『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第43章 あの日から、 −2−
もう一度だけ買おう。これを最後の一箱と決めよう。
カーキッドは煙草に火を点ける。
滲むような味。あの日から変わらない。
目は閉じても眩い光が入ってくる。
――城を出て郊外の丘へ。
ここは傭兵隊だった頃に巡察をさぼってよく来た場所。
以前と変わらぬ風と、草のにおい。
――だがそこに、砂のにおいが混ざる。
幻覚だ。だが、あの日からずっとこの煙草を吹かすとどこであろうともそのにおいが鼻を掠める。
(ザークレスト)
旅の途中、人が消えた町。オヴェリアとマルコを探して走り回った末、現れた刺客との戦いの果てにその姿を見た。
逆光だった。鮮明にはっきりと見えたわけではなかった。
でも。
あれは……あの男だった。
エッセルトの内戦で、袂を別った友。
チサの最期と、殴られた記憶。
「……」
生きていたのかザークレスト……煙草を吹かす。煙に向かって語る。
あの動乱、あの地獄を乗り越えて。あの日からお前も。
「……」
――恨んでいるか?
俺の事を? カーキッドは問う。
チサを死なせた。ザークレストはチサを愛していた。チサだけは逃したいと、生きてほしいと。
(俺も願ってた)
2人、願った。
なのに結局、生き残ったのは虚しく男2人。
一番叶えたかった事を、叶えられなかった。
あの日から、俺は鬼と呼ばれるようになったよ、鬼神だと。
……いいやそれでいいのだと、それこそ相応しいのだと思った。
人には戻れぬ、戻りたくもない。
――狂うまで戦い続ける。
チサが言っていた。カーキッドは思った。ああ、俺は狂っていると。
(墓場に)
あの時あの場所で眠るべきだったのかもしれない。お前はそれを望んでいたのかもしれない。
なのに、見苦しくも生きて。
また戦いを求めて。
まだ戦いを求めて、この剣を振るってる。
(ザーク)
その目は何を映してる?
今お前はどこで何を――。
――灰がポトリと落ちた。
燃えた残りは哀れだった。
人も同じだとカーキッドは思った。
最期はこうして朽ち堕ちる。
そこまで炎が灯せるか? 灰になるほどに。
「……」
己で己を焼くほどに。
燃やし尽くして、果てる事できるか?
燃える事恐れて、じっとして。
湿気て折れるのを待つか?
「……………」
煙草。友が教えてくれた異国の味。
今はここで、横たわる。
運命はわからぬ。この先も。
――確信しか感じない。
この先、必ずザークレストと剣を合わせる事となる。
あいつの手腕はわかってる。
(チサ)
そうなった時自分はどんな剣を振るうのか。カーキッドにはわからなかった。
自分の中の迷いを感じカーキッドは苦笑した。自分にもこんな部分があったのかと。
――竜の血を浴びた黒い剣に、特殊な力はない。ただ、カーキッドの腕にのみ答える。
煙草を一服し城に戻る。
デュランは大臣に呼び出された。マルコは書庫だろう。
さてどうするかと思いぶらついていると、突然目の前に女が飛び出してきた。
「あなたはっ!!」
オヴェリアの侍女だった。フェリーナである。
フェリーナはカーキッドを見つけると、虫でも見るような邪見な顔をした。
「オヴェリア様はどこ!?」
「あん?」
「オヴェリア様をどこにやったの!!?」
掴みかかってきそうな勢いである。カーキッドは面倒臭そうに手を振った。
「知るか」
「待ちなさい、この無礼者」
「……チ」
ほとほと、面倒である。
「オヴェリア様の姿が見えないのよッ」
「便所だろが」
「無礼者ッ!!」
何やら、目の敵にされている。どうにもこの侍女は苦手である。
「剣は部屋にあったか? ちゃんと持ってったか?」
「は? 剣?」
フェリーナは訝し気に眉を寄せる。
「……知らないわ、そんなもの」
「そうかい」
それだけ言ってフェリーナの横をすり抜けた。
「あ、ちょっと」
「風呂場で溺れてないか、見てきてやる」
「ッッ!!! 私が行くから、あんたは引っ込んでなさいッ!!!!」
フェリーナはカーキッドを追い越し、走り去った。
「……何だありゃ」
オヴェリアが行方不明ねぇ?
ポツリと呟き、カーキッドは歩き出した。
心当たりは1つしかないではないか。
ぼんやりとした足取りで城の中を歩いていく。
すれ違う兵士たちは、カーキッドを奇異の目で見る。だがそれは、旅に出る前にここに来た時に感じた物とは少し違っていた。
――姫と共に竜を倒しに向かった。そこに好意的な視線を感じる。
中には仕損じた事に陰口を叩く者もいよう。だがカーキッドは気にならなかった。
階段を降り、吹き抜けに出る。
そこから一度左右を見やる。道は間違っていない。
――あの日も、ここを通った。
歌に導かれた。
その先で、カーキッドは彼女に出会った。
今日は歌声は聞こえない……でも。
――導かれるように。
庭園に出る。
今はそこに、咲き乱れる薔薇はない。
でも見えるようだった。この庭一面に咲く白い薔薇の姿。
その幻の中に、一つだけある確かな物。
一輪の花。
「オヴェリア」
振り返るその瞳と、まっすぐにぶつかり合う。
「カーキッド」
「……」
目が合った。そしてそのまま、なぜか離せなかった。
時間が止まったようだった。
「何、してんだ」
何かに?まれるような感覚がした。それを恐れて、カーキッドは無理矢理その時間を動かした。
「……侍女が探してたぞ」
「フェリーナ?」
「おう」
なぜだか言葉がぎこちなくなる。
カーキッドは自分を叱咤する。おい、待て。こいつはオヴェリアだ。
いつものオヴェリア。
違うのは……着てる物、そして空気。
風に遊ぶ髪。
今更ながらカーキッドは思う。随分と大胆に切ってしまったなと。
後悔はないのだろうかと。
「行き先を言ってこなかった」
「今頃風呂場で叫んでるぞ」
「お風呂? どうして?」
「お前が溺れてるんじゃないかって」
ふっと、オヴェリアが笑った。
「あなたがフェリーナに、妙な事言ってけしかけたんじゃないの?」
「……何でわかる?」
「さぁ、何でかしらね」
――旅に出る前、初めてここで会って話した時。
オヴェリアは旅に出ると言った。竜を倒す旅に、1人ででもと。
カーキッドはそれに皮肉を言った。無理だと。お姫様はここでお姫様をやってろと。
……無理だと、本当に思ったんだ。
こんな姫君がどうして剣を持って、雲の上でふわふわと生きているような存在が、どうして荒野に降り立って、歩いていけるのかと。
竜を前に何ができるのかと。
震えて、終いには食われて終わる。
旅も戦いも何もかもなめている。
そして、そんな世界を見るべきではないと。
美しいものは、美しいものだけを愛でているべきだと。
この純白の姫君を前に……カーキッドは思った。
だが、彼女は本当に旅に出た。
そしてそこで、様々な世界を目の当りにして。
過酷な旅を潜り抜け。
……本当に、竜を前にし逃げる事なく、最後の瞬間まで立ち挑んだのだ。
――あの日から、ここまで。
「また、ここで会うのね」
「……?」
「おかしなものね」
「……」
「本当に、私たち、戻ってきたのね……」
カーキッドは目をそらした。
「生きて、よく戻ってこれたもんだ」
「そうね……本当に」
「お前はいっつも無茶ばかりする」
「え? 私が?」
「どんだけ苦労させられたやら」
「……そんなっ、私はっ……私の方が苦労しました」
「あん? 俺のどこが?」
「だって、だって」
オヴェリアは赤面する。
「……」
「……」
「……」
「……無事に、」
ん? とカーキッドが音だけで返して。
「戻れて、良かった」
「……」
「また、ここに……」
この場所に。
――そう言ったオヴェリアの目から、涙がこぼれ落ちた。
戻った場所は、旅立つ前と同じ場所ではない。
歩んだ分だけもう帰れない。
――父王の葬儀は終わった。彼は歴代王と同じ場所、霊廟の奥深くへ。
もう戻れない。
「良かった」
何が良いのか。
オヴェリアは泣いてる。
笑って、泣いてる。
民衆の前で高らかに父の死を宣言して。この先の道を示して。
誇らしく生きよと、叫んだけれども。
――けれども、彼女は本当は。
「オヴェリア」
ゆっくりと、カーキッドは歩み行く。
オヴェリアの目に少し怯えた色が浮かんだが、構わなかった。
逃げようとした手を掴んだ。
そのまま引き寄せた。
強く、強引なほどに。
「痛い」
そんな叫び、無視した。
……強く抱きたい。
抱きしめた瞬間に、彼女の体がそれに従った。
――抱きしめて欲しいと。
互いが、そう思ったのか。
心が、無意識に反応したのか。
もっと強く、もっと強くと。
「カーキッド」
「……」
何か、たまらない気持ちになった。
彼女が泣いているのがわかった。
泣けばいいと言葉にはしなかった。代わりに少し力を緩めた。
優しく。呼吸がしやすいように。
彼女の腰には剣があった。
旅に出た当初、彼女は剣を持ち歩くのを嫌った。それをしつこくカーキッドは注意した。
いつどこから、何が襲い来るかわからないから。
……今、彼女はわかってる。もうあの日と同じ普通の姫君ではない。
もうあの頃には戻れない。
腰に剣を持つ姫君。これが、彼女の旅の、一つの答えだった。