夫婦で登る百名山

                                   倉元  喜美子

 

 先日100名山を完登しホッとしたような、嬉しさと一抹の寂しさと複雑な心境です。この10年ほど山登りが生活の真ん中にあり、ジムに行くのも、趣味の写真も山を意識している。
 結婚してしばらく過ぎ、彼は職場の環境を良くするための活動で、毎日帰りは10時、11時。私は子育て、家事、仕事は子供の成長とともに増やし毎日が忙しく過ぎる。二人の子供が親の手から離れようとした頃、気がつくと二人が別々の方向を向いていて、言葉が通じなくなっている。時間のゆとりも少しできたので、少しでも時間を共用しようと歩き始める。
 最初は二人で春と秋日帰りの低山ハイク、夏山は2泊でアルプス(穂高岳、常念岳、焼岳、仙丈岳、甲斐駒ヶ岳など)などとてもきつい登山である。(彼は毎月歩いている) 特に夏山はゆっくりとした時間がながれ、筋肉痛に悩まされながらも3000m級の高山植物に心癒される。毎回なぜこんな苦しい登山をするのかと思いながらもタカネビランジを見た、それだけで幸せな気分になれ、次回の登山が楽しみになる。
 最初100名山は知らなかったが、何座か登った後これも一つの方法かなと思い10年ほど前から意識して登るようになる。山と温泉の仲間との同行も増え、二人からグループ登山に変わる。年間10座位は登っても100名山に数えられるのは2〜3座の時もありゆっくり登山である。
97年、黒部五郎岳、薬師岳は梅雨明けすぐの夏山の美しさが印象的。朝日をあびて日本庭園のような山景のなか一面にイワイチョウ、ハクサンイチゲ、コバイケソウなどが咲いている。今までコバイケソウを美しいと思うことはなかったが瑞々しい花々に心奪われる。
 96年、初めてテントを担いで登った蝶、常念岳は体力の限界で力が抜け遅々として進まず、転び遭難しそうになったこともある。まだ年の2〜3回しか登っていない時で、仕事は病院の受付。月始めは医療事務で10日間休みなし、必死に仕事を終え疲れた体で重いリュツクを背負い山に登った結果である。
 978月に鹿島槍ヶ岳から五竜岳にテントを担いで縦走する。8峰キレットでは足場が悪く、リュックが大きいので岩場から体が離れ、安定した手の持ち場がない。短い距離だがとても恐ろしい思いをする。あの8峰キレットは現在でもそのままの状態か気になる。 

冬山、5月の連休

 94年から正月に北八ヶ岳に樹氷ウオッチング登山、その後5月に槍ヶ岳、穂高岳に登るようになる。
 955月に残雪の赤岳に登る。途中登山道で雪に大きな亀裂が入っている。今にも雪崩が起きそうである。連休なのに人気はなくビクビクしながら登る。赤岳展望荘の登山客は5人。大歓迎の拍手で迎えられる。小屋の支配人が面倒見がよく家族のような雰囲気。手作りのバイキング形式のお総菜、自家製の割梅などが出され楽しい一夜を過ごす。約10年後の夏山は人でごった返しテントに押し込まれる。
 965月ゴールデンウィークに二人で槍ヶ岳に登る。山小屋開きすぐの428日は今より雪が多く、膝まで沈みそうな靴跡をたどって歩く。穂高岳に登る人は多いが槍ヶ岳へ行く人は2割ほど。小さな雪玉が}落ちるたびに、雪崩が起きそうと心配する。山頂ではロープで結びあったツァー客が降りた後は私たち二人のみ。風もなく春の柔らかな日射しのなか30分ほどのんびりする。一概には言えないが、5月の連休までにほぼ雪崩は終わっているようである。翌年にはみんなで穂高に登り現在まで5月の雪山登山は続いている。

南アルプスの山

 南アルプスは雄大な景色とお花畑に誘われて2度行った山も多い。南アルプスのタカネビランジは花の期間は短く見ることができると幸せ。仙丈岳の馬の背小屋周辺の一面のシナノキンバイは94年に行き2度目、00年に行った時には随分少なくなっている。仙丈小屋が出来たこともあり山容が変わる。

 荒川岳から赤石岳一帯は花々が咲き乱れる高山植物の楽園である。荒川前岳南斜面はシナノキンバイ、ハクサンイチゲなど南ア最大のお花畑が足元から深い谷に向かって続く。

 南アルプス南部は特に雨が多い。荒川岳と聖岳は激しい雨に襲われる。下山すると下界は晴天で山頂のみに雲がかかっている。98年赤石岳、荒川岳はテント泊で大きなリュックを背負い、激しい雨に吹き飛ばされないように山側に寄って歩く。尾根歩きは下から吹き上げてくる風の合間に進む。山小屋の主の言葉によれば日本中全部晴れていても九州の端に低気圧があればここは雨が降る。

 

九州の山

05年連続登山は九州から始まる。藤原岳に日帰りで登るだけで充分と思うのに連続して5座も登れるか心配していたが、日を重ねるごとに体調が良くなり、体が軽くなる。
 山全体がピンクに染まったミヤマキリシマ、憧れの湯布院散策、黒川温泉を楽しみ地元の健さん紹介の宿と美味しい料理を満喫する。この山行で体力に自信がつき、以後山と温泉の5人で年一度10日間位の山行が定例となる。心おきなく山、花、温泉、観光を満喫するようになる。

  

 

北海道の山

 06年車を持って24日間、前半、後方羊蹄山、利尻岳、旭岳、十勝岳、トムラウシ岳、後半11日間は3人と合流して黒岳、斜里岳、羅臼岳、雌阿寒岳、幌尻岳に登る。どの山も高度差1500mほどあり、大変だが、日帰り登山して移動、温泉、富良野や旭山動物園などを楽しむ充実した毎日。
 名古屋に住んでいるの私たちの独身時代からの友人のひとりは、夏の間北海道名寄市(中央辺り)の妻の実家で米作りの手伝いをしている。その家に一泊する。友人の義父夫婦は北海道の真ん中で10町歩の米作りに励んでいる。自らの手で開墾した農地、跡継ぎもなく80代の二人で必死に守っている。義母は長年の体の酷使で今では身の回りのことしか出来ない。義母はその後なくなり義父は離農する。
 利尻の鴛泊港に着いた時は、夏なのに涼しく曇空でうすら寂しい、港の土産物屋も人はまばら。頬に当たる風が北の果てに来たことを教えてくれる。しかし宿の海鮮丼(ウニ、イクラ)は美味しい。島の朝は早い。3時に薄明るくなり宿の主人に登山口まで送ってもらう。3時間かけて長官山に着く。雄大な山頂が目前に迫り、振り返れば鴛泊港、町が模型のように見える。ここから急登が続く。登山道に一輪のリシリヒナゲシが咲いている。山頂から谷間を覗くと黄色のボタンキンバイ、エゾハクサンイチゲ、チシマフウロなどに一面覆われている。2山を一度に登ったようなハードな山である。
 印象に残っているには天上の楽園と言われるトムラウシ。神々が遊ぶといわれる広大な大地に見渡す限りツガサクラ、チングルマ、ハクサンイチゲなどが咲く。残雪が残る雄大な眺めのなかヒサゴ避難小屋まで一日15km歩く。避難小屋しかないこの山域は数えるほどの人しか逢わない。標識の数が少なく地図を片手に歩く。小屋近くで雪渓になり、ガスのなか踏み跡が確認できず方向を見失いそうになる。小屋の周辺は雪渓で夜間、夜明けは寒い。天候次第でかなり悪条件になることは考えられる。
 日高山脈はごく一部しか入山できない原始の森が残っている山域である。その最高峰が幌尻岳である。幌尻岳登山ツァーは普通3日間の計画をたてる。この日もいくつかのツァーが入っていて、山小屋の予約が取れなく一日で登る計画を立てる。まだ暗い215分、熊対策に鈴を意識して鳴らしながら歩く。額平川は十数回の徒渉がある。地下足袋を履き、水量も膝程度で難なく過ぎる。山頂近くのカールに沿ってのお花畑ではツァーの人たちが花を楽しみながら歩いている。1530分駐車場着。今までで一番長い13時間余の登山となる。このハードな山のために今回の北海道の登山は意識して速度を速め、毎回走るように下山する。今年この山域、戸蔦別岳の沢で増水による遭難事故が起き死亡者が出る。

 

東北地方の山

 07年から今夏まで青森から新潟まで4回に分けて、年一度夏か秋に10日間登る。秋は08年東北北部にブナを主とした紅葉を楽しみに行く。世界遺産の白神山は静かな人を包み込むような山。ゆるやかな草原のような八甲田山と八幡平。秀麗で見ているだけで拝みたくなるような岩木山と岩手山。カメラを持って歩き通した奥入瀬渓谷。岩木山の麓で買ったりんごを山頂でかじりながら心ゆくまで秋を楽しむ。
 夏は鳥海山と月山は花の山としても有名。月山は古くから山岳信仰の対象となり、今でも家族連れで白装束に身を包み参詣している。羽黒三山5重塔ではホラ貝に山伏姿の僧を先頭に白装束の信者が裸足で長い石段を登っていく。若い女性の白い足が印象的。
 今年の山は稜線上に高層湿原が広がる会津駒ヶ岳、平が岳など。池塘周辺にワタスゲ、イワイチョウが咲き、360度の展望の良さを静かに楽しむ。
 100山の登山の宿は麓の温泉を利用することが多い。今回の宿も小さな旅館、民宿に泊まる。値段、料理、部屋どれも良くなっている。日本には日本一貧しいと言われる町が沢山ある。一年の半分雪に降られ、農地もなく米も取れない。(蕎麦が美味しい)現在では道路はどこへ行っても整備されている。しかし過疎の町には医療機関が整ってなく、医者通いのため隣町まで一日かけて行く。そんな町で家族で頑張って民宿を経営している。地方特有の美味しい料理を食べながら、夏の短期間のみで採算が取れるか心配になる。
100山を目指して北は北海道から南は屋久島まで、山に登らなかったら行かない土地に行った。礼文島で花のなかを歩き、ウニを堪能する。屋久杉の威風堂々とした姿に歓声をあげる。
 観光バスが山頂まで入るような場所では花の減少、鹿の食害も各地に見られ尾瀬のニッコウキスゲも随分少なくなっている。
 仕事を辞めた頃から毎年10日間ほど山と温泉の仲間と一緒に登れることが楽しみだった。一度の怪我も病気もなく、どんな計画を立てても、行動になっても心配することなく過ぎた。この経験は私たち夫婦にとっても財産です。
 8月28,29日は100番目の甲武信岳登山を17名でマイクロバスで行く。甲武信岳は苔むした日本庭園のような美しい山である。カラマツの落ち葉を踏んで歩き易い登山道を山頂まで全員一緒に登る。途中に千曲川源流があり多くの登山者の会う人気の山である。山頂でみんなが見守るなか二人で三角点らしき所にタッチ。一斉にクラッカーが鳴り、ノンアルコールで乾杯。横断幕の前で記念写真。涼風に吹かれて360度の展望を満足する。
 夕方、甲武信小屋で心のこもった祝杯、祝辞、世界に一つだけのTシャツのプレゼントを受ける。29日の山頂は正面には大きな富士山、次回登る予定の金峰山そして南アルプス、八ヶ岳、槍、穂高、遠くには立山、剣岳まで見える。天候に感謝、多くの山々にそして一緒に登ったみんなに感謝、15年間かけて一緒に登った夫にそして自分自身の健康にも感謝する。


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