『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第48章  約束 −3−

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 永遠の約束だった。生涯、口を封じるつもりだった。
 だが、伝えておかなければならないのだろうと、グレンは思った。
 ウィルもリルカもいなくなってしまった今だからこそ。
 ……たった一人残されてしまった彼女には。

  ◇

「……約束でございました」
「約束?」
 グレンのこんな表情初めて見る。オヴェリアは戸惑いを隠せなかった。
「何?」
「リルカ様とかわした約束……」
 その名に、オヴェリアの肩が震えた。
 ローゼン・リルカ・ハーランド。
 大切な大切な、母の名前。
「誰にも告げぬと誓った……これはウィル様も知らぬ事」
 オヴェリアの心に、不安が灯る。
「何、グレン」
「そもそもは……何でしょうな、どこからお話すべきか」
 そう言ってグレンは笑った。
「私は生涯を誓っておりました……ウィル様を守る事、そしてリルカ様を守る事」
 ――盾になっても構わない。
「お2人は私にとってとても大事なお方だった」
「……」
「リルカ様は……白薔薇の剣を手にしてしまった」
 持ち主を自らで決めるという不思議な剣。
 そして選ばれてしまった一人の姫君。
「あの日リルカ姫の運命は変わった……否、それが運命だったのやもしれません」
「……」
「そしてその時私の運命も決まった。あの方を守る。生涯かけて守る。……その道、その運命、その定めに……私は変わりはない」
 ――共に寄り添う事は出来ずとも。
「我が主君ウィル様をお守りし、そしてリルカ様をお守りする。お守りしたいと神に願い続けた。神は私にその役目と、力をお預けくださった」
 グレンが何を言おうとしているのか、オヴェリアにはわからなかった。
 父の側近であり、一番の友であるグレン。その力はこの国で敵う者ないと言われ続けてきた。
「20年前の紛争の際、我らは姫を……リルカ様を戦場に出すという恐ろしき事を成した」
 何も知らなかったただの少女を、剣が握れたというだけの事実で。
「剣を持たせ、鎧を着せ、戦場の一番前に立たせる……我らが犯した罪はこの国最大の罪。そして私は、それを止める事もしなかった」
 母上、とオヴェリアは心の中で呼んだ。
「罰が必要ならば我が受ける……私はあの時そう思いました。全力で守ると。この命など投げ打っても惜しくないと。あの方を守れるなら、そのためにこの命を使えるというのならば」
 本望だと。
 何も、怖くないと。
「されど神はあの時……」
 グレンの顔が苦渋に歪む。
「あれは、バジリスタの国境沿いにある小さな村でした。あの時ハーランドとバジリスタの均衡は五分五分。押しつ押されつを繰り返し、あの時我らは国境を越えその村に至りました」
 見ればカーキッドが戻ってきていた。だが何も言わず、懐から煙草を取り出した。しばらく絶っていたが、やはりまだやめられない様子。
「いたって普通の貧しい村でした。私は兵士たちに、村人に危害を与えぬようにと命じました。そして村人には、黙って通る事を許して欲しいと頼みました。私はずっと白い甲冑に身を包んだ彼女の傍に寄り添っておりました」
「……」
「その時ウィル様は、先行して、その先にある町に向かっておりました。停戦の話し合いをするために、教会の使者と落ち合う約束があったのです。我れらは遅れてその町に至る手はずだったのですが」
「……」
「……火を放ったのは、バジリスタの軍でした」
 鴉の鳴き声にハッとする。だが遠い。それは空を横切るただの黒い翼。
「……瞬く間に村は火に包まれました……恐ろしい光景でした。逃げ惑う人々の間から、バジリスタの兵士たちが襲い掛かってくるのです。奴らは信じられぬ事に……その人々をも盾とした。巻き添えにしようが構わぬと言わんばかりに」
「……」
「完全に村人たちに危害を加えず通り過ぎるというわけには、行かなくなった」
「……」
「夢中でした。我らの道は読まれていた……村はバジリスタ軍の囮。入った時点で網に掛かっていた。前も後ろも囲まれて、火だるまの人々がハーランド軍の間に放り込まれるような状態です。その最中、私はリルカ様とはぐれてしまった。ほんの一瞬の事でした。慌てて探し、見つけたその時、私が見たのは」
 ――誰にも言わないで……リルカが言ったその言葉を思い出す。
「剣を抜き放った姫様が……姫様に襲い掛かっていたのは、竜」
「え……」
「竜、でした……あれは竜……見紛う事はない……」
 竜が。
「私は慌て走った。されど間に合わなかった。姫は竜の牙に倒れた……私は夢中で竜に剣を向けた。倒れるわけにも逃がすわけにもいかなかった。相手が何だろうがどうでもよかった。ただ、姫を守るために」
 守らねばと。
「……どうやって倒したか覚えておりませぬ……だが気づいた時、我の剣は折れ、そして竜は地に伏していた。私は急ぎ姫様に駆け寄りました。姫様の鎧は砕け、白き衣に赤い血が滲んでいました。私はわけがわからなくなった……誰かを呼ばねば、姫を救わねばと。このままではリルカ様は……」
 なのに、とグレンは呟いて。
「姫は……黙っていてと言われました……」
「……」
「この事は黙っていてと」
「竜は……まさか……」
「あのような所に、竜がいるなどおかしい。竜はもはや伝説の類にも等しい……昨今、人の目に触れる事すらもはや稀有。……ともすれば」
 まさか、とオヴェリアは双眸を見開き。
「バジリスタが……」
「あの当時、嫌な噂は流れていました……バジリスタは極秘に、何かとんでもない事を成そうとしているのではないかと……機密の兵器……よもやまさか、竜を兵器とするなど……」
「……」
「されど、姫は申された。停戦が間近だと。今ここで竜の事が明るみになれば、停戦どころではなくなる。白薔薇の騎士が……王≠ェバジリスタの竜によって倒されたとなれば、ウィル様はもちろん、ハーランド軍の収集はつかなくなる」
 だから、
「黙っていてと」
 ――2人だけの約束よ。
「リルカ様は、事情を知る一部の兵士と共に極秘に戦線を離脱。表向きには停戦の準備が整ったゆえ陣を移したと。あの瞬間、竜の事を知るのは私とリルカ様のみ。誰一人の目にも触れる事なく、リルカ様は戦場を離れたが」
 オヴェリアの手が震えた。
「その時負った傷が……あの方の生涯を決めてしまった」
 ――生まれつき心臓が弱いの、とリルカはオヴェリアに言っていた。
 しかしアイザックは言っていた。心臓の病など、姉上にはなかったと。ハーランドに嫁いでから姉の身体は蝕まれたと。
 その原因は。
「竜の傷……」
「リルカ様はウィル様にも貫き通された……これは戦場で負った傷。されど、竜につけられたとは一言も申さぬままに」
 逝ってしまわれた……遠い目をしたグレンの代わりに、風がそう呟いたように思えた。
「バジリスタは竜を兵器として使っていたと?」
 いつの間に戻ってきていたのか、傍にいたデュランが呟いた。
「20年前のその時から……」
「わかりませんな。ただ停戦は間もなくすんなりと合意された。それは始まりから思えば奇妙なくらいあっさりとした物でした。教会の仲裁、そしてテトでの停戦の契り。あの抗争は何だったのか、あの竜は何だったのか……私の中にも、ずっと引っ掛かっていた物があった」
 されど、とグレンは言葉を続ける。
「ここにきて再び竜は現れた」
「――」
「黒い竜が現れたと最初に聞いた時、私は、まずバジリスタを疑った。奴らが成したものではないのかと。あの時の竜が蘇ったのではないのかと。されど王はそれを知らぬ。誰にも言えぬ。それはリルカ様との約束だった。……されど、事はここに至った」
 今度はオヴェリアが竜の前に立ち。
 そしてハーランドの存亡すら脅かされようとしている。
「教会が竜を蘇らせようとしていると、そしてバジリスタも竜と関係している。……竜とは何か。何が起ころうとしているのか」
 過去が今へ繋がり、今が未来へ繋がっていく。
 1本の線を描いて。
「オヴェリア様」
 じっと見つめるグレンの目に。
 オヴェリアには……受け止めきれない何かの想いを見た。
 自分では受け止めきれない、されど。
 心の奥で、誰かが答えようとするかのように。
 グレン、と呟く。
 目と目は重なる。
 そして何かの想いが。
 オヴェリアの意識を……ふと、見知らぬ色に染める。
「見極めます」
「……、」
「何もかも。必ず」
「……オヴェリア様」
「グレン、私とも約束をしてください」
「……」
「死なぬと」
「――」
「よい、ですか? 絶対に」
 グレンは微笑んだ。その笑みは、オヴェリアのよく知る笑みだった。
「仰せのままに」




 旅立ちの時が来た。
 馬に向かい歩き行くカーキッド達の背中を眺め。
 オヴェリアはもう一度グレンを振り返った。
「姫が戻るまでこの国は必ず守りますゆえに」
 必ずお戻りください、とグレンは言った。
 そんな彼に向かって頷きながら。
 オヴェリアは……少し躊躇い、口を開く。
「グレン、」
 問いたい事があった。何故だか無性に。
 最初からわかっていたような気がした。もう何年も前から。
「グレンは、母上の事を……」
「……」
「……」
「……」
「……いいえ、なんでもありません。参ります」
「必ずご無事で」
「あなたも。約束」
「ええ。必ず」
 必ず、と。
 笑って手を振って。
 オヴェリアは歩き出した。

 ◇

「陣営を立て直す。各部隊に連絡。急げッ!!」
 リルカが逝きウィルが逝っても、まだ終わっていない。
 この国がある。そしてこの国には、オヴェリアがいる。
「……御意」
 誰に何を言われたわけでもない、だがグレンは胸に手を当て誓った。
 誓いは絶対。そして絶大。
 想いもまた絶対。そしてそれは希望。
 ――リルカの事を愛している。
 そして同時にウィルの事も。だから。
「行くぞッ!!」
 グレン・スコール。
 その名はこのハーランドにて、不動の最強として永遠に刻まれる。

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