朝が来て「金子や」さんのお饅頭の接待をいただいて出発です。今日の予定は阿波の参 難所(焼山寺、鶴林寺、太龍寺)の内の二つが入っています。山を歩いているとたわわに実 ったミカンの木がありましたので、眼下に四国の自然を背景にして写真を撮りました。前日 に頑張っていたので、二十番鶴林寺までは楽に着きました。ここは地元の人に「おつるさん 」の愛称で親しまれているそうです。私たちも「おつるさん」の前や、日本一の大草鞋の前 で写真を撮りました。この写真はとっても良く撮れていて、私のお気に入りの一枚です。鶴林寺を出て那賀川で写真を撮りました。私たちは山を歩きながら、この川が最初に視 界に入ったときは「わぁー海やうみやウミやー」と叫んでいました。それほどに青く雄大だ ったのです。都会でこんな川を見たことがないんですもの。
二十一番太龍寺に向かう途中の山の中で、遍路の標識を心の支えに歩いていると、箕面 の山田さんがフルネームで「頑張って下さい」と書かれていました。一度は通り過ぎました が、どうしても気になり、引き返して書きとめました。後に手紙を書きましたが、お返事が ないので、ちょっぴり寂しかったです。
山の中で京子は松ぼっくりを拾いました。私は杉の木を拾いました。お遍路の山の中とは それほど感傷的になるのです。太龍寺では京子は鐘をつくところを、どうしても写真に撮る と張り切っていました。グーンと引っ張って、ハイ、パチリ。
太龍寺を出て二十二番平等寺に着く頃には夕方でした。もう朝から二十三キロも歩いて いるのです。ここで驚く事がありました。あの橋本さんが「今日この時間に、私たちが平等 寺に着く頃」だと、待っていてくれたのです。運命を鑑定した紙を持って・・・。信じられ ませんでした。本当にびっくりしました。私たちは丁寧にお礼を言って別れました。この平等寺さんでは、もう一つ嬉しいことがありました。私がやっと着いてヨロヨロと 階段を登り境内に入った瞬間に、水子地蔵が設置されようとしていたのです。京子が着いた ときにはまだ下の台だけで、「あぁー、ママが着く頃にはちょうど、お地蔵さんが置かれる なぁー」と思っていたそうです。本当に私が門を入った、まさにその時でした。またこのお 寺は、今までは水子地蔵さんはいらっしゃらなくて、初めて置かれたということです。私は 水子供養と先祖供養で巡拝していましたから、偶然とは思えなくて、嬉しくて手を合わせて いました。お接待のお茶とお菓子をいただきながら、お地蔵さんの設置されていく様子を見 ていました。
この平等寺を出てからが、今回のお遍路の一番の地獄でした。平等寺から今日の宿泊地「 旅館富庄」さんまでは、地図を見ただけでも半端な距離ではありません。私たちはもう何も 考えずに、先に進むことにしました。しかし、歩けど歩けど今日中には着かないのではと思 える距離であり、もう真っ暗でした。私たちはなんと山の中に入ってゆきます。この時一瞬 ですが、私はしっかりしなければと、京子を引っ張っていかねばと、体がシャキッとしたの を覚えています。月の明かりの何と明るいことでしょう。月の明かりだけで山道を歩けると いうことを初めて知りました。でも私の元気は長く続きませんでした。車道を歩いていると きに、京子が何か叫んでいました。後から聞くと、とても大きな流星を見たそうで・・・願 い事もちゃんと言えたと喜んでいました。私はうつむいて歩いていたので見えませんでした 。残念。もう、絶対にこれ以上歩けないと思って、歩いていました。京子も振り返って私の姿を見 て、今にも車道にフラリと倒れそうな私を見て、限界と思い、とうとうJR阿波福井駅から 「富庄」さんに電話して、迎えに来てもらうことにしました。また、明日ここに戻って、こ こから歩けばよいのだ・・・、大師さんも怒りはらへんわ、と思いました。
「富庄」さんのご主人に迎えに来ていただきました。せっかくだから「御水大師」さんに 寄りましょうと、案内してくださいました。とても親切な優しいご主人でした。「今頃、歩 いてまわる人はおらんよ」と感心されるやら、あきれられるやら。「いやぁーわしら、四国 に住んでてもまだ、お遍路しょうという心境にはなれんのに、あんたら若いのに感心やなぁ ー」と言われました。走っていて分かりました。どんなに無謀なことをしようとしていたか を。真っ暗な中、人一人歩いていない曲がりくねった道を、車でも三十分以上走ってやっと 着いたのですもの。