『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の物語−

 

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 第54章  カイン・ウォルツ

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 守りたいんです――彼女はそう言った。
 ひたすら一途に、皆を守りたいと。
 その願いに、デュランは気づいていた。
 ハーランドの陣営を飛び出した夜。眠れない様子のオヴェリアと話すデュランは、彼女に、ずっと引っ掛かっていた事を尋ねた。
「……それが、あの名の由来ですか?」
 カーキッドとマルコは眠っている。
「カイン・ウォルツ……あの名前の――」
「……」
 オヴェリアは驚いた様子でデュランを見つめた。
「ご存知なのですか、デュラン様は――」
「やはり、でしたか」
 デュランは笑った。
「以前読んだ事が。師の書庫にあった絵本でしたか。カイン・ウォルツ=\―彼女≠支えた絶対的な剣士」
「……そう、サンクトゥマリアと共に戦ったという勇者の名前です」
 そう言ってオヴェリアは苦笑した。
「絵本の中の物語ですけどね」
 そしてオヴェリアはその本がとてもお気に入りだった事、幼い頃に母からもらった事、母も祖母からもらったのだと話した。
「だからずっと思っていたんです。サンクトゥマリアにはカインという仲間がいて一緒に戦ったのだと。でも後々、そんな人物はいなかったのだと知りました。カインは絵本の中だけの存在だった」
「彼女に関する詳しい文献は残っていません。確かに、知る限りでカインという名の仲間はいませんでした」
「……でも、私の中でサンクトゥマリアの仲間はカイン」
 彼女はたき火を見つめ強い口調で言う。
「カイン・ウォルツ……知られない英雄。サンクトゥマリアと共に戦った者。世に語られない英雄がいるかもしれない。もし共に戦えなかったとしても、後ろに従った兵士はいるはず、彼女を守って散った者もいるはず。誰も1人でなんて戦えない……あの時はね、何か深い思いを込めたわけじゃなかったの。ただ……忘れられなかったのね、薔薇の御前試合の出場登録をする時に咄嗟に浮かんだのがこの名前だった。今では、この名前を選んでよかったと思ってる」
 偽りの名前。だが彼女は晴れやかに笑った。
 そうですかと、デュランも微笑んだ。
「カイン・ウォルツ――主たる歴史書にその名は残っていません。だが確かに、そんな者がいればサンクトゥマリアも頼もしかったでしょう」
「ええ。1人で戦ったのじゃない、彼女にも、誰か一緒に戦ってくれる人がいたならば」
 なぜか少し、救われる気がするのだ。
「それはあなた様のように――ですか?」
「え?」
「カーキッドのような存在が、という事ですか?」
 オヴェリアははたと動きを止めた。固まったと言い換えよう。
「私にはカーキッドであり、デュラン様やマルコもいます」
「愛する女性を守り抜く男ですか」
 デュランは笑い、そしてふと空を見上げた。
「守り抜きたい女性がいる、これは男にとっては幸福な事でしょう。女性にとっては? やはり一途に想ってくれる人は嬉しいものですか?」
 身を寄せるようにして聞いてくるデュランに。
 オヴェリアは返答に困った。
「……さぁ」
「さぁ?」
「……わかりません、そんなの」
「命に代えてもあなたを守る――そんな事を言ってくれる者がいたら?」
「……そんなのは、恥ずかしい」
「私がそうですと申し上げたら?」
 オヴェリアは苦笑した。
「とりあえず……ありがとう、と言います」
「あの男もそうでしょう」
「……」
「あの男の預言の事は、ご存知ですか?」
「え? 預言?」
「……いや、これは口が滑りましたな。お忘れください。私が言うべき事ではない」
 ただ、とデュランは言った。
「あなたが民を守りたいと思うように、私たちはあなたをお守りしたい。これはおそらくこの国に住まうすべての者の願い」
「……」
「それを、あなたは忘れてはなりません」
「……はい」
「あなたはカイン・ウォルツではない。……いいですね?」



 その絵本の最後は、カインの死で終わる。
 聖母を守り抜いた一人の勇者は、やがて少女と共に世界に平和を取り戻し、聖母が天に戻るのを見届け自分も後を追うように天上へと旅立つのである。
 二人は天からいつまでもこの世界を見守り続ける――そんな絵本であるが。
 カイン・ウォルツ=Bそれは封じられた名前。
 デュランはその時言わなかった。その名は史書のどこにも記されていない。だが唯一、同じ名を別の場所で見たと。
 その名を見たのは絵本と――今は教会の一番奥。
 今向かおうとしている場所。
 師が訳そうとした、禁断の魔術書の原本を書きしたためた者の名こそ。
 ――カイン・ウォルツ。



 この世に唯一残る、悪魔との契約を記した書物。
 その技のすべてを後世に残した人物である。

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