高齢期を輝こう (老いてこそ輝けから)

高齢期は心身の衰えを伴うが、一方で豊かな経験と知識を身につけている。それらを生かして高齢期は人生における最も輝く時期であっていいはず。

高齢期は人生の円熟した一局面
 人生の行程は定まっている。自然の道は一本で、しかも折り返しがない。そして人生の各部分にはそれぞれその時にふさわしい性質が与えられている。少年のひ弱さ、若者の覇気、早安定期にある者の重厚さ、老年期の円熟、いずれもその時に取り入れなければならない自然の恵みのようなものをもっている。

自分を開花させる喜び
 古代インドには、人生を4つに区切る考え方があり、それぞれを学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期l(りんじゅうき)、遊行期(ゆぎょうき)と呼んだ。
林住期は退職後の時期を想定するとよい。人生のクライマックスは林住期にあるという。
退職後の解放された生活の中で、はじめて自由にものを眺め考え、自分らしさを開花させることができるのだとという。
「本当の人生は学校を出て就職してから始まる」ということがよく言われ、確かに一理はありますが、「自分が本当にやりたいことはなにか」という問いかけは、生きるために働き続け、追われるように走り続ける日常からは、うまれ難い。「人生とは何か?」など、生活の足しには直接ならないようなことを改めて本気で自分に問いかけてみることが、林住期になって初めてできるようになる。
林住期こそ人生のピークである。みずからの生きがいを求めて生きる季節なのです。
退職後の解放された生活の中で、初めて自由にものを眺め考えることができる。
林住期をむなしく終えた人には、むなしい死が待ちかなえている。
人生の本当の楽しみが分かるのは、60代以降である。(瀬戸内寂聴)

老いて初めてわかることがある
 
「高齢期の輝き」は青年や壮年のように輝くなんてあり得ない。歳を重ね、体力、気力の衰えを受け入れ、その上で自分の高齢期の生き方を求め続ける姿こそが「高齢期の輝き」である。
 
 認知神経科学者、臨床神経心理学者の第一人者と言われるエルコノン・ゴールドバーグは、著書「老いて賢くなる脳」の中で、脳の働きは加齢とともに衰えるだけでなく、若い時になかった知恵が身についていくと指摘している。そして、頭脳的な課題に熱心に取り組んできた人ほど脳は賢くなり、脳の老化や痴呆の悪影響を受けにくくなるという。人は何歳になっても、新しいことに挑戦し、自分の頭脳に課題を与えつづけなければいけないと提唱している。

「脳の神経細胞の発生は生涯にわたって続くが、よく使えば脳細胞は新しく作られる一方、使用頻度の低い脳細胞はどんどん排除されていく」と警告している。そして「脳を鍛えることは身体を鍛えるのと同じくらい大切だ」と。

脳と身体は一体である
 「脳といっても、しょせん心臓や肝臓と同じ臓器」 大切なことは、身体を動かせることは脳によい刺激を与え、脳の動きもまた身体の状態に影響すること、つまり脳と身体は一体である。
 脳の状態も日々身体の機能に反映する。脳が明るく前向きに働けば消化はよくなり安眠でき免疫力も高まる。
 脳と身体、この両者はもともと一体であるから、どちらがどちらに影響するというのは妥当でなく、すべてが相互に作用しあつているというべきである。

老いて何が見えるか
 人には、年をとつて初めてわかる驚きがあり、年をとって初めてわかち合える喜びある。老年こそは自己発見と相互再生の黄金の季節なのである。 老いてはじめて物事がみえてくる。
 赤ちゃんは10カ月で生れてくるけど、お年寄りは70〜90年もかかっている。年老いてやっとみえてくるものがある
 70歳の人の言う話は70歳以上にならないとわからない。青春とはせいぜい20年ほども生きれば出会えるものであるが、老年はその3倍も4倍も生きた後でなければ手にはいらない。

 才能は若くして開花するが、知恵が充実してくるのは人生の後半だ。

才能は若くして開花するが、知恵(判断力、道理を理解する能力)が充実してくるのは人生の後半である。
知恵は苦しい失敗を含めてたくさんの経験や知識や、そこから生まれる豊かな感性を必要とする。
老いを迎えた精神には、歳月を重ねなければ得られない素晴らしい特徴がある。老いた精神には失われたものと同じくらい得るものがある。それは知恵であり判断力と分別である。

自分の高齢期を大切にしたい
 肉体的衰えは気力を萎えさせるし、「高齢期の輝き」は、そうした生物としての必然をありのままに受け入れ、その上で自分の置かれた境遇の中で自分としての高齢期の生き方を求め続ける姿なのだというのがわかってくる。
 自分の老いを他人の老いと比べて生きることはあまり意味がない。他人の老いを尊重し、そこに学びながら自分の置かれた境遇の中でいかに自分らしいよりよい老いを生きるかを追い求めかが大切。

感謝の気持ち
 私たちは、これまでお世話になったたくさんの人たちへの感謝を胸にして暮らしたいと思う。自分がかかわったすべての人に感謝する気持ちは自分自身の幸せにもつながります。人への感謝の気持ちは、自分にできることなら何かの役に立ちたいという思いになる。それがそのひとの輝きとなってその人に備わっていく。
 人はみな助け合って生きているのですから、考え方生き方の違いにこだわらず、お互いに感謝しあいながら自分の生き方を大切にしていきたい。

思いやり
 
やさしさは人間の最高の資質である。
 人の欠点だったら3歳の子どもにもわかる。おとなだったら、人のいいところを一生懸命見ろ。感激と感動の目で見ろ。欠点はみえても見るな。いいところから学べ。これを実践していると、人の欠点が気にならなくなって、ストレスがなくなる。自分がどんどん豊かになる。
 
老いの輝きとは知恵の輝き
 
知恵とは分別。ことの道理を知る判断力です。
 知恵は豊かな経験と知識を基に身につくものだからです。身につくには長い歳月とを必要とします。
 知恵こそが高齢者が有する最高の特質だといえる。 経験には失敗もあれば挫折もある。悲哀もあれば屈辱もある。つらい思いをしながらそれらに学び、それらをすべ乗り越え、感謝の気持ちや思いやりの大切さもわかるようになるのが知恵です。
 知恵とは「世渡り上手」のことではありません。頭の回転が速いとか、やり手だとか、如才がないとかとも違います。人が生きる上でもっとも大切なものをわきまえる「術」のようなもの。
やさしさ、人の気持ちを思いやる心、ものごとに感謝する心のようなもの。人と争うことのむなしさ、殺し合うことのむなしさ、命の大切さ、自然の大切さ、自然との共生、人との共生の大切さ、こうしたことに気づけば高齢期は自然に輝くことでしょう。気づかなければ輝くことなく終わるでしょう。だから人は老いても豊かな生活を求めて努力しなければならない。

 そして、人生が一様でないように高齢期の姿もさまざであるので、高齢期の輝きの色調も一人ひとり異なる。色調だけでなく光の強さも違う。
 それぞれ自分の色調と強さで輝けばよい。それが個性となる。輝きが多様だからこそ、高齢期も人生も豊かなのだと思う。