『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第49章 「私たちが行く道は、」 −2−
――ここが最後の町になるかもしれない。
旅を重ねた。たくさんの人に出会った。
城を出た世界はあまりにも新鮮で。
最初は光のように見えた。
でも違った、わかったのは、何も見えていなかったという事。知らなかったという現実。
世界は広い……そんな単純な言葉では済まされないくらいに。
溢れる事象は、光だけでは成し得ない。
……暗く、辛い、闇もたくさんあった。
「何だこの賑わいは」
訪れた町の様子に、カーキッドはむしろおののき、すぐにオヴェリアの外套の裾を掴んだ。
「かぶってろ!」
「ちょ、やめて」
「るっせぇ。顔隠せ。マルコ、紐ないか? 頭に括り付けるぞ」
「はっ、はい、ちょっと待っててください」
「……やめろ馬鹿者、余計に目立つ。マルコ、お前も紐を探すな」
しかしながら……と呟き、デュランは辺りを見渡す。
「市か……祭りのような」
人を掻き分けるようにして歩く。耳には様々な声が入ってくる。
こういうの、久しぶりだとオヴェリアは思った。もう随分、こんな普通の賑わいの中に身を置いていないと気づく。
旅に出るまでは知らなかった雰囲気のはずなのに、今はむしろ懐かしく心地いい。
「手配書が回っていないか探りに行きたいが……」
用心深くデュランが先頭を歩く中、カーキッドは意外と平然としている。
「久しぶりに市を見て回るか」
「私の言ってる事が聞こえておらんのか、愚か者」
「うわー、姫様、見てください! あそこにあんなものが!!」
「美味しそうです」
「……マルコッ、気軽に姫様と呼ぶな」
こんなやり取りも、人の声に紛れるからこそ成り立つ。
「とにかく今晩の宿を探さねば……ううむ、それにしても美しい女性が多いな……」
「おい、エロ、置いていくぞ」
「ちょっと、置いてくなっ」
日差しが心地いい。
人がたくさん集い、笑い声が溢れている。
露店で売っているたくさんの食べ物、そして珍しい物の数々。
花売りの少女がオヴェリアに一輪の花を差し出した。三つ編みのかわいい女の子だ。
「ちょっと待って」
前を行くカーキッドを呼び止めて、オヴェリアは少女に合わせて腰を落とす。
「かわいい花ね」
オヴェリアを見た少女はすぐに目を丸くした。見る見るうちに顔が桃色に染まる。
「何てお花?」
少女はフルフルと首を振って、そのまま凍ったように黙り込んでしまった。
「おいエロ、女だぞ、何とかしろ」
「幼子は守備範囲外だ」
「じゃあマルコ、お前何とかしろ」
「え!? ぼ、僕がですか!?」
男たちの勝手な会話を他所 に、少女は突然オヴェリアに向かって花を突き出した。
「え?」
驚き手を出したオヴェリアに花を押し付けて、彼女は逃げるように走り去ってしまった。
「あー……お前らが何とかしないから」
「何を言うか、お前の面相が恐ろしかったからに決まっているだろうが」
「そうですよ、カーキッドさんが怖い顔して睨むから」
受け止めきれず落ちてしまった花を拾い上げ、オヴェリアは少女が行った方を見た。
もう彼女の背中はどこにもない。人が行き交うばかりである。
「……かわいい花」
そっと呟き、束ねて口づける。
「行きましょう」
立ち上がってもまだ言い合いをしている男たちを見て、オヴェリアは軽くため息を吐いた。
そして、カーキッドの元へ行くと。
「じっとしてて」
「は?」
「……はい。行きましょう」
「??」
髪に、もらった花を一輪挿してやる。
その様にデュランは吹き出し、マルコはおもむろに顔を背けた。
「何だ、おい。何した!?」
「何にも。あ、ほら。あそに見えるのは宿ではありませんか?」
「宿だ。行くぞカーキッド」
「うん。行きましょうカーキッドさん」
「………………」
カーキッドは機嫌悪そうに目を細め、自分の髪に手を伸ばしたが。
「……チ」
何事もなかったように歩き出した。
少しだけ、足取りが緩く変わった事を除いて。
◇
「空いてませんね」
町は大盛況、無論そういう時は宿も取りにくい。旅の中でこういう事は今回が初めてではない。
「さて、どうしたものか」
「野宿しかねぇか」
「……くしゅん」
マルコがくしゃみをしている。それを見てオヴェリアは、何とかならないかと辺りを見渡した。
日が傾き始めている。だが町の賑わいはそれほど変わらない。露店のランプに火が灯り、通りの街灯に火を入れる兵士の姿も見えた。
その視線から避けるようにオヴェリア達は一本裏の路地に入る。
「それにしても……手配書は回っていないようですね」
他には聞こえぬ程度の声でデュランが言った。
何軒か宿を訪ねた。そのどこでも、4人を訝 しんで見る者はいなかった。町を歩いていてもそうである。
「手配書か……本当に回ってんのか? 一応こいつはあれだぞ?」
この国の姫君だという言葉は、さすがにカーキッドも飲み込んだ。
「一国としてはあり得ぬ事だ。……我々だけならまだわかるがな」
それすらも成されていない。
「だが教会という母体がある以上は……」
裏通りは表通りと違い人がまばらだ。だが治安に不安を覚えたデュランが表通りへと道を戻す。
裏道から出た場所には覚えがあった。さっき花売りの少女に出会った場所だ。周り周ってここに戻ってきたのか。
「さて、本当に今夜の宿をどうするか」
「腹も減ったしな。……あ、今お前腹が鳴っただろ?」
「ま、まだ鳴ってませんっ!」
「すいません、今の音は僕のお腹です。お腹すきました」
「ひとまずどこか食堂に入るか……」
どうしようかとオヴェリアが少し困り辺りを見回すと。
こちらを見つめる人の姿があった。
若い男女と……その背中に隠れるように見え隠れするのは少女。昼間の花売りの少女だ。
「あ……」
目が合うと彼らは一瞬ビクリと震えるように身じろぎをした。オヴェリアも驚き目を見開く。
オヴェリアの視線に気づき、カーキッド達も彼らを見やった。
「……?」
何事かとデュランが訪ねようとした時、3人はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
一瞬オヴェリアを覗く男たちは警戒の色を強めたが。
「宿を……お探しですか……?」
ぎこちなく笑う男に、カーキッドがオヴェリアを隠すように立ち位置を変える。
「もしよろしければ……」
「……?」
「大した事はできませんが……」
4人は顔を見合わせる。
少女がオヴェリアたちを、女の背中から出たり隠れたりを繰り返して見上げている。
オヴェリアと目が合うと彼女は隠れたが、こっそり覗いた顔は桃色に染まっていた。
そしてそれは他の2人も同じ。
「良いのですか……?」
オヴェリアの顔も、思わず赤く染まってしまうほどだった。
◇
「本当に何もない所なんですが……」
案内されたのは町はずれにある小さな家だった。
「いえ、野宿せねばならないかと思っていた所です。お申し出誠にありがたい。本当によろしいので?」
言いながら、合間を見てデュランがカーキッドを睨んでいる。「余計な事を言うなよ」という意味を込めてである。
「宿のようにはまいりませんが」
「助かります。ありがとうございます」
オヴェリアが頭を下げた。
それに彼らは恐縮して、あたふたと頭を下げた。むしろ男と女は膝をついて地面に頭をこすりつけるくらいの勢いだ。その様にオヴェリア達が今度は驚く。
「顔をお上げください!」
「いえっ、いえっ……!」
2人の様を見て少女も慌てて地面に座り込む。
「とんでもない……本当に、とんでもない事です」
これは一体何なのかと、むしろ困ってしまう4人であったが。
「お、……オヴェリア姫様っ…………!」
男が漏らしたその言葉に、ハッと顔色を変える。
「お前ら、」
「姫様……あの時は助けていただき、本当に、本当に…………」
あの時?
オヴェリアはカーキッドと顔を合わせる。
「あなた方は……?」
「……とにかく家の中へ入りましょう。あなた方も立って。ほら、やめなさい、子供が真似をする」
少女が顔を上げると、マルコと目が合った。同じくらいの年頃の2人だったが。
「……」
「……」
マルコも、人の事を言えないくらいの人見知りである。
「マルコ?」
少女は女の背中に隠れ、マルコはオヴェリアの背中に隠れた。
「あー、とにかく腹減った、飯食わせろ」
傍若無人にそう言ってズカズカと入り込むカーキッドの姿は、頭に花が添えられていなければ、野党のそれにしか見えなかった。