『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第44章  最後の一線 −1−

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 馬の嘶《いなな》きで気づいた。
 次に響いたのは、怒号。
「退《ど》け、退け―――」
 人々は一斉に振り返る。そして振り返った向こうには赤い赤い夕陽。
 今日はやけに、沈む太陽が赤い。
 いつもこんなか? これほど赤く、
「退け」
 朽ち落ちるように。
 ――疾走する馬。
 転がるように人が道を開けていく。一瞬前までは他人事の光景。
 だがすぐに、目の前に至る現実となる。
「退いてくれ」
 乗り手の悲痛な叫びと。
 町に飛び交う悲鳴。
 ――夕の明かりが照らしてる。
 この国の繁栄の象徴たるこの町を。
 赤く、
 ――暗い、夜の闇の中へと。




  44  


「オヴェリア様ッ!!」
 駆けつけるとそこには、すでに皆が集まっていた。
 オヴェリアに続いて部屋に入ったカーキッドも、場の空気にチラと眉を動かす。
「状況は、どのように?」
 グレンがサッと上座を示すがオヴェリアは取り合わなかった。とにかく全員を見渡し、説明を急《せ》いた。
「先ほど早馬が。極秘にバジリスタ領内に忍び込ませておいた者です。報告によれば、バジリスタ軍が南下を始めたと。北のオリトルス川に沿って南下。国境に向かっている様子」
「第三王子ズファイ率いる天剣騎士団を中心に、各地から軍が集まっている様子。先頭は、ザ・ラム卿率いる軍。総勢は不明、ただし1万は下らぬ様子」
 場にいるのは6人の大臣と、近衛師団長シュリッヒ、他に騎士服を身にまとった者が数名。シュリッヒとカーキッドは一瞬目を合わせたが、特にそれ以上の反応は見せなかった。
「伝令の……兵士は?」
 オヴェリアが問うと地大臣クトゥが答えた。
「今医務室へ。医療団と、デュラン殿が治療に当たっております」
 デュランとマルコがいない、その時点で予想ができた。
「様態は? 無事で?」
 大臣たちは一瞬目を合わせた。
 ――瀕死の状態で兵士が城に駆け込んでいたと聞いた。
 馬は足を一本失っていたにも関わらず全力で駆けていたとも。本来ならあり得ぬ。
「姫」
「……手当を。絶対に、死なせないで」
 もう一度彼女はかすれるような声で言った。
 そしてそれは、数刻の時間稼ぎでもあった。
「御意」
 返答をした大臣たちも同じ。
 考える時間が欲しかった。
 しかし、そのための時間はもう終わったのだと、皆は同時に理解もしていた。
「来たか……」
 ズファイ。
 オヴェリアは唇を噛む。
「オリトルス川を南下とは。20年前と同じか」
 20年前、バジリスタが先手を打って出た国境での紛争。
 オリトルス川の南下からバジリスタ軍はハーランド北部の姉川にまで軍を進めた。
「あの時と同じ。中立区を跨《また》ぎ来るか」
 そこに至るまでには一つの場所がある。永世中立区と呼ばれる場所。通称・テト。20年前の紛争の果てに、平和の協定を結んだ場所でもある。
「愚かな」
「テトは……サンクトゥマリアが眠る聖地」
 そのような場所を兵で踏みにじる。その事態に、信仰の深い文大臣コーリウスは胸に下げた十字架を握り嫌悪を露わにする。
「父親と同じ事をするのか」
「……それだけでは済まぬであろう」
 答えたのはグレンだった。そしてグレンはオヴェリアに目で同意を求めた。
「ズファイはバジリスタ王都を襲った後、直ちに父とそれに繋がる者を惨殺した。……5年前の事、覚えておいでであろう?」
 コーリウスの嫌悪はさらに広がり、吐き捨てるように「忘れぬわ」と言い放った。
 平和協定から15年を経て。改めて、共に平和のために歩もうと言ったヴァロック王に、使者として来ていたズファイが放った「愚かなり」との一言。
 その場は、共に来ていた第一王子と側近のとりなしで事なきを得たが。
「……よりによって、あの王子か」
 武をたしなむ、気性荒き王子。
 グレンもよく覚えている、あの、煮えたぎるような目と笑い声。
 炎のごとく。そして抜身の剣のように。
「とにかく、緊急招集をいたす。シュリッヒ、騎士団長全員を直ちに招集。三公、五卿にも連絡を。事は一刻を争う。急げ」
「は」
 オヴェリアとカーキッドは目を合わせた。
 先にそらしたオヴェリアは、背筋に寒気を感じ一時自身の肘を抱いた。




「状況はッ!」
「わからぬ」
「されど、わかる事もある」
「オリトロス川の南下経路は、先の抗争と同じ」
「ならば終点は、テト北部から、ゴーラウンド」
 僅か半時後に集められるだけの者を集め、玉座の間にて一同会した。
 6人の大臣の他に、近衛兵団を筆頭に騎士団長総勢24名。
 それに加え、大臣経験者など国の重鎮。自身の領地にいる公、並びに卿には矢のように城から馬が飛び立った。
 オヴェリアは玉座に着いた。拒んだがコーリウスに強く言われた。居心地は悪い。あまりにもその椅子は大きすぎる。
(父上)
 父がかつて座っていた場所、ここから見る景色。生涯で、ましてこのような形で見る事になろうとは思ってもいなかった。
 雑然としている。
 飛び交っているのは罵声にも聞こえる様々な意見。言いかえれば不安。
 ……カーキッドは戸口に背をもたれさせ、我関せずの様子でそれを眺めている。こんな言い合いは面倒なだけでしょうねと、オヴェリアは思わず苦笑した。
「20年前と同じ道を辿るか、か」
 オヴェリアの傍らに立つコーリウスが溜息混じりに言った。全員がそれを合図に言葉を鎮めた。
「ズファイ・オーランド・バジリスタ。どのような男か」
「第三王子……末弟」
「父と兄を一気に倒して、か」
「そのような事、バジリスタ本国で許されるはずがあるまい。従う者は少ないと思われる」
「だが各地の兵力がズファイ軍に従っているとの報告」
「先鋒にいるとされるザ・ラム卿は、バジリスタ先王の甥。王の次に権力を握るとされていた」
「何故に」
 音も立てずに扉が開いた。だから誰も気づかなかったが、オヴェリアにはデュランとマルコが入ってきたのが見えた。
 2人はカーキッドを見つけると、その傍に同じように立った。目が合ったので、オヴェリアは小さく頷く。
 手当、ご苦労様……使者はどうなりましたか? そう言いたい。だが飛び交う野次の中、オヴェリアの声はかき消されてしまうであろう。
「とにかく、急ぎ兵の支度を」
「どの程度出される? 場合によっては城が手薄になる」
「本当に攻め込むつもりか? 単なる威嚇ではないのか?」
「ゴーラウンドの地を治めるのは、アークか」
「ならばアーク軍、周辺の領主に火急連絡。ゴーラウンドに兵を集結」
「お待ちください、一つよろしいでしょうか」
 その場に水を差したのは、他ならぬ戸口で傍観していたデュランであった。
「ゴーラウンドのみに兵を集めるのは、早計かと思いますが」
「貴公は?」
「失礼。デュラン・フランシスと申します」
 胸に手を充て一礼をする。
 その姿を上から下まで見たのは、前の地大臣ティマス・ゼント。齢は今年で71、だが大臣を退いた今でもその権威はハーランドに大きく残っている。ヴァロックでさえ軽率には扱えなかった男である。
「オリトルス川南下は20年前と同様。だがそれのみでの判断はできかねると存じます。ズファイ・オーランド・バジリスタが、父と同じ道を歩むとは到底思えません」
「ならば、なんとする」
 場の全員の目がデュランに集まる。オヴェリアは一瞬ヒヤリとした。だがデュラン当人は動じた様子になくいつもの飄々とした笑みを浮かべていた。「まだ、材料がなさすぎる」
「北部には平野が多い、場所を絞るには材料が十分にあらず。だが逆に、向こうも小細工はできない。バジリスタ国境からテト、そしてハーランドの国境までに裏をかけるような場所はない。オリトルス南下の道を使うのならば、そうした平野の中にどうしてもぶち当たる。敵の位置も見つけやすい。国境線に軍を点在させた上で、敵位置を把握、そこから動くのが良策かと存じる。ゴーラウンドに全軍を配備しては、万一東の極端に抜けられた際に手が及ばなくなる」
 ティマス・ゼントが黙るのを見て、デュランはオヴェリアに目を向けた。
「北部の平野ならば向こうもそうですが、つまるところこちらにも小細工はできません。すなわち、両軍真正面からの衝突になりましょう」
 開戦は、正面から。
 そして正面から向き合うというのならば。
「……私も出ます」
 初めて口を開いた玉座の姫に、全員が振り返った。
「ズファイが来るなら、私が正面に立ちましょう」
「何を仰せか!」
「戦術、規模、軍備、配置……私には何もわかりません」
 コーリウスを遮るようにオヴェリアは言った。
「私は……代わりにはなれない」
 飾りにすら及ばないのはわかっているけれども。
「父の代わりに、私が一番前に」
 武王として名高かった、父ヴァロック・ウィル・ハーランド。
 その人亡き今。
 そしてその人を葬ったのが、叔父であり、バジリスタだというのならば。この国に牙を剥いてくるというのならば。
「私が立ちます」
 逃げられない。そして、
 逃げたくない。
「……」
「……」
 誰も何も言えない。
 か弱き姫だと、そう思ってきた。まだ目立たぬ幼い姫だと。
 だが違う、もう違うのだ。
 ――いいや、誰も知らぬだけでずっと前から彼女は、覚悟を背負って。
 父と母の持つ覚悟を、たった1人で、背負う覚悟を決めていて。
 すべてを制し。
 自分自身でこの国の危機を知り、目の当たりにして。
 振り払い、
 涙しながら。
 竜にも、立ち向かったのだ。
 その旅は、大の男とて恐らく足がすくむであろう道のり。
「前線の指揮は私が取りましょう」
 グレンが言った。それにも騒めきが起こった。武大臣自らが戦地に向かうとは。否、姫が向かう事に比べれば小さな事ではあるが。
 現実を否定しようとする者がこの場にはいた。楽観視する者、他の者に任せてその場を逃れようとする者も。
 そんな中、戦地に向かうと言った少女は、本当の戦場を知らぬのだとは――誰にも言えない。
 美しい花よりも。
 ――むしろ荒野を知らぬのは、己たちの方なのだと。


  ◇


「戦地に向かわれる……?」
 出立は明朝。
 馬で駆ける。大至急故郷へ。
「なぜ、なぜ姫様がッ……」
 出立の準備をする傍ら、フェリーナは絶句した。
「なぜ!!」
 そして絶叫した。
「やめてくださいませ、姫様。行かないで」
「まだ、戦地になるとは決まってないわ」
 オヴェリアは苦笑した。
「できれば、食い止めたい。……ズファイと話し合いたい」
「そんな事、グレン様に任せればよいです!!」
 フェリーナはオヴェリアの肩を掴んだ。
「戦場は男の場所です!! 姫様が行くような所ではありません!!」
「ん」
 と、オヴェリアは喉を鳴らして。「ありがとう」と笑って見せた。
 フェリーナはその笑顔にむしろ腹を立てた。
「グレン様に抗議します」
「やめて、フェリーナ」
「だって!!」
「……ズファイがくるなら、私しか」
 話す相手はいないのだと、オヴェリアは思った。
 旅の途中で会ったあの男。あの目は忘れられない。バジリスタの国旗にも描かれる天を突く剣。あの男はそれを自らの身の中に宿している。
 ならば自分は? とオヴェリアは考える。
 ――この国が抱く白い薔薇。
 美しく、そして同時に、鋭い棘も持つ。
 ――そしてその花は、人を選ぶ。
「大丈夫、心配しないで」
「無理です」
「フェリーナ」
「……無理です。姫様」
「泣かないで」
「私も着いていきます」
「だめよ、それは」
「だって、姫様」
「ここで待ってて。待っててくれる人がいないと、戻ってこれないわ」
「男みたいな事をおっしゃいます」
「……そうかしらね」
「姫様は、私にとって、」
「……大丈夫よ。ね?」
 ギュッと抱きしめて。
 もう、自分には父も母もいないけれども。
「フェリーナの事、家族だって思ってるから」
「……姫様……」
「たった1人の……置いていかないから」
「……」
 置いていくのだと、フェリーナは思った。
 ――翌朝、城門が開け放たれ、兵士が城を飛び出した。
 その中に、オヴェリアの姿もあった。
 白い鎧を見に包み、グレンと共に馬に乗る姿。
 それを見て、フェリーナは思った。また置いて行かれたと。
 共に戦えない事が、辛くて。寂しくて。
 だから、
「絶対に」
 出立間際、カーキッドを捕まえた。
 呑気に煙草を吹かしていたその背中を思い切り叩き、胸倉を掴んだ。男にそんな事をしたのは彼女の生涯で初めての事だった。
 ただ必死だった。それだけの想いだった。
「姫様を守れ」
「……」
 そしてカーキッドは一瞬不思議そうにフェリーナを見下ろしたが、怒る事なくむしろ笑って。
「へいへい」
 その腕から振り払う事なく逃れて。
 泣きそうになってるフェリーナの頭を、肩をポンと一つ叩いた。
「絶対だぞ」
 笑いながら去って行くカーキッドの背中を見て、フェリーナは思った。ああ、あの男、今、オヴェリア様と同じ顔をしていたと。
「……悔しい」
 でも。
「……守って」
 ――どうか、神よ。
 いいや。
 どうか自らの力ですべて、跳ね返してと。

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