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森 春美



その四



  朝が来て「金子や」さんのお饅頭の接待をいただいて出発です。今日の予定は阿波の参 難所(焼山寺、鶴林寺、太龍寺)の内の二つが入っています。山を歩いているとたわわに実 ったミカンの木がありましたので、眼下に四国の自然を背景にして写真を撮りました。前日 に頑張っていたので、二十番鶴林寺までは楽に着きました。ここは地元の人に「おつるさん 」の愛称で親しまれているそうです。私たちも「おつるさん」の前や、日本一の大草鞋の前 で写真を撮りました。この写真はとっても良く撮れていて、私のお気に入りの一枚です。

  鶴林寺を出て那賀川で写真を撮りました。私たちは山を歩きながら、この川が最初に視 界に入ったときは「わぁー海やうみやウミやー」と叫んでいました。それほどに青く雄大だ ったのです。都会でこんな川を見たことがないんですもの。

 二十一番太龍寺に向かう途中の山の中で、遍路の標識を心の支えに歩いていると、箕面 の山田さんがフルネームで「頑張って下さい」と書かれていました。一度は通り過ぎました が、どうしても気になり、引き返して書きとめました。後に手紙を書きましたが、お返事が ないので、ちょっぴり寂しかったです。

山の中で京子は松ぼっくりを拾いました。私は杉の木を拾いました。お遍路の山の中とは それほど感傷的になるのです。太龍寺では京子は鐘をつくところを、どうしても写真に撮る と張り切っていました。グーンと引っ張って、ハイ、パチリ。

水子地蔵建立見守る

  太龍寺を出て二十二番平等寺に着く頃には夕方でした。もう朝から二十三キロも歩いて いるのです。ここで驚く事がありました。あの橋本さんが「今日この時間に、私たちが平等 寺に着く頃」だと、待っていてくれたのです。運命を鑑定した紙を持って・・・。信じられ ませんでした。本当にびっくりしました。私たちは丁寧にお礼を言って別れました。

  この平等寺さんでは、もう一つ嬉しいことがありました。私がやっと着いてヨロヨロと 階段を登り境内に入った瞬間に、水子地蔵が設置されようとしていたのです。京子が着いた ときにはまだ下の台だけで、「あぁー、ママが着く頃にはちょうど、お地蔵さんが置かれる なぁー」と思っていたそうです。本当に私が門を入った、まさにその時でした。またこのお 寺は、今までは水子地蔵さんはいらっしゃらなくて、初めて置かれたということです。私は 水子供養と先祖供養で巡拝していましたから、偶然とは思えなくて、嬉しくて手を合わせて いました。お接待のお茶とお菓子をいただきながら、お地蔵さんの設置されていく様子を見 ていました。

月明かりで山道歩く

 この平等寺を出てからが、今回のお遍路の一番の地獄でした。平等寺から今日の宿泊地「 旅館富庄」さんまでは、地図を見ただけでも半端な距離ではありません。私たちはもう何も 考えずに、先に進むことにしました。しかし、歩けど歩けど今日中には着かないのではと思 える距離であり、もう真っ暗でした。私たちはなんと山の中に入ってゆきます。この時一瞬 ですが、私はしっかりしなければと、京子を引っ張っていかねばと、体がシャキッとしたの を覚えています。月の明かりの何と明るいことでしょう。月の明かりだけで山道を歩けると いうことを初めて知りました。でも私の元気は長く続きませんでした。車道を歩いていると きに、京子が何か叫んでいました。後から聞くと、とても大きな流星を見たそうで・・・願 い事もちゃんと言えたと喜んでいました。私はうつむいて歩いていたので見えませんでした 。残念。

 もう、絶対にこれ以上歩けないと思って、歩いていました。京子も振り返って私の姿を見 て、今にも車道にフラリと倒れそうな私を見て、限界と思い、とうとうJR阿波福井駅から 「富庄」さんに電話して、迎えに来てもらうことにしました。また、明日ここに戻って、こ こから歩けばよいのだ・・・、大師さんも怒りはらへんわ、と思いました。

 「富庄」さんのご主人に迎えに来ていただきました。せっかくだから「御水大師」さんに 寄りましょうと、案内してくださいました。とても親切な優しいご主人でした。「今頃、歩 いてまわる人はおらんよ」と感心されるやら、あきれられるやら。「いやぁーわしら、四国 に住んでてもまだ、お遍路しょうという心境にはなれんのに、あんたら若いのに感心やなぁ ー」と言われました。走っていて分かりました。どんなに無謀なことをしようとしていたか を。真っ暗な中、人一人歩いていない曲がりくねった道を、車でも三十分以上走ってやっと 着いたのですもの。







その一
その二
その三
その五



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