『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第46章  群青 −1−

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 46


 ――元凶がどこにあったのか、今となっては知る由よしもない。
『この事は誰にも言ってはなりません』
 思い出される、悲しい光景。
『しかしッ、――姫』
『この抗争は直に終わる。あの方が終わらせてくれる……そうでしょう?』
 あの場あの瞬間、すべては皮肉だったとしか言いようがない。
『だからお願い……グレン様』
『もういい、姫様、手当を』
 神は何をさせたかった? あの人と交わした、2人だけの思い。
『……終わらせてくださいませ、グレン様……お願い……』
 2人だけの……約束。




「殿」
 呼び声にグレンが振り返る。篝火かがりびの光が眼光を染める。
「報告は」
「未だ非ず。姫様の動向も」
 ハーランドの陣営を抜け出したオヴェリアが、国境のアーク陣営にいるという報告は、アーク卿からの早馬でグレンの耳にも入っていた。
 内心は、やはり行ったかと思った。じっとしていられる気性ではなかったかと。
 周りの者は唖然としていたが、グレンは逆に笑った。
 オヴェリア・リザ・ハーランドという姫君。彼女がどういう性分かをこの国で唯一知っているのはグレンだ。他の大臣たちは以前はよく、大人しい物静かな姫君だと言っていた。だがそんな物は本当の姿ではない。
 もう随分前からわかっていた。その内に眠る確固とした物。揺るぎなき信念。
 焔と言ってしまうには易しすぎる、あれは剣と言い換えてもいいほどに。
「しかし……遅いですな」
 グレンの側近サイラスが地鳴りによく似た声で言った。
「当に戻ってきていいものを」
 アーク陣に放った馬が戻らない。
 前線と最後尾と言っても、1日とかかる距離ではない。しかし馬は戻らない。
 そして何より気になるのは、北の空に垣間見えた光と煙。
 始まったのか? とグレンは思った。しかしまだ陣は動かさない。他の陣営が動いている、容易に本陣が動いてはならない。
(しかしあの光は一体)
 伝令がなくとも、何かが起こっているのだけはわかる。
「全軍に警戒を怠らぬように指示を」
 全軍合わせて5000程度、このハーランド本陣は大よそ1500。
 無論これがハーランド国内の全勢力ではない。北方と各領地の警備を差引き、最低限の急場で集められた数である。
 物々しく対決の姿勢を見せれば、必要以上に相手を威嚇する事になる。グレン以外の大臣が皆そう唱えた事によりこの数となったが、グレンは最後まで倍は必要と唱え続けた。
 さて、どうなるかとグレンが思い描いた時。
「伝令!! 北方に馬影」
 けたたましく兵士が駆けてくる。辺りにいた他の兵士たちの間に緊張が走る。
 来たか、とグレンは眉間にしわを寄せたが。
 ――待て、と誰かに言われた気がした。
 北方? 正面?
「待て、陣を、」
 左右と、否、背後に警戒を――そう叫ぼうとした刹那。
 パッと視界に、花が開いた。
 無論この闇の中に開く花など稀有。まして人の身体を苗床にする花などない。
 だから、それは炎。
 火矢だ、と気づいた次の瞬間には。
「敵襲――!!!」
 空から無数の光が降り注いだ。
 グレンは剣を抜き放ちそれを散らす。だが視界の隅で兵士たちが射抜かれ倒れて行く。
「火を潰せッ!!」
 サイラスの怒号が飛ぶ。
 この矢はどこから? ここは小高い丘の上、上からの狙い撃ちではない。
 ――熱い。
 何かの感覚が、グレンの中で蘇って行く。空を見上げる。矢が止まった。かといって星を見ている余裕はない。
 視線を八方へ飛ばす。混乱はまだ陣内に渦を巻いている。
 ――否、本当の混乱は、
「火がッ」
 血相を変えて飛び込んできた兵士に、辺りは一瞬息を止めて振り返った。
「我が陣がッ……火に、囲まれています……ッ!!!」
 ――ハーランド本陣。
「全方位、火をかけられました!!」
「馬鹿な」
「敵襲――ッッ!!!! 敵方騎馬隊――ッ!!!!!」
 敵陣を炎で囲んで、そこへ兵士を突入させる。
にわかにグレンは笑った。中々の策だ。
「殿」
 サイラスを振り返った時にはグレンの表情から笑みは消えていた。
「突破する。全員俺に続け」
 グレンの言葉に、その場の士気が一気に上がった。
 グレン・スコール、その名を知らぬ者はこの国にいない。武大臣にして、王国最強の呼び声も高い剣士。彼が築いた薔薇の御前試合最多の優勝回数は、未だ誰にも破られる事なく続いている。
 彼が御前試合に出なくなり数年。表舞台で彼の剣技を見る事は叶わなくなってしまったが。
 ――皮肉にも、こんな場所で。
 剣が赤に、瞬きをするように。
 瞬間的な残像を残し、グレンが走り出した。
「続け――!!」
 サイラスの声と、兵士たちの叫び。
 駆け行く、景色が通り過ぎる、目の端に様々な物が流れては消えて。
 ――断末魔の声を頼りに走った末に、騎馬の姿を見た。
 やはりこれは皮肉だ、とグレンは思った。
(心臓が鳴っている)
 切っ先は空気をすり抜けて馬を捉える。
 暴れ馬から転げ落ちた瞬間の騎士をまず一刀突き刺して。
 その感触に、俄かに思いがこみ上げるが。
「突破するぞ!!」
 叫んだ傍から、馬が襲い掛かる。
 馬上の敵を相手にするには、その何倍もの技量が必要になる。
 上から振り下ろされる剣にはまともに合わせない。避けて馬の脚を斬りつける。
 乱れた足並みが仲間の兵士を巻き込んでいく。逃げろと心の中で念じて振り返ると、すぐ目の前に狂ったような馬の鼻面はなづらがあった。
 転げるように逃げた先には炎の海。
 その炎の中から数頭の馬が飛び込んでくる。
 瞬間的に避けたが、その先に剣が待ち構えていた。切っ先を受ける前にサイラスが弾き飛ばす。
 グレンは武人として決して小柄ではない。だがこのサイラスという男はグレンを勝る長身と体格。グレンにとってヴァロックを除いて、最も信頼している男である。
「殿、」
「いかんな、体が動かん」
 立ち上がりながら戦局をさっと眺める。辺りは完全に混乱に呑まれた。仲間の騎士たちが炎の中で、どこもかしこも入り乱れ戦っている。
「俺も歳だ」
 言いながら、口の端に笑みを浮かべて駆け出す。
 仲間の喉を突いた敵騎士を蹴飛ばして、倒れる前に斬り倒す。
 後ろから斬り来た者を斜めに避けて、下から兜の隙間を狙って突く。
 骨の位置を理解していなければ、突いた剣は簡単に抜けない。
 血糊ちのりが宙を舞い踊る中、回転させて次の敵へ。
 鎧のつなぎ目、足首を斬って。
 狂わずとも戦はできるのだと言わんばかりに、一文字に結んだ口が開くのは仲間を鼓舞する時だけ。
「炎の外へ」
 だがそれを拒むように敵軍は次から次へと中へ飛び込んでくる。
 炎など恐れぬと、待ち構える敵など恐れぬとかのように。
 その証拠に、彼らの目は。
(おかしい)
 何人目の敵を斬った時か、不意にグレンは思った。
 ――そう、目だ。
 何かを感じ、グレンは斬りかかってきた敵兵の腕のつなぎ目を狙い斬り落とした。
 敵兵は叫び声を上げた。だがグレンはその胸倉を掴んで、目の前にピタリと剣の切っ先を突きつけた。
 握り拳ほどの距離にある死を前に、だが敵兵の目は。
「殿ッ!!」
 背中に殺気を感じ、グレンは敵兵を放り出して仕留めた。
「どうかされましたか」
 普段決して荒げる事のないサイラスの声が、微妙に強くなっている。
「おかしい」
 目の前に落馬した騎士。狂ったようにハーランド兵に斬りかかる姿があった。その後方ではまた、火を乗り越えて飛び込んでくる姿が。
 火は勢いを増している。今飛び込めば単純には済まない。まず馬が焼かれ悶える。馬上の騎士はそれに振り落とされる。だがそこから起き上がり、ハーランド兵へと向かっていく。
 落馬の衝撃が体の節々に出ている。動きがおかしい。それでも。
 火を飛び越えて。たとえその身を焼かれて炎が立ち上っていたとしても。
 叫び声が狂喜にも聞こえる。
 仲間の兵士たちはそれにおののき、後退をする。
「何たる、」
 サイラスが呻く。
「……恐怖がない」
 ポツリと言ったグレンに、サイラスは無言で振り返った。
「炎を突っ切る。ここにいてはまずい」
 敵と炎、まして煙にやられる。グレンは口元を抑え、先を示した。
「突っ切るぞ」
 続けと反響を生んだその声に、周囲の兵士たちが呼応する。だがその兵士たちに、敵兵は猛然と襲い掛かる。
 やはりおかしい。敵兵を斬りながらグレンは目を細める。一つの判断を下す。
「敵兵に構うな! まずは外へ」
 喉に煙が塊のように入ってきた。一瞬むせそうになる。そこを敵兵が3人同時に突いてきた。
 だが相手はグレンである。ギリギリでかわし、斬り捨てる。最後の兵士は煙ごと突いた。
 ――煙の中に甘い匂いがした。
「殿」
「サイラス、道を作るぞ。このままではまずい」
 瞬間的にした叫び声は、歪みをもって聞こえた。
 声が炎の轟音によって捻じ曲げられているのか。
 ――否、違う。グレンは咄嗟に振り返った。
 陽炎が立ち込めている。
 仲間の兵士が、2人、倒れて行くのを見た。
 そして今1人。
 崩れて行く姿を前に、だがグレンはその場に茫然と立ち尽くした。
 ――炎の中に、男が一人立っている。
 それは、見覚えのある男。
 眼光は赤。違う、彼の目は本当は青。
 ――彼女と同じ色だった。
「あれは、」
 サイラスの呟きが、一種の魔術のように。
グレンの視界と脳裏、すべての光景が滑走する。
 何かに置いて行かれるような感覚は、どこか渇望と。
 戦慄と。
 恐怖以上の、熱に。
「……」
 グレンは持っている剣をすっと下へ動かした。
 男は黒塗りのマントを翻し笑った。
「カーネル」
 ――アイザック・レン・カーネル。
 その男が今、グレンの目の前に立っていた。

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