高野山 お礼参り その1


高野山お礼参り 第1回 平成10年3月29日、30日1泊2日

いよいよ高野山

 平成10年3月29日難波発9時15分高野特急に乗りいよいよ高野山に向かうのです。7年かけて歩き通し結願した私を高野のお山や、大師さんはどうやって迎えてくれるのかしら・‥ドキドキ・・・。

今年の春はとても暖かくて夙川の桜も今が見頃に咲いています。去年は4月7日頃でしたから10日も早くてこりゃ大変だぁ!春遍路そのものだなぁー

「ありがたや 高野の山に 大師は春美を待っておわしますなる」なぁーんちゃって・・・ルンルン

 初めての南海電車高野特急。しかし、今朝は3時過ぎまでお客様がいらしててお布団に入ったのは5時・・・7時に起きて出て来たので眠たいのなんのってもぅーフラフラです・・・

 特急で終点がナント、極楽橋駅だって!さすが高野山だなって感心しているとケーブルが連絡している様子で他の人達に付いてゾロゾロと乗り込みます。ケーブルは満席で私は通路に立ってヤレヤレと思う間もなく5分程で高野山駅に着きました。

 ここで皆さんはバスやタクシーを利用されアレヨアレヨと言う間に誰もいなくなってしまいました。さて、まずは構内にある観光協会で今日宿泊を予約してある恵光院さんの場所を確認します。沢山ある宿坊の中で恵光院さんを選んだ理由は7年前のお遍路の第一歩が一緒であり又先達でもあるキオールのママさんが泊まられた所で「とても良かった」と聞いていたからです。駅から歩いても奥の院まで5キロと簡単なので私はトコトコと歩く事にしました。歩きながら考えました。

(なんか変よねぇー四国1400キロ歩いて来てょー最後の高野山が5キロってのも納得いかないのよねぇー、しかしまさか西宮から歩く訳にも行かないし、1番からそのままフェリーに乗り高野山に直接行くと言う行程を組んだらこうは思わなかったのかしら)快晴の道路を一歩一歩と大師さんに向かって歩きます。とことことこ・・・見えました見えました朱色の大きな大きな大門が!この大門が高野山の正門で両脇に仁王立ちする金剛力士(法橋運長作)の私を見下ろす目も威圧感たっぷりです。睨まないでー

 観光客の外人さんに金剛力士の前で写真を撮って頂きました。現像してみると朱色の前に神妙に立つ小さな白装束の私を白目をむいた仁王立ちの力士が大きな右手で捕まえようとしている様に見えてなかなか愉快です。

 とことことこ歩いて行くと朱色で派手な大きな根本大塔が現れました。弘法大師が高野山開創にあたり密教の根本道場として建立されたもので高さ48.5メートルの威容を誇っています。内陣には本尊の胎蔵界大日如来と金剛界の四仏が祀られ、柱には堂本印象画伯による十六菩薩が描かれています。大塔をなんとかカメラに収めようと頑張りますがなかなか上手くは撮れませんでした。とことこ、大塔の前に伽藍金堂があります。私は四つの塔の前で足を広げ右手に杖、左手をピースして得意のポーズではいパチリ!

 とことことこ総本山金剛峯寺です。「金剛峯桜閣一切瑜伽瑜祗経」より弘法大師が命名し初めは一山の総称でもありました。現在は全国及び海外の末寺四千力寺、壱千万大師信徒の総本山で豊臣秀吉が母の菩提のために建立されたものです。

高野山

 高野山は弘法大師が嵯峨天皇の弘仁七年(816)真言密教の根本道場として定められ国の平和を祈り国民に安らかな生活への道を伝え併せて末徒の修禅観法のため、また自らの人定の地とする崇高な目的をもって開創せられました。

 海抜900メートルの高峰上にある総面積110余ヘクタール(33万坪)の一大盆地である。山の姿は四仏四菩薩を象徴したと言われる内八葉外八葉の峯々に囲まれさながら八葉蓮台の形をなしている。この山は開創以来壱千百六十余年にわたって一般庶民の強い信仰と支持を集め宗派にとらわれず、あらゆる階層の人々の心の憩いの場として、或いは魂の安息所として発展し今日の如き一大仏都をなすに至ったのである。年々歳々この聖地に杖をひく人々は百万を越えると言われています。

 一の橋から奥の院御廟までの参道には二キロにわたって千年杉が立ちならび両側には上杉謙信、武田信玄、織田信長、伊達政宗、豊臣家一族等戦国時代に生きた武将の墓をはじめ20万基を越えるあらゆる時代、階層の人々の墓碑が静かに並んでいます。

 私は初めての高野山でこの時はよく分からないままに奥の院の大師さんに御参りを済ませてご朱印を頂き、ほっとして身体も相当疲れているので取り敢えず引き返して恵光院さんに着いたのが4時40分でした。夕飯を5時半に頂き「阿字観の実修」というものを受ける事を申し込み(なんでもやってみよう精神の春美さんですから)7時に阿字観道場に案内されました。

「阿字観の実修」

 阿字観の本尊様が床の正面にかけてあります。本尊様とは円い月の中に白い八弁の蓮の花を描き、その上に金色の阿字を梵字で書いたものであって、阿字は人間の心に宿っている天地の誠、すなわち清い明るい仏性(浄菩提心とよぶ)をあらわし、月輪は仏性にそなわっている明るい知恵の徳を、蓮の花は浄い慈悲の徳をかたどったものである。すなわち阿字観とは阿字の一字を念ずることであり、その阿字は天地の誠をあらわす一字の真言である。阿字は大日如来の一字の真言であって、この阿字を念ずることは大日如来を念ずることにほかならぬのである。

 阿字観は山房の夜間又は早朝の静けさの中で、姿勢正しく静かに安らかに座ります。坐り方には平坐、半跏坐、結跏坐とがある。肩のカを抜いて胸をゆったりと安らかにたもち、視線は座の前方三メートル程の所を自然に見る様にし、自然にゆるやかに息をします。阿蓮月(本尊様)を胸中に念じ、次にこれをだんだん大きくして十方にきわまりのない全世界に広げる、その時本尊を忘れ自己を忘れて阿蓮月と一つになり天地の誠と一つに成って何のこだわりもない和やかな安らかな魂の古里に安住する。最後に全世界に広がった阿蓮月を次第に縮小して再び自己の胸中におさめる。その時身も心も忘れて何事も考えないで暫く静坐をして、それから徐に禅定の世界から出て一座の阿字観を終わるのである。

阿字の子が阿字の古里たちいでて  またたちかえる阿字のふるさと

阿字の子が蓮のうてなにのりのふね 月のみやこにいまかえるなり

 阿字観の実修を終えた私は少し興奮していました。なんて言うか・・.・落ち着いた優しい気持ち、有り難いと言う感謝の気持ち心の中は満ち足りて小さい私の身体は宇宙の様に大きく感じられました。それはこの阿字観道場に広く敷きつめられた青の絨毯と床の間の本尊様の後ろに宇宙が描かれていて、それに照明があてられ本当に天地と自身が一つになれた様に思え又、ご住職様の説明は分かりやすく雰囲気も穏やかでとても信頼できる温かいものであり、そして道場に私只一人だったからだと思います。

 家に帰ってから宮崎さんに頂いた徒歩遍路結願の色紙の後ろに阿字の梵語が書かれてあるのを見つけ、これはいいやッと早速壁に掛けてみましたが我が家では天地の誠と一つになり自己を忘れるどころか邪念ばかりで結局あの日の感動を忘れている日々で情けなく又そこが私らしいところでございます。 ハハハ

 実修の後8時にお風呂を頂いて9時には長い一日の疲れが出てぐっすりと眠りました。すやすやすやスヤスヤスヤ・・・

 翌30日6時起床、7時本堂での勤行に参加させて頂き、7時45分護摩焚きにも参加させて頂きました。払は護摩焚きを、お側で見るという経験は何度もあり恵光院さんの護摩焚きは興味を持って真剣に参加させて頂きました。その中で願意の書かれた護摩木の前に、はぜやじん(松の木の根の部分)が最初に焚かれると言う事を知りました。又、途中で何度も油の様な物をかけられるので後から質問しました。 「あのー途中でかけられていた油の様なものは何ですか?私は護摩焚きに科学的な油を使ってはいけないと聞いておりますが?」
「あれは、なたね油です。科学的な物ではありません。又、天のつく仏様は油を好まれます。そういう仏様にはわざと油をかけてベタベタになっている仏様もいらっしゃるぐらいです。」と教えて頂きました。 (あーあ、そうなのか植物から採れたなたね油の様なものは使われていいのかーうん成る程と納得しました。)

 さぁー身支度を整えてもう一度、爽やかな朝の空気を吸いながら奥の院の大師さんに会いに行きましょう。ふんふんふん・‥時間は昨日と違ってたっぷり有ります。身体は一晩ゆっくり眠ったおかげで元気いっぱいの春美さんです。ルンルンとことことこ昨日は気づかなかった「一の橋」に来ました。弘法大師御廟の浄域への入り口に当たるので一の橋と言われ、僧侶はここで身心を清浄にととのえ礼拝して渡るそうです。

 とことことこ朝の光りの中、天を仰ぐと何処までも伸びて立並ぶ杉の大木の先が見えます。木々の間から差し込む朝の光りは有り難く山の霊気は心を清めてくれ本当に最高の気分です。

 参道を一心に掃いているおじさんがいました。きっとこの方は毎日毎日この時間に掃除されているのだろうと思いました。

「おはようございます。」小さな声でそっと声を掛けてみましたが気づかれなかった様です。其れほど一心に掃いてはりました。トコトコと歩いていると男のガイドさんが6人位の御参りの方達を引率され説明の途中でした。私も立ち止まり一緒に説明を聞き始めました。(ふぅーーん・・・成る程なるはど・・・)そして、私はこの後ちゃっかりと一番後ろで最後までこの一行に加わり全ての説明を聞いたのです。すごーーーい!?さすが春美さんですネッ。

 芭蕪句碑「ちゝはゝのしきりにこいし雉の声」(高野の奥に佇んでほろろうつ雉の鳴き声を聞けば父母の慈愛の昔が懐かしく思いだされ思い出せばもう父母こいしの思いはただ募るばかりである。)・・・伊子松山松平家墓所・・加賀前田家利長の墓(この利長は愛妻家であったことから、弟の配慮によって向かい合って利長夫人の墓が立てられているそうです。)

 法然上人圓光の墓(上人は生前に自ら大師墓所に立てたそうです。)・・結城秀康(家康次男)の石廟は全て石で出来ていて重要文化財です。(この石廟はとても心に残り、昔によくぞここまで・・・と感服しました。)‥・豊臣家一族墓所跡・・・織田信長公墓(今から20年前は無いと言われていた墓)・・・水向地蔵(一般の方は水掛けと思って水をバシャバシャと掛けていますが本当は水向けといってお足元や手元に一回ないし三回程そっとかければよいそうです。)

 皆さん揃って今説明を聞いた通りそっとお足元やお手元にお水を掛けて次は御廟橋に来ました。

御廟橋
 玉川の清流に架けられてあり、この橋の橋板37枚は金剛界37尊を表しそれぞれの裏面にその種子(梵字)が刻まれている。古くからお大師様が参詣する者をこの橋までお迎え下さり、帰りはお見送り下さると信じられており僧侶がその行き帰りに、必ず御廟に向かって合掌礼拝するのもその為であり、また心を浄めて渡れば極楽往生出来ると言われています。

 ここに棲む魚はアブラハヤと言う名前で背に斑点がある。起こりは樵夫が焚き火で焼いて食べようとしたのをお大師様が戒めて玉川の清流に放した所、魚が忽ち生きかえった。背の斑点は串の跡だと伝えられている。

 とことことこ・・・いよいよ奥の院に着きました。一般の方は真っ直ぐ階段を上がって奥の院に御参りしますが本当は左側を回って進むのだそうです。それは一の橋、中の橋、御廟橋と歩いて左へ回って奥の院へ進むのが「仏の字を歩く」と言う事になるそうです。また梵字は下から読むのだそうで「アバラカキヤ」と読むのだそうです。

 大師は、承和2年(835)御年62歳の3月21日寅の刻に入定され、86年後の延喜21年(921)10月21日に醍醐天皇より弘法大師の号を贈られました。入定とは大師は永遠に瞑想に入ったままで今なお人々を救済していると言う信仰で大師は今も生きて修行されているとされて朝、昼、晩のお食事が運ばれています。(偶然に食事を運んでいる僧侶の姿を見れました。)大師は結跏趺座し大日如来の定印を結んで口に「虚空つき、衆生つき、涅槃つき即身成仏」と真言を唱えながら御入定されました。奥の院の灯明は一年を通して消える事はありません。

 「ありがたや たかのの山の岩かげに 大師は いまだおわしますなる」

 弘法大師御廟に御参りした後、今度は地下に下りて行きます。昨日は地下の事は気づかなかったのでガイドさんに案内して頂くのは個人で勝手に来るのとは全然ちがうなぁーと得心している春美さんで、名前も知らないガイドさん本当に有り難うございました。

 地下には施主の名前の入った身代わり大師が五万個ずらりと座ってはりました。そして御廟の丁度真下に当たる所に大師が入定の際に持たれたと言う数珠と三鈷が置かれてあり皆さんでさすりながらお祈りしました。その時ガイドさんが、
「活けられてある花は、大師さんの方でなくこちら側(自分)に向けて活けてあるでしょう、これは自分を清めると言う意味です。」と教えて下さいました。成る程そういえば家でも仏様でなくこちらを向けて活けてますよね、本当に色々と勉強させて頂きました。この後、来た方と反対側の参道を歩いて帰られる様子なので私はそろそろこの場を引け時だと判断して大きな声で言いました。

「みなさーん、本当に今日はどうも有り難うございました。」(ガイドさんは何も言わなかったけど、白装束に免じて許してネ)
「さようならーあなた、今日は本当に得したわねー気をつけてね」とお一人が言われて他の方も会釈して下さいました。ハハハーラッキー!とても幸運な御参りで一人で何回来ても分からない説明を聞けた訳で、日帰りで無く一泊して朝の御参りを計画して本当に良かったと思いましたし、こういう時は私の人なつっこい性格で良かったと思います。

 満足!最後に阪神・淡路大震災物故者慰霊碑が目に止まり姪の中北百合を偲び写真に撮り、お祈りして参道をあとにしました。ゆっくりゆっくり昨日急いだ道を歩きます。金剛峯寺・・・伽藍金堂・・・根本大塔・・・御影堂・・・伝説で有名な三鈷の松・・・大門・・を写真に収めます。大門の手前で美味しい山菜釜飯を食べました。少し悩みましたがやはり歩こうと駅にむかって歩き出しました。

 とことことこ6時に起きて10時間あまり高野の山に抱かれて大師さんに抱かれて、歩く背にお大師様の慈悲をたっぷり受けて歩いている。高野のお山を背に歩いている。高野の山よさようなら、又いつか徹参りするその日までさようなら

3月30日16時05分のケーブルに乗り16時18分極楽橋発に乗り大阪へ・・・・・

結願感謝御礼 合掌 森 春美


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