『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第42章  帰還 −4−

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 カーキッドたち3人と6人の大臣の話し合いは、その後深夜までに及んだ。
 途中食事を挟んだが、結局その日だけでは話は終わらなかった。
 無理もない、単純な話ではない。事はあまりにも膨大だった。
 フォルスト領主、アイザック・レン・カーネルの謀反。
 そして枢機卿ドルターナへの手向かい。それによって教会から手配され、オヴェリアに異端審問会への招集がかかっている事も改めここで知らされる。
 そしてそこから起こった事。バジリスタ王子ズファイ。
 オヴェリアが捕らえられ、エンドリア壊滅にまで追いやられた。
 そして、ブルーム・ロンバルトの死。
 すでに連絡は受けていた。だが、そこに至りコーリウスの顔はやはり曇った。
 そして、竜。
「逃したか……」
 ゴルディアで、飛び去って行った竜の事。
 その生態が、暗黒の魔術によって成された事。
 その魔術を使うのが、教会にて西の賢者と言われたラッセル・ファーネリアを殺害した人物だという事。
 ギル・ティモ。その男が関わりアイザック・レン・カーネルは闇に堕ち、そして枢機卿にも関与していると。
 そしてギル・テイモは竜を作った。魔術で人の命を組み込んで。
「……我らは途中、異形の生命に幾度か遭遇しました」
 デュランの言葉に、大臣たちはビクリと反応する。
「蟲と呼ばれる物は無論です。姫様も、旅に出て間もなく遭遇したとの事」
「蟲が!? 王都の近辺にいたと申すか」
 大臣の1人が叫ぶ。
 デュランがチラリとカーキッドを見ると、彼は興味なさそうに瞬きだけで返事をした。楽な仕事をしていると、デュランは一瞬彼を睨んだ。
「オヴェリア様は、蟲の存在をそこで初めて知りました。……そして蟲だけではない。狼と人と2つの首を持つ獣にも会いました。姫様を水上にて飲み込んだ、腹に異空間を持つ物も。空を飛ぶ黒き物、海を揺蕩たゆたう生き物のような波」
「すべてが暗黒魔術の関与だと?」
 デュランは考え込んだ。
「真実は、わかりません。ただ……あの双頭の獣に関しては、気になる点がございました」
 マルコが、思い出してまた唾を飲み込む。水を飲んでも飲んでも乾いて仕方がない。
「テトの契≠ェ焼き付けられていました。先のバジリスタとの抗争の折になされた停戦の印です。しかも犬……犬は、停戦の折にハーランドよりバジリスタに贈られた物。それが異形となり、印が焼き付けられてあった」
「ならば」
 それは、何かの訴えか。
 ――停戦破棄と、戦いの。
「それが、人の絶えた村にいた……その村の人々は、暗黒魔術の餌食にされたのか……」
「ゴルディア監視地区の兵士が消えたのも?」
「……でしょうな」
 ――何と戦えばいいのか。
 バジリスタはエンドリアを破った。そこで領主が死んだ。
 暗黒魔術が、世界に何かを成そうとしている。
 そして竜は、飛び去った。
「……何たる事か」
 そしてこの国は、柱を失った。
 ヴァロック・ウィル・ハーランド亡き今現状、この国に王はなし。
 誰を主軸として、何に立ち向かい。
 この国を、どこへと導けばいいというのか――。
「竜の行方は知れぬのか?」
 大臣の一人が言った。デュランが首を横に振る。
「わかりません。何故飛び去ったのかも」
 あの時竜は、今一歩でオヴェリアとカーキッドを食らう所まで迫った。
 だがそうはせず竜は飛んだ。
 後のギル・ティモの呟きから察すれば、それは彼の予想の範疇からも飛び越えた事であったのだろう。
 どこへ?
 今もその黒き翼を広げているのか?
「一つ言えるのは、今一瞬先にこの王都に現れてもおかしくはないという事」
 大臣が絶句する。構わずデュランは続けた。それが現実なのだ。
「元々、竜がゴルディアに縛りついている確証すらなかった」
「……王都を襲うと申すか」
「わかっているはずです。可能性は100です」
 いずれ。それがいつか。今か、明日か、あとどれだけ先か。
「そしてバジリスタの事もある」
「――」
 言いながら、デュラン自身も身が震える心持ちだった。
 ――ハーランドが置かれている現状は。
「バジリスタと教会……そして暗黒魔術がつながって」
 多方向から攻める。
 この国をむしり取る。
 目的はたった1つだろう。
「聖地奪還」
 聖母が守りしこの国を。
 今こそ、わが手にせんがために。
 それが宿念か。希望か。
 ――絶望か。
「どうすればよいと言うのだ」
 コーリウスが頭を抱え呻いたのは、4人が帰還した翌日の夜。
「陛下……」
 何を支柱とすればよいのか。
 ……6人の大臣の迷いは、この国の迷い。
 そして、行き末のようにカーキッドたちは思った。


  ◇


「カーキッド・J・ソウル」
 2日目の話し合いは、陰鬱と終わった。
 大臣たちの疲労の色を見て取ったコーリウスが、終いの合図を出した。デュランも連日続くこの状態に少し参り、眠そうなマルコの手を取り部屋を出る。
 カーキッドはその後ろから、仏頂面で引き揚げようとしていたが。
 廊下に出たそこで呼び止められた。振り返らずとも声の主はすぐに知れた。武大臣グレンである。
「少し付き合え」
 グレンは右手でヒョイと、椀を持ち上げる仕草をした。飲まぬかという事だった。
 カーキッドは一瞬怪訝な顔をしたが、「わかった」と返事をする。
 彼も、グレンと話がしたかった。
 デュランとマルコに目だけで話し、グレンの後に着いて行く。
 夜である。城内に立ち込める空気は昼間とは違う。
 だが、廊下には松明が至る所に焚かれていた。今現状この城は、どこよりも明るい光をたたえた場所となっているだろう。
 おそらく、王が刺されて一層この城は闇を恐れている。
 光あれ、光あれ、と並べられた炎の中にカーキッドはむしろ、憐れみと感じた。光を求めるのは恐怖の表れだ。
 しかし目の前を歩くグレンからはそういった気配はない。
 不安を吐露する他の大臣とは一線を画し、彼の眼差しだけは動かなかった。
 ――少し見慣れた場所に出た。どこだったかなと思う間もなく、グレンは扉を開けた。ついて入ると、カーキッドは思わず声を上げた。城内に唯一ある鍛錬所だ。
 出立前、初めてグレンと会ったのもここだった。
「もらうよ」
 時間が時間である、そこには誰もいなかった。だがグレンはそう呟くと、武具置き場の脇からヒョイと酒瓶を取り出した。
「ここに隠しておくんだ。俺が見習いだった頃からの伝統だ。一番いい酒は、いつも一番いい場所に置いておけってな」
「いい酒か」
「おう。見ろ。上物だ。誰がどこから持ってきたものやら」
 グレンが笑う。カーキッドは意外な物を見た気がした。
「勝手に飲んでいいのか?」
「わかりゃしないさ」
 椀も持ち出し、グレンが注ぐ。
「飲んだ奴は後で、もっと上等な酒を置いておく。それも昔からのならいだ」
 ほら、と渡される椀を無言で受け取り、礼の代わりに小さく頭だけ下げる。
 ドカリと2人、その場に座り込んで。
 砂の臭いが鼻孔をくすぐる。天窓からは空が見た。星が見えるほどではない。
 だがそれなのに、まるで荒野にいるような気分になった。
「旨い」
 砂が思い出を呼び覚ます。かつていた、エッセルトの地。友と共に笑い合って飲んだ酒を。
「つまみが欲しいな」
「贅沢だぞ、おっさん」
「そうか? お前はいらんか?」
「……厨房からくすねてこいって言うのかよ」
「話の分かる奴だ」
 クククと笑う。カーキッドも思わず苦笑した。
「旅では、美味い酒が飲めたか?」
 結局そのまま2人は酒だけを傾ける事にした。
「まぁ、そこそこだな」
 カーキッドは焦らすように答えた。そして口づける酒は本当にいい物だった。
 酒には強いカーキッドの、目じりが少し熱くなる。それは彼自身が少し酔いに身を任せたい気分だったが故か。
「オヴェリア様は……どう過ごされた?」
 だろうな、こいつが聞きたいのは。カーキッドは口の端を傾ける。
「慣れぬ旅は、大変だったであろう」
「そうだろうな」
 でも。
「あいつは、弱音を吐かなかった」
「……」
「さっさと諦めろと何度も思った。まさか本当にゴルディアまで行っちまうなんて思ってなかったさ」
 本当に。
「……すげぇお姫様だよ、ハーランドのお姫様は」
「そうか」
「よくもまぁ、あそこまで強くしたな」
 オヴェリアの師はこの男。
 グレンは苦笑した。
「私は何もしとらんさ」
「謙遜はむしろうぜぇよ」
「しかし、事実だ」
「……」
「剣を教えて欲しいとせがまれて……何度も突き返したさ。姫がする事ではない。そのような事をさせれば、私が王に処断されると。それでも聞かん。何度も何度も城を抜け出し、訴えられる。ほとほと参ってな」
「……頑固物だってのは、この旅でよくわかった……」
「ふっ。そうか。お前も苦労したか」
「てめぇが行けって言ったんだろうが。ここに呼びつけて」
 ――万が一の時は盾になれと。
「礼を言う」
「……」
 カーキッドは顔を背けた。
「言われる事じゃねぇ」
「私が言いたいだけだ」
「酒瓶に向かって言え」
 ――お前のために、行ったんじゃない。
 ――お前に言われたから、ゴルディアまで行ったんじゃない。
 ――お前に言われたから、
「……」
 そんな理由で、この腕を。
 あの魂を。
 この背をさらして。
「……守ったんじゃねぇ」
「ん?」
「……んでもねぇ」
 顔を一層背ける。酒に逃げる。
「あの方に剣は教えた。だが……強さまでは教えられん」
 グレンがポツリと呟く。
「心はな、信念はな、誰にそうせよと言われて作り上げられるものじゃない」
「……」
「あの方の強さ……あの方が抱く揺るぎなき根幹……見てて危ういほどのな。あれは、あの方自身が成したもの」
 ――揺るぎなき絶対。
「リルカ様と同じだ」
「オヴェリアの母ちゃんか」
「あの魂は……至宝」
 容貌じゃない。心が。
 ひたむきに前を向き、剣を立てる。
 絶対に揺るがない、悲しみの中でこそ、前を向く。
 背を向けぬ。
 恥に固執する男のプライドではない、そこにあるのは。
 ――絶対たる想い。
 意志。
「守ってくれて、礼を言う」
「……」
 今度は茶化さなかった。カーキッドは受け入れ、酒を飲んだ。
 初めて言われたなと思った。他の大臣は誰一人言わなかった。国の安否と行く末を気にするばかりで。
 少女の存在も、その戦いの道乗りも。
「……面白ぇ旅だったよ」
 グレン・スコール。初めてここで会った時、剣を交えた男。その時は油断ならない男と思ったが。この国にきて、ずっと戦いたいと思っていた相手であったが。
「そうか」
 笑う、その笑みはあまりにも穏やかで。
 その笑みの奥底にとてつもない炎を飼っているとわかっているのに。
「ああ」
 オヴェリアと同じだな、と思った。
 だからこそ、強いのだろうと。
「オヴェリアはどうしてる?」
 ……ずっと聞きたかった。本当は何よりも先に。
 だが、なぜか聞けなかった。
 それを口にしようとすると、脳裏に、船で見たあの光景が過るから。
 剣を持ったまま顔を埋めていた、あの少女の姿が。
 それが……苦しいから。
「姫様は」
 グレンの椀も止まった。
「あれからずっと……陛下の傍においでと聞く」
 霊廟に。
「……」
「……」
 口の中に、砂が入った。
 薔薇の匂いがしない。
 ここは薔薇の都、ハーランドだというのに。

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