『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第48章 約束 −2−
――教皇。
現サンクトゥマリア大教会において、頂点に立つ人物。
ずっと、オヴェリアは思っていた。
「叶うなら、直接話をお聞きしたい……」
本当にすべてが、その人物の意思であるのかと。
「枢機卿ドルターナ・ウィグル……」
グレンが視線を落とす。
「姫様達は彼奴に会ったのでしたな」
視線で頷く。
「ドルターナ卿は、竜を求めていました」
デュランが呟く。
――事の発端は、竜。
マルコの父ビル・アールグレイとアンナ・アールグレイが成功した、竜を蘇らせる術すべ。
そこにあったのは竜に会いたいという純粋な想い。だが2人は異形の蟲を造った容疑にかけられて処断された。
「かつてマルコの両親が成したという竜を生み出す方法……そして闇の魔術をも使って極秘裏に行われていた実験」
その過程で何かがあった、そして何かが足りなかったのだ。今一歩の何かが。
だからマルコはドルターナに捕らえられ、禁忌の術にかけられた。ビルとアンナが残した唯一の鍵として。
少年が掛けられたのは、心を覗くという、ある一定の役職にのみ使用を許された術。
枢機卿が幼い少年の心に何を求めたのかは、わからぬまま今に至る。
だがそれが正しい事だとはオヴェリア達には思えなかった。
あの異形の数々を見れば。
「教会が最初に竜を作ろうとしたとギル・ティモは言っていました……その過程で生み出されたのか、それとも全く別の物だったのか……私たちは数々の異形を見てきました」
何だろうと、根幹は同じ。
それは命を掛け合わせて作られた物たち。
戦い過ぎたこの腕と、この心が叫ぶ。
「そして教会は、バジリスタと通じている……」
ズファイの蜂起の裏に控えている魔導士。
「教会も……この国の滅びを願っているのか」
サンクトゥマリアに守られているというハーランドの国。その魂を崇める教会までも、本当にこの国の滅びを願っているのか?
教皇が自らの意思で。
「聞きたい」
何を願い。どこまでが本当で。
どこに心があって、何を求めているのか。
枢機卿の顔が浮かぶ。禍々しいと思う。
元々彼はハーランドの貴族であった。そこからハーランドと教会の橋渡しとしてその役を担っていたはずなのに。
なぜ、滅びを求める?
なぜ……とオヴェリアは沈む。
「教皇のお考えが聞きたい」
オヴェリアに全員の視線が注がれた。
「巷では、最近教皇のお姿が見られぬと言われておりますな」
グレンが言った。それにデュランも同意した。
「すべての教会を統治する総主教庁があるガリオスでは、日に1度定例で教皇の御言葉が民に向けて発布されます。最近はお体がよろしくないようで、ほとんど書面か、枢機卿が変わりを勤めて見えた。幾度かお姿を見かけた事もあるが、目深にフードをかぶられ、しかと拝眉する事も叶わず」
「私がお会いしたのも……一昨年でしたか」
父と共にガリオスに訪れた事があった。2年に1度、ハーランド王はその地に訪れ、サンクトゥマリアの洗礼を受けねばならない決まりになっている。
「あの時も……そう、お言葉はなかった。お顔を見る事も……」
「現教皇は御年幾つだったか」
誰もが首を横に振る。わかっている事は、教皇は歴代女性だという事。
「20年前の紛争の際、我が国とバジリスタを取り持ったのは教会」
グレンが腕を組む。
「此度こたびの事も、仲裁を頼むのが一番の良策だが」
「教会がバジリスタ側だとすれば、それも叶わぬと」
「……だとすれば、だ」
グレンの目に別の光が宿り始める。
「別の道を探さねばならない」
別の道、それはすなわち、教会をも敵とする覚悟。
意味するところは。
「……宗教ってぇのは、面倒くせぇ」
ため息を吐きながら、カーキッドが初めて口を挟んだ。
「神様なんぞどこにも存在しないのによ」
「神は人の心に宿っている。本当は、それでこそ良いのだ」
うんざりした様子のカーキッドに、デュランが諭すように言った。
「己の内の心に従う事。迷う時は、胸に問えばいい」
「答えない神様にか」
「答えずとも、己で道は開ける。人にはその強さが与えられている」
「……相変わらず、神父の説法とは思えんな」
苦笑するカーキッドに、デュランは胸を張って言った。
「どう説法しようが、それもまた自由だ」
カーキッドはそれ以上何も言わず、目を伏せた。
オヴェリアは一瞬そんな男を見つめ、
「私が教皇に意思を確かめに参ります」
もし教会がバジリスタに本当に添うているのなら、今この国を取り巻いている状況の見え方も変わってくる。
教会をも敵に回すという事。
民衆は教会を信奉している。それはいわんや、サンクトゥマリアの事を。
そうなった時オヴェリアは? いかにサンクトゥマリアの剣を持とうとも。
「私が参ります」
グレンが言った。
「デュラン殿と私が」
「いえ、クレン、今あなたはここに必要」
「……しかし、」
「戦局はどう動くかわからない。叔父上がどう動くか、中に入り込んだバジリスタ軍がどう動くか……ズファイの動きもわからない」
「姫、」
「でも、あなたがいれば何とかなる」
逆にねグレン、とオヴェリアは深く瞬きをした。
「私がいなくても、あなたさえいれば」
「……」
「各領地に伝令を飛ばして。五卿、ハーランドを支えるすべての者たちに。武大臣たるあなたは、同時に、父の側近。信頼も厚い。恐らく今、全軍を従えるために必要なのは私じゃなく、あなた」
「……馬鹿な事を」
「わかっているでしょう?」
「……」
「逆に、教皇に会えるとしたら私しかいない」
オヴェリアは笑った。グレンはわかっていない、自分が今どのような顔で姫を見ているか。
「ハーランドを守って」
「……姫」
「私もハーランドを……いえ、ここに住まうすべての者たちが安寧に暮らせるように尽くす」
「……」
「お願い、グレン」
オヴェリアは男の手を取った。その手は思いのほか冷たかった。
「姫……」
よっこいせ、と一声上げてカーキッドがテントを後にする。
「マルコ、荷物まとめるぞ」
「はい」
弾けるようにマルコも立ち上がる。
オヴェリアはその背を振り返り、何か言おうとしたがやめた。返ってくる返事がわかったから。
「……」
こみ上げるように瞳を閉じ、頭を下げる。
「必ず御守りします」
デュランがグレンに向かって力強く言った。
「……お頼み申す」
嗚呼、とオヴェリアは思った。
強く、強く――。
◇
総主教庁があるガリオスの地へ。
まとめた荷物を馬に括り付ける。馬はマルコにとてもよく懐いている。
それを眺め、白薔薇の剣を腰に差す。
それだけで体幹が伸びる。重みも違和感も何もない。もう、体の一部であるかのようだ。
少し空が、金色を帯び始めている。
今日の夕空は赤よりも金が占めるのか。
だとしても、何も変わらない。
西の空を眺め見る。
冷たい風が頬を揺らし髪を乱した。
「姫様」
カーキッド達が最後の積み荷を持って戻ってきたら出発だ。
そんな中、現れたのはグレンであった。
「グレン、体が」
紺の騎士服を袖を通さず肩に引っ掛け歩き来る男に、オヴェリアは慌てて駆け寄った。
「安静にしていなければ」
「大丈夫でございます」
グレンは笑みを浮かべた。その笑みは強く、オヴェリアが幼い頃から見てきたものと何ら変わらなかった。
この笑みを見ると安堵する。
どんな状況でも、彼が大丈夫と言えば大丈夫に思える。
剣の師。
「グレン」
ずっと彼の背中を見てきた。父の背中と同じくらいグレンの背中も。
「冷えますな。ガリオスは雪でございましょう」
「うん……」
「これをお持ちなさい。首にしっかりと巻かれませ」
手渡されたのは、グレンが愛用している襟巻。
「あなたが冷えるわ」
「私は代わりの物を巻き付けておりますゆえに」
グレンは自分の身体に巻かれた包帯を指し、大きく笑った。
「姫は……強くなられましたな」
ひとしきり笑うと、グレンはすっと瞼を伏せた。
「大きくなられました」
いいえ、私はとても……オヴェリアはそう言おうとしたが。
グレンの目が優しかった。
オヴェリアはその目を見つめた。ずっと。
――脳裏に、初めて彼の元へ行った時の事を思い出した。
登城していたグレンを捕まえて、
『剣術を教えてくださいませ』
よく覚えている。暑い暑い夏の日だった。愚かな事だと一蹴されたのは、ついこの間の事。
「旅の最中、カーキッドから手紙が何度か届きましてな。何食べさせたらあんなに強くなるんだとか恨み節がつらつらと書かれておりました」
「……」
「ひとえにすべて、あなた様の信念」
「……あなたの指導があったればこそです」
「いいえ。あなたは自ら強くなった」
「……」
「男でさえ越えられぬ壁に、あなたは自ら立ち向かい、そして自分の力で切り開いていかれた。ウィル様の誇り。……そして私の誇りでもあります」
涙が出そうだった。
グレンに話したい事がたくさんあった。
旅の事、父の事。
でもその時間は許されない。
進まなければならない。
「グレン」
せめてと、無意識に取ろうとした手がグレンを掴むより先に。
「姫」
グレンの表情が変わった。
「伝えておきたい事がございます」
何かを決意した顔が、彼女の心を掴み取る。