『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

目次    次へ

 第45章  微睡の月 −1−

しおりを挟む


  45

「見えた」
 デュランが叫んだ。それに促され、オヴェリアは地平線に目を走らせた。
 凝らし見る。しばらくしてオヴェリアの目にも小さな光のような物がおぼろに点在しているのがわかった。
「動いている。……中々の速力がある」
 馬を操るデュラン、その背に掴まりオヴェリアはその声を聞いた。
「わかるのですか?」
 問うたが、デュランは答えなかった。
「マルコ!! 捉えるぞ」
 その代わり、並走するもう一頭の馬を振り返った。
「はい!!」
 しっかりと返事をするマルコの背中で、カーキッドは瞬きもせずに遠方を見据えていた。
「姫様、しっかり掴まってください」
「ええ」
 言われるまま、オヴェリアはデュランの背に強く掴まった。その感触はカーキッドのそれとは違う。だが彼もひ弱な神父ではない。
 ここまで共に旅をして、どれだけ彼が傷を負ってきたか。
「デュラン様、」
 何か言いかけ、だがオヴェリアは言葉を飲み込んだ。
「姫様」
 その代りにデュランが答える。
「必ず追いつきます」
「……、ええ」
 デュランが手綱を締める。馬が一層脚力を上げる。取り巻く世界は風の中だった。
 星も月も見えない。平原も山も川も。
 時の流れすら、追い越さんとするように。
 ――速く。
 もっと、速くと。
 願う傍らでオヴェリアは、一抹の不安を覚えた。
 そして、光は徐々に近くなっていく。光と共に馬の輪郭が見え、
「――」
 声が聞こえた頃に。
 風の中にデュランの詠唱が聞こえてきた。幾度か彼が唱える言葉は美しい歌のようだと思ってきたが。
 今日は違う、いつも以上に鋭く。
 音が一つ、低く抜けていく。
 そう思った瞬間に、もう術は解き放たれた。彼の片腕から解放された炎が前方の馬を捉える。
 待って、もしかしたらこれは友軍かもしれない――オヴェリアの中で一瞬そんな希望のような恐怖が押し寄せたが。
 デュランの炎は迷わず陣形の中央を掻っ捌く。そして赤い光にさらされた黒い騎士たちが幾つか転がり落ちるのが見えた。友軍の兵士にあのような鎧をまとう者はいない。
 陣形は乱れた。だがそこから兵士がこちらに流れてくる。
 迷っている時間はない。
 先回りするように、マルコの馬がオヴェリアの前を駆け抜けて行く。一瞬カーキッドと目があった。彼はすでに剣を抜き放っていた。
「討つぞ」
 4人で。この一軍。
 オヴェリアも剣を抜く。
 進め、という怒号が聞こえる。その中で、陣形が2つに分かれた。
 この先にはグレン率いるハーランドの本陣。否、このまま走ればハーランドの内部への侵入も可能。
 どこが目的地かわからない以上は、
「我は、ハーランド王女オヴェリア・リザ・ハーランド!!」
 ここで止めなければならない。
「いかなる軍であろうとも、我が国への無断での侵入は暴挙」
 軍の流れが一つ、惑う。
「止まらぬならば、ここで討つ」
 進軍、分かれた陣形の1つが曲線を描いて。
 ――兵士が抜刀する。
 先に駆けだした馬が目と鼻の先に。
 月が闇の中にも照らし出す殺意。
「エリトモラディーヌッ」
 近接で解き放った炎により、オヴェリアとデュランの馬も後ろへ飛ばされる。
 振り落とされるほどではない。反動を利用して逆に再び走り出す。
「オヴェリア・リザ・ハーランド」
 耳元で誰かの声が聞こえた。振り下ろされる剣を走りながら白薔薇の剣で受け止める。
 馬上の戦いなどオヴェリアは経験がない。投げ出されないようにデュランに掴まりながら、片手だけでは力が入りきらない。
 歯を食いしばり、一刀を跳ね除ける。見知らぬ誰かに呼ばれた名前が、生暖かい余韻を残して耳に残り吐き気がした。
 敵意、的。向けられるように仕向けたのは自分。
 ああ、こういう事かとオヴェリアは思った。
(この先、自分は)
「ハーランドのオヴェリア王女だッ!!」
「1、2番隊はこのまま進めッ!!! 残りはオヴェリアを捕えろッ!!!」
「デュラン様、すいません」
 走りながらオヴェリアは言った。
「姫様は人気ですな」
 デュランが、場違いに笑った。
「さすが、我らの姫様だ」
「何1人目立ってんだ、馬鹿野郎」
 そこへ、カーキッドとマルコが戻ってくる。オヴェリアの後ろにつけていた一頭を、カーキッドが横薙ぎに断ち切る。
「マルコ!! 降ろせ」
「えッ!?」
「馬の上は、やっぱり好かねぇ」
 言うなりカーキッドは馬上から飛び降りた。
「ほれみろ、やっぱり地面の上の方が、」
 駆け込んでくる幾つかの馬。その上に乗る騎士は格好の獲物と見定め剣を斜めに伸ばし、その速力を味方につけてカーキッドの首をそのまま跳ね飛ばさんとしたが。
 男はニヤリと笑い。
 その一刀を両手で受け止める。揺らいだのは馬の方。
 その刹那に多方向から突きの形でカーキッドへ幾つかの切っ先が向けられる。
 ――たたら踏んだ馬の首の下に潜り込み、足を蹴飛ばしながら。
 デュランが即興の術を叩き込む。風と炎を掛け合わせて作った爆裂音に、馬が驚き足を止める。
 速度が死ねば、剣はその力を半減させる。騎馬戦の一番の優劣は速力。足が生み出すその力、剣がそれを食らうのだ。
 走るデュランの背中、風を味方に剣を躍らせる。もともと速度のあるオヴェリアの剣。もしここでその力を味方にする術を身につけたならば、その力は一段増す。
 カーキッドを失ったマルコは一時そのままオヴェリアたちの傍を離れたが、自分に何ができるか考えた。考えなければならないと思った。今両手は塞がり、白墨で円を描く事などできない。
 でも、肝心な時にたった1人何もできずに終わりたくない。そんな後悔、二度としたくない。
「我ここに、魂を刻む」
 とにかく刻んで。
 馬よ、走って。
 ――カーキッドは仁王立ちのままに、ニヤリと笑った。
 斬りかかってくる何も知らない馬上の戦士はその姿に一瞬好機を見るが、すぐにその考えが間違いだと悟る。
 この男に小手先の剣は通用しない。馬の速度だけを頼りにしているようでは。
 返し手から押し戻されて、動揺する暇もなく馬の腹ごと黒い剣は下から旋風のように人を丸ごと斬り結ぶ。
 馬から落とされた戦士を拾い上げて、来る一兵の盾として。
 その側面を、マルコの馬が疾風の如く疾走する。
「行きますッ!!!」
 少年の叫び、それだけで通じるものがある。オヴェリアたちは3人は瞬間的に動いた。
 刹那、耳が一瞬真っ白になるかのような爆音が響いた。
 音に反応するのは、人より馬。
 歩を止めた、一気にオヴェリアは畳みかける。
 デュランが走る。オヴェリアの剣と、速度、振り感、感覚的に何が一番いい所かを見極めていく。
 オヴェリアの剣が走る事できる場所へ。
 オヴェリアがその力を発揮できる速さを。
 デュランは絶妙にそれを調節しながら、自身も術の詠唱を始める。
 ――ただし、息が切れてきた。表情には出さないが動悸も酷い。
 デュランにはわかっていた。
 でも、絞り出して。
 ――体が半分、何かしらに飲み込まれていく感触を。
「敵はたった3人だぞ――」
 どこかでしたその叫びに、カーキッドは苦笑した。
「マルコー、数に入れられてないぞ」
「ぼ、僕ですか!?」
 マルコが遠くから呻く。陣が描けない以上、本格的な水の術は使えない。デュランに教わった術を元に空気に架空で陣を描いてみたが。
「カーキッドさんじゃないですか!?」
「は? 俺が数に入ってないって?」
 存外うまくいったので、マルコの口から軽口が飛び出す。
「俺を数に入れてないとしたら……ボンクラとしか言いようがねぇな」
 ニヤリと笑ったカーキッドの剣が、一層の狂気となって翻り。
 馬だろうが、人だろうが、走り来ようが立ち止まっていようが、その黒い剣は獲物を求めて闇の中を踊る。
 まるでその様は、そこに生き様を描いているかのようだった。
 オヴェリアも、走るうちに少しずつ歯車が合うような感覚を覚えた。
 地上とは違う、的確に的を得なければ敵が倒せないのではない。
 一つの場所、一つの糸を切れば、簡単に相手はもろく崩れて行く事に気づく。
 そして次第にその感覚の中に、言いようのない合致感を見出す。
 闇しかないのに、まるで目の前に光が見えるようだった。
 ――再び爆音が辺りを占める。そこに、デュランが、
「目を!!」
 いつも以上に色を染めた炎という光を解き放つ。
 赤も白も、まばゆいだけ。
「退け――」
「進め!!」
 2つの命令系統が混乱をしている。
「馬鹿な、こんな事が」
 陣から離れる数騎目がけ、デュランが術を解き放った。
「オヴェリア、無事かッ!?」
「あなたは!?」
「誰に物言ってやがる」
「このまま一気に落すぞッ!!」
 敵兵はオヴェリアたちに背を向け始める。
 それを追い駆けようとしたデュランは、咄嗟に振り返る。
「デュラン様?」
 オヴェリアはハッとした。見たデュランの目が一瞬赤く光ったような、
「――来ます」
 後方。
 言葉を失ったオヴェリアは、それでも振り返ろうとして。
 その瞬間と。
 一つの声が重なった。
「アズハ=\―――」
 誰が言った何の言葉か。
 わからぬままに、結論は。
 気づいた時には、剣の切っ先が、オヴェリアと目と鼻の先にあった。
「姫様ッ」
 間髪、デュランが馬を捻る。だがそんな簡単な物ではない。オヴェリアが切っ先をかわす事はできたが、代わりにデュランが馬上から投げ出された。
「デュラン!!」
 急ぎカーキッドが走る。
 それを好機と見た兵士もいたが。
「退け!! 構うなッ!!」
 全滅を避けた敵軍に代わり。
 そこに現れたのは、闇。
 馬上に一人残されたオヴェリアに向かい、その闇はさらに剣を叩き込んできた。
 オヴェリアは咄嗟に馬の手綱を取った。だが、先ほどまでとは勝手が違う。自分で馬を操りながら剣をも振り回せるほどオヴェリアはここに熟してはいない。
 そしてその相手は、そんな彼女を許すわけがない。
 馬がまず、凶刃の前にさらされた。ひどいいななきが空気を襲った。正気で聞いていられるものではなかった。
 それから暴れだした所をどうにかオヴェリアは飛び降りたが、肩から落下した。かろうじて握っていた白薔薇の剣を持ち上げる暇もなく、馬上より剣が突き出される。
 白い馬だ、とオヴェリアは思った。
 だがそれも一瞬の事。視界は巨大な影によって遮られる。
 カーキッドであった。
 金属音が反響する。交わった2つの剣と、刹那、弾かれた剣の主はオヴェリアたちの隣をすり抜けていく。
 しかしここで終わるわけがない。遠巻きに距離を取り、方向を代え、馬の頭がこちらを向いた。
「あいつか」
 とカーキッドが言った。苦々しい声だった。
「デュランさん!!!」
 マルコが叫んでいる。オヴェリアはデュランの様子を気にしながら、肩を抑えた。利き腕はかばったが、地面に当たった衝撃で上がらなくなっていた。
「面倒くせぇな」
 白い馬。
 その馬上には、黒塗りの一つの影。
 その人物をオヴェリアは知っている。思えば、竜を目指す旅の中にその影は常にあった。
 最初に会ったのはフォルスト。オヴェリアはそこでその者から手傷を負った。絶体絶命のギリギリを救ったのは、瀕死のデュランであった。
 次に会ったのは、カスミソウの畑で。
 ――もう、顔を覆う頭巾は要らぬと言うように、その者は顔をさらしている。黒髪が揺れている。
 人がいなくなった町でカーキッドは対峙しギリギリの所を逃げられ。
 最後に会ったのはエンドリアの攻防戦の最中。
 ――女だ。
 ずっとオヴェリアを狙い続けている刺客、その中でも手練れ中の手練れ。オヴェリアもカーキッドも未だ完全に退ける事が出来ないほどの。カーキッドさえも、その手腕を認める女。
「……アズハ、さん」
 マルコが呟いた。
 その音をさっきも聞いたと、痛みの中オヴェリアはどこか遠い事のように思った。

しおりを挟む

 

目次    次へ