『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第42章  帰還 −5−

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 城の端。
 建物と切り離された一角に、森がある。
 そこは神聖な森だと言われてきた。
 その奥に建物が1つ。
 霊廟。
 古くから、この地を治めた王族が眠る場所。
 その中に今は1つ、棺が置かれている。
 厳重なほど厳重に、兵士と錠で固められたその場所。
 棺の細工は薔薇。金と銀そして白で丹念に彫り込まれた、無数の薔薇。神の庭とて、ここまでの庭園を築けはせぬと言わんばかりの、ありったけの花で埋め尽くされた外観の。
 その中に、その男は安らかに眠っている。
 否、眠りの質は誰にも分らぬ。
 もう誰もその心を聞く事できぬ。想いを訴えるすべも持たぬ。
 そして少女はそこに現れる。
「一人にして頂戴」
 詰める兵士は困惑するが。
「お願い……」
 最後には、願いを聞き遂げる。
 霊廟にわずかに残る森の匂いと、それを掻き消す香の匂い。
 母が死んだ時と同じ匂いだと、オヴェリアは思った。
 また、この匂いを。
「父上……」
 また、この悲しみを。
 もう、どうしたらいいのか、わからない――。


  ◇


 ハーランドに戻ってきた。
 湯を浴び、髪を解かしてもらって。
 フェリーナがパンケーキを焼いてくれて。
 泣いて、喜んでくれて。
 でも、また泣いて。
 どうしたの? と彼女が問うと、フェリーナはただ首を横に振った。
 わかってる、わかってるのだ。
 オヴェリアの痛みを思って泣いているのだと。
 ……父がどうなったか。
 誰にどう聞いたか、オヴェリアの中でははっきりしない。聞かなかったのかもしれない、ただ、彼女は気が付くと霊廟にきていた。
 棺があった。
 まだ埋葬はされていない。オヴェリアの帰りを待っていたのだ。
 中は、見えなかった。
 会いたいと思った。この中に父が眠るなら。
 もう一目でいいから。
「父上……」
 だが、棺は固く閉ざされている。錠で固く閉ざされている。
 本当にここに父が?
 笑っていたではないかと。出発した時。
 生きて戻れと。
 お前は、わしにも母にも似ていると。
『わしの代わりに世界を見よ』
 フォルストでもらった文。あれが最後の言葉。
 見てきましたよ、父上。彼女はそっと脳裏で呟いた。
 話したい事が……たくさんあります。
 なのに。
「叔父上……」
 アイザック・レン・カーネルは、かつてオヴェリアに言った。リルカを殺したのはヴァロックだと。剣を手に入れるために彼は妻を殺したと……そんな事はない。あり得ない。それはアイザックの妄想。
 だが。
「……」
 何を持って。
 何を見聞きして。
 どうして。
 ――もしあの時、ゴルディアではなく、エンドリアから急ぎハーランドへ戻ったら?
 エンドリアの事、バジリスタの事を、何よりも率先して知らせに走ったら?
 そしたら、叔父の凶刃から父を。
「……」
 こんなの受け入れられない。オヴェリアは小さく首を横に振った。
「こんな事……」
 知らずと持ってきてしまった白薔薇の剣を、ぎゅっと握りしめる。
 重くもなければ軽くもない、不思議な剣。
 だが。痛い。
 悲しい。
 立っていられない。
 気づいた時にはもう、涙があふれてる。
 あれからずっと。
 光を見ていない気がする。




 悲しみに暮れる。
 怒りに暮れる。
 絶望と喜びに暮れる。
 ――いいや、もう感情そのものを。
 誰か、奪い去ってほしい。
 消えたい。今この一瞬でもってして。
 私を、この世界から、亡きものにして――――。



  ◇



 火急の知らせあり。
 伝令は、火矢のように入る。
「バジリスタ王都にて反乱。バジリスタ王ミザイ・ルシフェ・バジリスタ暗殺」
 3日目の話し合いの際であった。その場にいたカーキッド達3人と6人の大臣が驚愕に色を染める。
「首謀者は」
 聞かずとも、
「……第三王子、ズファイ・オーランド・バジリスタ」
「やはり、か」
「ズファイ王子は天剣騎士団を率い王都を急襲。城は背後を突かれた形で陥落。王は斬首。2人の妃も捕らえられ同じく殺害された様子。ズファイ軍はそのまま視察から戻った第二王子ゴーグル率いる軍を殲滅。第一王子は教会へと逃げ堕ちましたが、ズファイが引き渡しを要求している模様」
 大臣が顔を見合わせる。カーキッドとデュラン、マルコも。
「教会は、繋がってるぞ」
 バジリスタ本国ではないのか。
 ならば――ズファイ。
 敵はバジリスタ本国ではなくズファイ。
 ズファイの目的は、
「バジリスタを手中に治めて、その後に」
 大臣がデュランを見る。
 答えの先は、わかっている。
「ハーランドか」
「国を手に入れその勢いで、この国に斬り込みます」
 戦は勢い、そして波なのだ。
 バジリスタをも飲み込んで一気に押し寄せる――。
「すぐに対策を。迎え撃つ策を練らねば」
 コーリウスが叫ぶ。グレン以外の大臣たちが口々に賛同する。
「王の逝去を、どうされるか」
 その大臣たちに向かって、デュランが言った。
「ヴァロック王の死は、まだ公にされておりません」
「このような時に、公になどできようか!」
 大臣の1人が憤慨した様子で叫んだ。
「王の死はこの国の権勢にも及ぶぞ」
「左様。今は伏せておくのが得策と存ずる」
 一理。
「それに……もしヴァロック王の死を露見させたとして」
 そこに、次の問題が生ずる。
「この国に王子はおらん」
 大臣が息を?む。
 現状のハーランドの逼迫。
 ヴァロック王は死んだ。
 後を継ぐ男子はいない。
「ヴァロック王には、オヴェリア様しか……」
 直系はオヴェリア。
 18歳の王女1人、たった1人。
 この国の危機に、まさかそのような事ができるわけがない。
 ――王女を王に据えるなど。
「それこそ、バジリスタに付け入る隙を与える」
「……へへ」
 ここにきて、初めてこの議場カーキッドが声を発した。
 笑った。
 だがその笑いはその場にいた全員を、一瞬黙らせるほどの。
「何を言ってるんだか」
 何かしら圧倒的なものを、孕んでいた。
「その王女様に、竜退治を押し付けたのはどこのどいつらだ?」
「そ、それは」
「まさか、姫様が本当に向かわれるとは、」
「オヴェリアが城を抜け出したのはすぐに知れたはずだ。だがお前らは全部放っておいた。フォルストで危険な目に遭い、教会からも異端扱いされて。それでも誰も止めなかった。あ? どういう事だよ」
「カーキッド、よせ」
「お前ら、国の心配ばっかで、オヴェリアの事考えた事あんのかよ」
 子供の怒声だ。カーキッドにはわかっていた。でも止められぬ。
 この議場、誰もオヴェリアの事を口にしない。
 一番戦い、傷ついてきた彼女の事を。
「こんな国、潰れちまえ!!!」
「カーキッドッ!!」
「無礼者ッ!!」
 マルコが口に手を当て、あわわと困惑する
「……待て。とにかく皆落ち着け」
 仲裁に入ったのは、グレンであった。
「確かに……今、陛下逝去の事を公表するのは、危険だ」
 カーキッドが目を剥く。「しかし、」とそれをグレンがそれをけん制する。
「それは……あの時と同じになろうな」
 ――あの時。
「リルカ様という影武者を使い、ウィル様が王となったあの時と」
 白薔薇の剣に選ばれなかったヴァロック王と。
 選ばれてしまったリルカ姫。
 国を欺き、ヴァロックは王となり。
 リルカは、その影となった。
 戦場に立てる、白薔薇の騎士はたった1人。
 姫が立ち、戦わねばならなくなった20年前の抗争。
 国を欺き、その結果を背負ってしまった一人の姫君。
「また、民に虚偽を貫くか」
「――」
「それが、ハーランドという国の実実態か」
 正しき事か?
 否、国の舵を取るという事は、正論だけでは通らぬ。
 通らぬのだ。
 絶対に間違っているとわかっていても。正しき道を歩みたいと、誰もが思って生きていても。
 ――悪に染まらねばならぬ日が、来るのだ。
 すべてわかった上で。
「……」
「ハーランドの国の在り様、今一度考えるべきかと存ずる」
 グレンは重々しく言う。
「カーキッド・J・ソウル。軽率な事は言わんでもらいたい」
「……すまん。詫びる」
 グレン相手にカーキッドも、素直に非礼を認めた。
「……どうすればいい?」
 誰が、誰に問うた言葉か。
 どうすればいいのか。
 どうすれば――。


  ◇


「オヴェリア様はどうされているのか……」
 部屋。
 3人にはそれぞれ別の部屋が用意されたが、最終的にいつもカーキッドの部屋に3人は揃っていた。
 1人で使うには広すぎる。
 そして同じ沈黙でも、一人でする沈黙よりは複数で味わう沈黙の方がいいと感じた。
「霊廟に通われていると聞いた」
「そうか」
 カーキッドは日々の鍛練と、剣の手入れを欠かさず行っていた。
 今も、黒い剣を光に翳して何度も見ている。
 曇りはあるか? 
 マルコが小用のために部屋を出た。
 カーキッドとデュラン、2人きりとなる。
 部屋は広いが、集まる場所は同じである。
「なぁ」
 デュランがこぼした音に、カーキッドは視線だけで反応した。
「姫が継ぐべきと思うか」
「……」
 白薔薇の剣を握った、それは王の権利を持つという事。
 資格なき者は触れる事すらできぬのだ。
 ――どうやっても。
「なぁ」
「……」
「……ずっと、気になっていた事があった」
「……」
「白薔薇の剣は、……選ばれた者にしか触れる事できない」
「……」
「私の覚えが確かなら……ただ1度、見た事がある」
「……」
「姫様以外が、その剣に触れる様を」
「――」
 ……沈黙。
 風はない。
 炎は揺らがない。
 揺らぐとしたら、人の意志。
「そうかい」
 デュランはじっと、カーキッドを見た。
「なぁ」
「どこのどいつだ? そりゃ」
「……」
「オヴェリア以外に、誰が」
 白薔薇の剣を。
「……」
「……」
 間もなく、マルコが戻ってきた。
 ひどく眠そうだったが、彼は寝るより先に魔術の本を開いた。
 だがそれも直に夢の中へと持ち越してしまう。
 その様にデュランはため息を吐いて、「明日も早い」と会話を打ち切った。
 カーキッドも諦め、剣を鞘にしまった。
 手元の炎を吹き消す一瞬前に、一度デュランを見ると。
 デュランもまた、カーキッドを見ていた。
 カーキッドは舌打ちをして、フッと炎を消した。




 白薔薇の剣を振るうのはただ1人。
 それ以外にはないと、カーキッドは思った。
 ……ずっと思い続けている。
 白薔薇の騎士の名にふさわしいのは、あの日あの瞬間から、あの娘だけだと。

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