『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第50章 ガリオス −1−
聖サンクトゥマリア大教会総主教庁――。
その場所は、ハーランド北西、国境の向こうに位置する。
万年雪とも呼ばれるガリオス山の麓にあり、ハーランド中心部に比べると真夏でも気温の上昇はそれほどない。
ハーランド国からそこに至る道は1本。一番近い町から続く、広い並木の先にある。
その間には1か所、検問がある。ここが事実上の国境。そこには兵士が常に待機しており、人の出入りを監視している。
ただし、形式的な物に近い。ガリオスに向かうこの道は、実際には開放されているようなもの。国境が信仰を妨げる事になってはならないと、ガリオスへの自由な出入りは代々の王によって容認されてきた。
……ただし、現状は少し今までと異なる。
「どこから参られましたか?」
検問には人の列ができている。大教会へ参拝する者は日々絶えない。日に一度発せられる教皇の御言葉みことばを聞くために毎日通う者もいるほどである。
「レイザランから来ました。……この度我々、夫婦になりまして、祝福を受けに……」
「ほう、それはめでたい。おめでとうございます」
言われた長身の男は、しっかりした体格にそぐわぬ少し背を丸めて、「どうも……」と消え入るような声で俯いた。
「お仕事は何を?」
検問に立っているのはハーランドの兵士ではない。教会直轄の神聖騎士団である。
彼は手元の紙束をペラペラとめくりながら、目の前の男と女の顔を凝視する。
「小さな食堂を……」
「ほう? 食堂ですか」
「……はい…………」
「手荷物を見せていただけますか? あと、お名前は?」
「……」
名前は書き止められる。もう一人の兵士が鞄の中身を確認する。
異常なしと認めると、通行証明の印を押したカードが渡された。
「帰りにお見せください」
通過の日時、兵士のサインが書かれている。
「ありがとうございます」
連れの女が丁寧に頭を下げた。
美しい女性である――衣服と髪を解き放てば。
ただし今は、汚れた旅姿と丸眼鏡。肩までの髪はあか抜けない様子で小さく2つに結ばれている。
昨日まではなかったそばかすが点在しているが、鏡を見た彼女は逆に嬉しそうに言ったものだった。
まるで、フェリーナみたいだと。
検問は通過した。男と女はゆっくりとした足取りで歩いて行く。
歩き方にも注意しろと、かなり言われてここにきた。彼女は意識していつもより歩調を緩くした。
そして隣を歩く仏頂面の男に。
「……そんな顔しないでください」
「……」
「ほら、笑って」
「笑えるか」
「……」
「って、お前が笑うな」
「だって……ふふっ、夫婦って」
「――ッ、言いたくて言ったんじゃねぇぞ!」
「声が大きいです、カー……いえ、えーと、ゴリウスさん」
「だれがゴリだっ!! シリウスだッ! 旦那の名前を間違えるな、…………、お前」
「あなたこそ、妻の名前を覚えていないの?」
身を乗り出してくる男に、女――オヴェリアはクスクス笑って。
「眼鏡、ずれてる」
と、男の眼鏡を直した。
「似合ってます。学者様みたい」
「……そうか?」
「んー……というよりはむしろ、何年か受験に失敗していそうな」
「……」
「別の人みたい」
そう言われ、カーキッドは苦笑した。
「じゃなきゃ、意味がねぇ」
一応変装してんだから――そう言って、カーキッドはニヤリと笑うのを封じ込め、茶色の髪を掻いて見せた。
◇
「まず第一は検問の突破」
聖サンクトゥマリア大教会への潜入作戦――。
ここに至るまでに何度も話し合ってきた。そして最後の結論が出たのは、直近の町を出る前日。
「ガリオスには日々、多くの参拝者が集まる。検問は緩い。……だが恐らく、人相書きは出ているだろう」
無論、一番内情に詳しいのはデュラン。
「オヴェリア様とカーキッドはここから中へ。参拝者に混ざって、大聖堂まで向かってください」
「デュラン様は?」
「私はマルコと共に別のルートから入る事に致します」
「正面突破は厳しくないか?」
そう言ったカーキッドに、デュランは首を横に振った。
「無論そのままでは無理だ。変装してもらう」
「変装?」
「オヴェリア様は、奇しくも髪を切られて印象が変わられた。何とかなりましょう。カーキッドは第一にその黒髪だ。だが最悪髪は隠せても、その眼つきはどうにもならん。そこは何とかしろ。そんな血に飢えた目をする一般人はおらん」
「喧嘩売ってんのかお前」
「設定としては……夫婦という事にしよう。この度縁あって結ばれたゆえに祝福を受けに来た、そう言えば何とかなろう」
「「めっ……」」
「武装も服の中に隠せる最低限で。剣も念のために持たぬ方が……」
「ふざけんな、バカ神父」
……ここに至るまでに行った作戦会議、様々な案が出た。
裏手からの侵入、森からの侵入、夜間に忍び込む。
だが最後にいつも首を縦に振らなかったのはデュランだった。
「色々考えた末の結論だ」
「……ッ」
町で世話になった3人は何かあれば協力すると言ってくれたが、デュランがそれを断った。
「ならばお前に、私の代わりが出来るのか?」
「……あ?」
「お前に、これが着れるのか?」
この最終的な作戦会議も、3人の家の脇にある小屋で静かに行われたものである。
「一班は正面より大聖堂へ。もう一班はこれを着て側面より入る。マルコは私と共に来てもらおう。魔術教練所には子供もいる。この姿でマルコと共に行けば、私ならどうにかやり過ごせる」
「こ、これは……」
スルスルと、デュランの荷物から出てきたのは。
「お前にそれができるのか?」
修道服。
「私だって、できる事ならばオヴェリア様の夫の役で正面から入りたい。だがあまりにも面が割れている」
「……」
「だがお前がどうしても嫌だと言うのならば仕方がない。潔くこの服はお前に譲って、私は強固な変装を考える事にしよう」
「……いや、いい……お前に任せる」
「内部の地図もみっちり渡すが、」
「無理だ」
……そうして、作戦は決行となった。
「デュラン様たちはどうしたかしら……」
大教会までの長い並木道。オヴェリアはポツリとこぼす。
彼女の様子は前述の通り。町で用意した動きやすそうな旅の服に大きなリュック。丸い小さな眼鏡と、耳あての付いた厚手の帽子をかぶり、髪は2つに縛っている。顔のそばかすはデュランによって描かれた物だ。
一方カーキッドは、彼もまた似たような茶色の旅の服。ゆったりとしたズボンに革靴。耳あてのついた帽子はお揃い。
そこに、「眼つきの悪さを逸らすためだ」と言われ大き目の黒ぶち眼鏡を渡された。髪は黒髪の上から茶色の髪を被り、上から帽子で押さえつけてある。眼鏡と茶髪だけで随分印象が変わった。
「何とかするだろうあいつなら。というか、思い出したくもねぇ」
そう言ってカーキッドはげっそりと顔を歪めた。
逆にオヴェリアはうっとりした様子で、
「あの方は本当に凄いです」
修道女姿のデュラン。
それは、オヴェリアにとっては驚きより他になかった。
「きれいでした」
「……エグイと言え」
「そうですか? 本当に本物の修道女様のよう」
身のこなし、仕草から。
少し長身ではあるが、うっすら紅を引いたその様は。
「……吐き気が」
「? 胃薬ありますよ?」
「……いい」
それにしてもとオヴェリアは思う。動きにくい。
オヴェリアとカーキッド共に、かなり着込んでいるように見える。だがそれは道行く他の者も同じ。
ただ違う事としたら、2人の服の下にあるのは、服で隠せる程度の装備。オヴェリアにとっては鎖帷子であり。
そして剣。
「剣を離すわけにはいかねぇ」
武装を解けと言ったデュランに、カーキッドは断固として言った。
「まさか腰に挿しては歩けぬぞ? 必ず荷物検査がある。だが確かに、白薔薇の剣はオヴェリア様にしか持てぬし……」
ゆえに。
服の中に隠しこんで歩いているのである。
いつもと重心が違って動きずらい。ましてや固い物が当たる感じが何とも心地悪いのだが。
「……カーキッド、背中が曲がってる」
「背中がこれ以上上がらねぇ。服とこいつのせいだ」
もごもごと奇妙な動きをするカーキッドを見て、オヴェリアはクスっと笑った。
「あんだよ?」
「何でもないです。あ、見えてきた」
道行く先に、大きな巨大な門が見えた。
まるで城門だ。
「この先に……」
その時空から、ふわりと白い物が落ちてきた。
雪だ。
寒いと言っても、まだ息が白くなるほどではないのに。
「どうした?」
「今、雪が」
「雪?」
カーキッドが空を見上げる。確かに空は灰色に染まっている。
だが落ちてきたのはたった一粒。それ以上はなかった。
名残惜しそうに空を見るオヴェリアの目の前に、ふっと手が差し出された。
「え?」
何? と問うようにカーキッドを見上げると。
彼は横顔だけをオヴェリアにさらして。
「手」
「?」
「……一応、アレの振りすんだろ?」
「……アレ?」
「……だーら、アレ」
意味がわからぬオヴェリアは首を傾げる。
苛立ったカーキッドは、ぐいとオヴェリアの手を掴んだ。
「あ……」
「行くぞ」
――夫婦、だから
「……」
掴まれた手は、だが強引じゃなく。次第に緩んで包むように。
厚手の手袋越しでは体温までは伝わらない。でも、繋がっている感触だけはわかる。
オヴェリアは胸に手を当てた。零れ落ちそうな白薔薇の剣をぎゅっと抱くように。
……歩き行く2人の姿は、ただの若い男女にしか見えなかった。