しいたします」
 と女給が現れ、デュランは即答で「お願いできますかな」と言ったが。
「結構だ。のんびり浸かってる暇もねぇ」
 カーキッドが一蹴した。
 それにデュランは心底落胆し、むしろカーキッドを恨めし気に睨んだ。
「そんな場合か、馬鹿神父」
「……こんな機会、中々ありはせぬと言うのに……」
 だがそう言いながらもデュランにも本当はわかっている。
「しみるな」
 湯は、痛みを伴う。
 改めて己の体を見れば、傷跡の多さに苦笑すら浮かべてしまう。
 それだけの旅をしてきた。それだけ、戦いの中にいた。
 同じ場所に、オヴェリアもいたのだ。
 改めて思う、このような場所で生活してきた姫君が、あの旅に共にいたのだ。
「僕、こんなお風呂初めてです」
 マルコがポツリと言った。デュランは苦笑した。
「私も初めてだ」
「すごいですね」
「まったくだ」
「……ここが、ハーランドのお城……」
 そして。
「オヴェリア様は、本当に、お姫様なんですね……」
 その言葉に、カーキッドもチラと少年を見る。
「今更何言ってる」
「だって、」
「あいつがただの女じゃないってのは、わかってただろうが」
「――」
 その言葉にマルコはハッとして、そして笑った。
「そうですね」
「そうだ。……とっとと出るぞ」




 湯から出ると、着替えが置かれていた。
「至れり尽くせりだな」
 部屋着ではあるが、上物である。デュランには新品のキャソックも用意されていた。
「何だか……むしろ心地が悪い」
 デュランも苦笑する。カーキッドは襟を崩し、上物にも関わらずだらけた印象に着こなした。
「マルコ、汚したら弁償だぞ」
「えっ、これ、幾らくらい?」
「上着は5000リグくらいだな」
「――。僕、前の服でいいです」
「嘘だって。弁償しろっつわれたら、トンズラすりゃいいから気にすんな」
 ……口先に冗談を語りつつ。
 直に現れた兵士に、カーキッドは言った。
「武大臣殿に会わせろ」
「お呼びするようにと申しつけられております」
「――」
 カーキッドとデュラン、顔を合わせる。
 マルコは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「さて……何から話すか」
「何から聞くか」
 本当に今一番問いたいのはオヴェリアの様子、ただ1つだったが。
 抑えて、語らなければならない。
 これまでの経緯。
 そして……これからの事を。
 ――そして3人が案内されたのは少し広めの部屋。
 大きな長机があり、そこに6人の男が座していた。
 1人は武大臣グレン・スコール。
 他の男との面識はなかったが。彼らが何者かはすぐにわかった。
 この国の大臣。
「長旅ご苦労であった」
 その中でも筆頭の男。
「我が名はコーリウス。文大臣コーリウス・ロンバルト」
 ……エンドリア領主ブルーム・ロンバルトより一回り小さい小男が、険しい顔つきでそう言った。
「そなたらが、オヴェリア様に従いし者たちか」
 マルコが、緊張のあまり何度も唾を飲み込んでいる。
「ここまで、無事に姫を守ってくれた事、我が王に代わりて礼を申す」
「……」
 無事じゃなかったさ。守り切れなかった事はいくらかあった。
 あいつが戦ったんだ。……カーキッドはそう思ったが、言わなかった。
「聞きたい事が山のようにある」
「……我らもそれは同じ」
 デュランが言うと、コーリウスは少し口の端に笑みを浮かべた。その笑みを、デュランは諾と見た。
「エンドリアにて、我らが聞いた事は真実まことでございましょうか」
「……」
 ――ハーランド王の死。
 場は静まり返った。
 カーキッドの視線と、グレンの視線が1度重なった。
「真実だ」
 答えたのはコーリウスだった。
「まだ伏せてある。だが」
 事実だ。
「奇襲は、アイザック・レン・カーネル」
「……目撃者が?」
「場内の何人かやられた」
 グレンが言った。
「……私も……見た」
 苦渋。
「私が駆けつけた時、王は倒れ、奴が逃げ行く所だった」
 無念。
「アイザック・レン・カーネルは昨今のフォルストの一件以来、国内外に手配をしている。だがまさかこのような形で」
 王都に現れ、あまつさえ王に凶刃を向けるとは。
「王は……もう、剣など握れぬ体だった。立つ事も歩く事も……ままならぬ身で」
 一刀の元に斬り伏せられて。
「……」
「……」
「そなたらの旅の話も聞きたい。文での報告は受けている、だができればもっと詳細に」
 何を見、何を聞き。
 オヴェリアと共に、何と共に戦ってきたのか。
「弟の最期も――」
「かしこまりました」
 ――長い話になる。
 手元にあった水を口に含み、デュランは話し始めた。

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