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女3人お遍路日記


第4回 33番雪蹊寺から37番岩本寺


34番種間寺へ

 今回は33番雪蹊寺から打ち始め37番岩本寺を打ち35キロ歩いた土佐入野駅で打ち止め、122キロの遍路の旅でした。

 今回の祈願も先祖供養と商売繁盛です。今回も私の親友の京子が仕事の都合がつかなくてママさんと二人です。もう慣れました。

 4月18日高知行き7時15分発に乗り、約40分後、高知空港へ・・・例の如く、ロビーで黙々、さっさと白装束に着替えます。タクシーで先月の打ち止めの33番雪蹊寺へ・・・お寺の前の高知屋さんの美人の奥さんに、先月のお礼の挨拶をして打ち始めの写真を撮ってもらいました。8時45分出発です。私達の遍路の旅は雨といっても激しい雨にはあわず・・・だいたいがとってもいいお天気です。今回も本当にいいお天気で、私はまっくろに日焼けしました。

 一ヶ月ぶりでなんとなーく楽しくてルーンルン、ラーンラン・・田圃の中に走って入って行って、バンザーイして写真を撮って仏さんの花だとママさんが教えてくれた、オレンジ色のお花畑で、座りこんで両手ピースの写真を撮り、道路の真ん中のパンジーいっぱいの花壇に座って写真を撮りました。四国はいいー!水色の空!もこもこの山!きれいな川!おいしい空気!お花はあっちの家にもこっちの家にも・・ほーらほら・・とっても嬉しそうにこれでもかと顔をお日様に向けて咲いている。

 うぅーん私はしあわせよーって大きく背伸びしているみたいに、咲いている。四国のお日様は笑っている。

 山の木もそう。身体全体に美味しい空気を吸って伸び伸び、天を仰いでいる。都会の木も花も遠慮してそこにいる。ほこりにまみれて、申し訳なさそうに花もこぶりです。かわいそぅー・・・せつない・・

 お花に見惚れている間に、10時に34番種間寺に着きました。ここでは入り口にでーんと大師さんが立ってはりましたので大師さんの前に立って写真を撮り、大師堂の龍の彫り物が素晴らしかったので写真におさめました。まだ10時だったけど、私はいじましくうどんを食べたので、ママさんは先に進まれました。ここからは一人歩きです。

 川沿いの土手をズーッと歩いていると、川の端から端まで横に連なって泳いでいるこいのぼりに出会いました。数えてみるとなんと13匹もいました。こんな贅沢な風景は、絶対に都会では見れません。きっとここのお家の子はおおらかに育つ事でしょう。ここらへんの家のこいのぼりは四国の山や川に負けないくらいに大きいです。

 仁淀川の橋は恐かった。風に吹かれるとどボーンと落ちそうだった。その橋の上で自転車の女学生に写真を撮ってもらいました。遠くに山、大きな川の上、自転車の後ろに、にっこり笑った白装束の私、とってもお気に入りの一枚です。

 れんげ畑の所では、ライトバンのおじさんをわざわざ止めて撮ってもらいました。私はいっぱいのれんげ畑の中で白装束で写真を撮るのが願いだったのです。遍路札を頼りに、田圃の中を歩いていると通し歩き遍路の相沢さんに会いました。

 よっちらこっちら・・一番からの通し打ち、大変だと思います。私達は歩いていると言っても区切り打ちです。偉いなぁー・・よっちらこっちら・・一緒に35番清瀧寺に1時20分に着きました。 薬師如来像をバックに清瀧寺の石柱の横、どっしりと立たれた相沢さんは素敵でした。立派な相沢さんの人生が一枚の写真に、しっかりと写っていました。私も同じ場所でニッコリと撮っていただきました。相沢さん有り難うございました。

 35番清瀧寺では、面白い体験をしました。ここには15メートルの薬師如来の立ち像があります。お足の下には中に入れて中はグルグルと階段が回っています。真ん中は本当に真っ黒です。真っ黒・・・その中を手探りで「南無大師遍照金剛」「なむたいしへんしょうこんごう」と唱えながら回るのです。さすがに、真ん中は真っ暗で怖かった。案内の人曰く・・・「暗闇の中にも大師さんはいらしてお導き下さる」とのことです。

 私は本堂と大師堂で、お祈りを済ませると
「おじいちゃん、おばあちゃん、おかあちゃん、春美が来たよ。見ててくれてる?成仏してる?」と言います。すると、うわぁっと胸の奥から込み上げてくる熱いものがあります。今までに無かった事です。でも私はきっと三人が、いいえご先祖様ぜぇーんぶが、遍路する私を見ててくれてるとはっきり信じる事ができます。それは理屈では言い表す事はできません。

 この35番清瀧寺に着いたときに、お参りを済ませたママさんに会いました。 「待ってあげる」と言われたのに、悪いから先に進んで下さいと言ったおかげで、私はこれから後、遍路札を見落として車道まで歩き、海まで突き当たって歩くという、とっても遠回りしてしまいました。後からママさんに聞きますと、遍路札がピタッと無くなっていてずいぶん捜したら、草に埋もれて見えなかったそうです。「四国遍路ひとり歩き」の宮崎さーん、よろしく!・・・

 清瀧寺を後にして、歩いていると、わぁーれんげ畑が一面に・・・走ってきた農家の車を止めて私はかかしの様になったり、座り込んだりして撮ってもらいました。後から見ると四国の山を背にいっぱいのれんげ畑の中、白装束の私は子供のようで、とてもとても気にいっています。

   しばらく歩いていると、今度は神戸須磨からの区切り打ち遍路の中野さんに会いました。写真を撮ってお話をすると、なんと、同じ年でした。家も神戸と宝塚なので中野さんとは、きっとご縁があって会える日が来るだろうと思いました。

また迷ったー

 35番清瀧寺さんで、歩き遍路の地図を貰っておきながら、遍路札を見落として小野茶屋さんまで歩いてしまいました。4時でした。ここで休息しながら考えました。大した距離でもないので引き返して、うんと近道の塚地峠を通る遍路道を歩こうか、それともこのまま海まで突き当たって車道を歩こうか・・・結局引き返すのが嫌でそのまま進む事にしました。でも、引き返した方が正解だったのです。歩いても歩いても疲れた足には、なかなか海に突き当たりません。

   途中で座り込んでジーッとうなだれて地図を見ていると、パトカーが止まりました。
「お遍路さん、どうしました。大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。あの、この道で間違ってませんよね。このまま行けば海に突き当たりますよね。」
「どれ、どれー。あーぁ合ってるけんどー歩いてたら、まだまだかかるよー。気ぃつけて歩いて下さい。」

   よっちらこっちら・・・やっと海に出て、黒潮ラインを歩いて歩いて5時半、「萩の茶屋」に休息。赤い宇佐大橋をめざして、後、一時間だとまた頑張って歩き出す。しかし橋の手前でダウン!芝の上で大の字になって、ねっころがる。

 もう、くれかかった空を見上げながら・・
「一日、30キロはきついなぁー・・でも、いつまでも寝てたってしゃーないなぁー」 重い身体を立ち上がらして、よっこらしょと橋を渡り始めました。すると向こうから私よりもよたよたヨタコと歩いてくるお遍路さんがいます。私が大きく手を振るとおじいさんは「誰やろな」と言う不思議な顔をして近付いて来ました。
「こんにちは、おじいさんは逆打ちですか?」
「いいや、違うよ」
「じゃ、どうして向こうから歩いて来られるんですか?」
「いや、36番青龍寺を打って、後戻りして橋を渡った民宿を予約しているんです。」
「あぁーそうなんですかー・・頑張って下さい。さようなら・・」
この方だけは名前を聞けなかった・・だって、背にも胸にも荷だらけで・・

 橋を渡ると遍路札がありました。後2キロ・・しかし後2キロのなんと遠い事でしょう。だいたい前方に何も見えない!右が山、左が海・・でもあの大きく曲がったところを過ぎると、きっときっと・・・もう真っ暗・・

 あッ!!あった「酔竜」さんだ。7時30分でした。36番青龍寺は「酔竜」さんのすぐ近くです。お参りは明日にして、まずは元気な顔をママさんに見せなきゃ・・ママさんは5時30頃に着いたそうです。

 ママさんは、先月の遍路は、たまたま靴が合わずまめが出来てヨタヨタしてはりましたが、今回はナウい靴を買われ調子が良くて、
「ママさん、しんどくないの。私は一日30キロは限界です。もうクタクタです・・・」
「あーぁそぅー私は全然しんどくないよ。身体に羽がはえた様に軽いの。もう楽しくて楽しくて青龍寺さんの階段なんかタタタァーと一気に駆け上がったのよ。もっともっと歩けるわ。40キロくらいへーいきフンフン」
(ママさんは、1時間4キロ以上のハイペースで休息なし、食事時間20分程、最後の日は50キロ歩くという健脚ぶりでした。こんなことならいっそまめができてくれる方が楽だわ・・と最低の事を思ってしまいました。ごめんなさいママさん、大師さん。私はママさんの事を今回から密かにロボコップIIIと名付けました。)

 翌朝「酔竜」さんの前で写真を撮って7時に出発です。ママさんは昨日、36番さんのお参りを済ませはるので別行動です。
「ゆっくり歩いて民宿で待ってるからね。」とさっさと出発されました。「酔竜」の裏手にある青龍寺に7時20分に着きました。

 納札所の上の赤い塔がとてもあざやかだったので写真に撮り、かわいい(?)お不動さんも撮りました。ここの納札のおばあさんは、むっちゃ美人でびっくり仰天して、私はジーッと見つめてしまいました。まるで、お衣装を変えたらベルサイユ宮殿から出てきてもおかしくないような西洋系のお顔だちでした。こんな風に年をとりたいなぁーと思いました。感動!

 この日は、私は朝から足が痛くてヒョコヒョコ歩きます。ちっとも距離が延びません。海岸沿いをひたすら歩きます。青竹が落ちていたので、100回踏んで又歩き出します。たった7キロ歩くのに3回も缶のお茶を道路に座って飲みました。

 山道に入りヨッチラコッチラ道路の端の少しの草を見つけては、、その上を歩きます。お遍路道中で一番辛いのは険しい山道ではなくアスファルトの道です。とても痛いのです。道幅の広いところで座り込んで足を休めます。山の嵐、「ホーホケキョ」の鳥の声、山のもこもこの木々が、しばしの間、疲れを癒してくれます。今日も30キロめざすのは安和まで・・・

 12キロ地点、11時30分。水上レストランでお昼にしました。1時間3キロのスローペースです。

 一人歩きです。道を間違えないように何回もひとり歩きの地図を見ます。大きな目印は岩不動です。12時20分横波小学校通過。しばらく歩いていると 「おへんろさーん」とおばあさんが追い掛けて来てヤクルトを接待して下さいました。私の事を20代と思ってくれたらしくて嬉しかった。へへへ・・ 「えらいなぁーえらいなぁー」としきりに言ってくれました。

 私はよく冷えたヤクルト1本がどんなに美味しかった事でしょう。遍路道を登り、山道を登り岩不動までナカナカだ。道は絶対に間違ってない。昨日のように遠回りは絶対に嫌だ!・・しつこいぐらい地図を見て人に聞いて・・やっと岩不動に到着。

 ここのお寺では、私の姿が見えたからと、お茶とお菓子をおぼんにのせて、門の外まで運んで接待して下さり感激しました。ここでは、赤いまえかけをしたお地蔵さんが、一列に並んで、ずらーっといらっしゃたので、珍しくて写真に撮りました。

 頑張って歩いて須崎の町に入ります。この町の中でおばさんに呼び止められ「お接待しましょ」とお金を下さいました。何とそれは500円玉でした。私はびっくりして丁寧にお礼を言って別れましたが、とても感動しました。

 今までのお遍路で今回ほど、沢山のお接待を受けた事はなかったように思います。四国の人は思いやりの心が深いのでしょう。それは四国の自然が、はぐくんで来た心のように感じました。

再会

 とことことこ歩いていると、白い車が止まり遍路のおじいさんが降りて来て・・・
「乗りなさい」
「有り難うございます。でも私はぜぇーんぶ歩いて回ります。」
おじいさんは私の歪んだ袈裟を直しながら・・
「まぁーまぁーかわいい顔して意地はってー。歩き遍路もこの土佐の辺でみぃーんな車にのるんやーわしも何人も乗したんやー 昔の人が言うとったで・・目上の人の言う事は素直に聞かなあかんて・・」
あれっ!どっかで聞いた事のあるせりふやなぁーあぁーーーーこの人は先月にも会った鉢巻きのタコおじさんや・・・やっぱりまた会えた・・縁があるんやなぁー3月、4月とこの広い四国で2回も会えた。この人は愛媛の宇都宮繁さん。80才、錦札も眩しい113回のお遍路の途中でした。

 「お手紙を出すからねぇー」と大声をかける私に、後ろ向きに手を振り
「よっしゃーよっしゃ」とサヨナラしました。この人は私と会うのが2回目だという事も、鉢巻きタコおじさんと名付けている事も知らない。

 新荘川橋を渡り、あと少しもう27キロぐらい歩いている、あと3キロ頑張れ・・なんで後2、3キロってこんなにしんどい! よろよろヨロヨロ・・・アッ今日の宿泊先「安和の里」が見えた、やっと見えた・・・ここで女の方二人の乗った車が止まり・・
「岩本寺まで行かれるんですか? とても足が痛そうですし、乗って下さい」
「有り難うございます。今日はここに泊まりますので、本当に有り難うございます。」

 4月19日5時50分「安和の里」到着。ママさんは2時30分に着いていて、町の中をぶらぶらしていたそうです。強い!元気!

 ここのご夫婦はとても優しくて美男美女で、元気な男の子がいて、食事もとても美味しくて、幸せでした。男らしい眉の濃いご主人、控えめな奇麗好きな美人の奥様、はずかしがりやの男の子・・・幸せな一家の姿を見て、とても微笑ましく印象に残りました。

 4月20日、7時に民宿の前で写真を撮り出発です。今日は37番岩本寺まで25キロぐらいで気分が楽です。

 ぽかぽか陽気のいい天気で、ルンルンと歩いていたのですが・・だんだん暑くなりズーッと続く山の道路・・喉がカラカラ、ヒーッママさんも暑い私も暑い・・こんな時に自動販売機らしき物も見えません。あまりの暑さに私は前から走ってくる車に
「すいませーん、何か飲むもの持ってませんかー」と大声を上げてしまいました。運転手さんは「持ってない」と手を振りながら走り過ぎて行きます。ママさんは笑っています。結局、3時間、12キロ七子茶屋まで飲み物にありつけず私はまるで恋人のように販売機に走って行ってお茶を買いました。

 ごくごくゴクゴクごっくん私達は大缶を一気に2缶飲み干しました。でも、ママさんはもう一缶買って大笑いしました。久しぶりの二人歩きです。農家のお庭に一面にピンクの絨毯の様に可愛い花が咲いていました。ママさんが,
「これは芝桜よ」と教えて下さいました。

 12時「山株」さんでラーメンを食べたり、お土産屋さんで宅配便を送ったり、色々とお喋りしながら歩きました。私は遍路を旅行記にしていますが、ママさんは歌を詠んではります。なかなか教えてくれませんが、・・たしか・・(間違ってたらごめんなさい、ママさん)
「人に生まれてきて良かったのか道端の草や虫に問う」
こんな歌でした。私は感動したのを覚えています。

 ゆっくり歩いて、2時30分に37番岩本寺に着きました。門前でバスのお遍路さん達に
「まぁーこの人は歩いてなさる」と手を合わされました。照れるなぁー、ゆっくりお参りを済ませ写真を撮りました。お寺のお家の入り口が開いていて近所の人とお話をしていらした奥さんに、四国を歩いていて、前から不思議に思っていた事を聞きました。
「すみません。四国の家はどうしてお正月の玄関のお飾りを、いつまでも外さないのですか?」
「外す家もあるんですけど・・はずさないんですねぇーどうしてやろなぁー」と逆に聞かれてしまいました。ハハハ

 この日の宿泊先「伊予屋」さんは、岩本寺の前でした。しゃきしゃきおばあさんの頑張っている掃除のいきとどいた旅館でした。

 さて・・私は今回の遍路でこの夜から、とんでもない事をしでかしたのです。修行といえばかっこいいのですが、無謀だったようです。この夜ママさんは、
「最後の明日は土佐佐賀まで22キロだから楽やね。そこから4時34分のくろしお鉄道南風16号に乗るのよ。」
でも、なぜかママさんの様子が・・何かを考え込んでいます。私はその時やばいなぁーと思いました。やっぱり予感的中!
「20キロじゃもったいないからもう少し歩いて土佐入野まで頑張ろうね。ねっ!ママさん。」
「えーっ!土佐入野までは35キロあるんですよ。ママさんは元気だし足も早いですけど、私は一日10時間かけて30キロがやっとなんですよ。それも待っているのは民宿ではなく、4時20分発の列車なんですよ。私は絶対に無理ですよ。。」
「そうやねぇー。じゃママさんは34分の佐賀で乗ってね。私は35キロ歩いて入野で乗るから・・」

   私は悲しくなりました。こんなに頑張って歩いて来たじゃない。最後の日なのに一人だけ先に進まなくても・・私はお布団に入ってもなかなか眠れなくて、トイレに行きました。廊下を歩きながら考えました。
(私達は店をしながらの区切り遍路です。同じ遍路に来た限り少しでも先に進もうと頑張っています。行き来のロスタイムだけでも勿体ないのです。ママさんの足を引っ張ってはダメだわ。でもここまでママさんについて来た。私も頑張ってみようか!でも7時に発ってたら1時間4キロのハイペースで休息無しでも9時間かかって4時だ。と、言う事は・・・1時間3キロのペースで10時間、休息を考えると3時か4時に発ったら私でも入野まで歩けるのだ。ちくしょう!やったろやないけー!)

 部屋に帰ってママさんに
「ママさん、私も明日は早くに発って、頑張って入野まで歩きますわ。」
「えーぇ!本当に。嬉しいわ。歩こう。わぁー!ママさんが歩く気になってくれたぁー。うれしぃー。」
(もうー。何がそんなに嬉しいんですか。私は苦痛ですよ。悲壮ですよ。あなたがそうさせてんやないの。)と心で思いました。私は決心してからも不安で・・いつもの夜ならお風呂に入ってご飯食べて、一日で一番幸せな、お布団の中なのに・・・

 そして・・・私は・・考えました。同じ眠れないのなら・・寝んかったらいいねん。これって半分やけくそ!!今から歩こう!!横のママさんを起こさないように、そっと荷を整え身支度します。そろそろと玄関に下りて行きます。玄関で用意をしているとママさんが下りて来て
「ママさん、なんぼなんでも早すぎる・・危ないあぶない」・・・・

夜中の遍路

 私は決心して4月21日0時00分「伊予屋」さんを後に夜中の町に一歩を踏み出しました。懐中電灯も持っていません。いつもならリュックに入っている「四国遍路ひとり歩き同行二人」をしっかり握りしめ、1キロごとの目印をしっかり確認しながら山の道路56号線・・真っ暗の道・・バームクゥーヘン一個をリュックにぶら下げて・・立ち止まると寒いしキッと歩いて行きます。
(私は強くなったもんだわ。発進の道場で京子の後ろを、ズルズルと泣きながら歩いていた私が・・夜中に只一人で目的地の土佐入野まで35キロ、4時20発の列車に間に合うべく・・地図を片手に握りしめ歩くとは・・本当に土佐は修行の道場だ。)

 「南無大師遍照金剛 なむたいしへんしょうこんごう ナムタイシヘンショウコンゴウ」
「おじいちゃーん おばあちゃーん おかあちゃーんゆりー きょうこー さいとうさーん ごうださーん」
「いっしんに いのぉーりたぁーてぇーまぁーつぅーるぅー ひぃーとぉーのちぃーかぁーらぁーはぁー かぁーすぅーかぁーなぁーれぇーどぉーもぉー・・・うさぎーおーいし かあーのーやまー・・・」

 黙黙黙黙黙 もくもくもくもく モクモクモクモク ・・56号線を21日の夜明けに走っていたダンプのお兄さん達ー貴方達の見た物は、幽霊じゃないですよー。遍路の春美さんですよー。ははは・・・

 4月21日 A.M4時20分 15キロ地点 宮崎酒店通過 5時40分 20キロ地点 JR土佐佐賀到着 スッピンで出て来た私は、この駅で化粧をして足を休め、お茶を飲みながらトイレを借り「ホッ!」としました。 がんばったぁー・・・朝だぁー・・

 4月21日A.M6時30分土佐佐賀駅を心新たにして出発です。しかし、夜中ずーっと歩き通した私は朝を迎えて心身共に疲れが出ています。とことこトコトコ歩きながら・・・何回も足を休めます。朝が早くてどこも食べるところは開店していません。8時30分25キロ地点「なだ食堂」の辿り着きました。どうも廃業しているようです。でも私は縋る気持ちでガラガラと戸を開けました。

 「あのーすみませーん。営業はもう、してはらないのですか?」
「あーぁ もう 店はやっとらんのや」
「この先にとみ食堂というのがありますよね。」
「あーぁ そこは親戚やけどそこも、もうやっとらんのや」
「あのー私、夜中の12時から、ずーっと歩いて来たんです。」
「そりゃーえらかったやろー少し休んでいきなさい。」

 私は・・実は戸を開けた時から、そのつもりでした。靴を脱ぎ、そのまま上がり口に横たわりました。私はそこらへんにあった服を被って、朝日の当たる部屋でぐっすり30分ほど眠りました。

 ご主人は、「おぉーい、女のお遍路さんが夜通し歩いたいうて、今ここで休んどる。何か食うもん無いか?」と奥さんに電話をしてはりました。・・・・起きてきた私に、嫁はんが来るまで、何も食べる物がないんやとコーヒーを入れてくれました。
「頑張るのはええけどなぁー、夜は絶対に歩いたらあかんで、なーぁ」
「はい」
疲れた私を休ませてくれて、お茶をご馳走して下さいました、なだ食堂の御主人。本当に有り難うございました。御主人の優しさと窓からの朝日と、そこにあった服の暖かみを、私は一生忘れない事でしょう。

 私の事を心配して、おちおち眠れなかったママさんも4時ごろ発って、どんどん歩いて、どうも私がここで眠っている間に、追い越してしまったようです。

 9時になだ食堂を出て、9時50分28キロ地点、やっと開いていた喫茶たかはでモーニングを食べました。トースト、卵、味噌汁まで付いていました。とても美味しく、ここでゆっくり休みました。ママさんとの約束の土佐入野まで後7キロ、ゆっくり歩いても1時ごろには着きます。うれしぃー。しんどい。足痛い。

 この喫茶店のお客様にお接待しますと、お金を頂きました。有り難うございました。歩きはじめた私はやっと思い出したようにカメラを取り出して、海の写真を2枚撮りました。32キロ地点の大師堂を通過して歩いていると、立ち話のおばさん二人に100円づつ接待していただきました。また歩いているとショッパーズ田辺がありましたので、ウーロン茶とお饅頭を持ってレジに向かうと「お接待します」と、そこのオーナーのようなおばさんがお金を受け取られませんでした。今回のお遍路は、あっちこっちでお接待を受けました。本当に有り難い事でございます。

 ここら辺から、あと少しだというのに足が痛くて痛くて、全然前に進みません。私は、ママさんはきっと3時ごろから私をお追い掛けてきっと何処かで追い越しているのではないかと思いました。そして・・・ママさんはきっと後8キロ先の中村市まで歩きはるのではないかと思いました。

 次回の遍路に来るときに便利なように中村市まで歩きたいと、ずーっと言ってはったから。元気で足の強いママさんが、土佐入野まで来てまだ昼なら、後8キロの中村まで歩いても4時の列車に間に合うのなら、彼女ならきっと先に歩くだろう。イヤイヤしかし、私が夜通し歩いて約束の土佐入野まで頑張ったんだから、私をおいて一人で先には進まないよね。イヤイヤあの人の事だから昼に着いて何時間もロスする人じゃないなぁー。色々と考える私でした。

 ヒョコヒョコずるずる・・小僧すしを左に曲がり、土佐入野の駅まで50メートルぐらいなのにトオイトオイ・・やっと着いて可愛いお花畑のロータリーで写真を撮り、大師さんに打ち止めのお祈りをしました。12時30分でした。「伊予屋」から35キロ何と12時間もかかりました。もう夜中は絶対に歩きません。次回は5月この土佐入野から打ち始めの予定です。

 土佐くろしお鉄道の南風16号4時20分発まで、時間はたっぷりありますが私は中村まで歩く元気はありません。私は駅の中の喫茶店で休みながらママさんを待つ事にしました。でも2時になってもママさんは来ません。ママさんのペースでまだ着かないはずはありません。やはりどこかで私を追い抜いて中村まで歩いてはるのでしょう。さみしいなぁー・・・。

 でも、同じ列車で会えるんだし・・まぁーいいや・・喫茶店で漫画を読んでラーメンとぜんざいを食べてゆっくり時間が過ぎてやっと4時になりホームに入り、私は地面に座って疲れた足をほぐします。ゆっくり身体のすみまでストレッチします。土佐入野のローカルな自然の中の駅の風景を目に焼き付けます。私は夜通し歩き続けたこの土佐の56号線と入野の駅を一生忘れる事はないでしょう。

ママさんがいなーい

 列車が着きました。たった3両しかありませんのでママさんはすぐに見つかるはずです。どの駅で乗っても一番後ろに乗るって約束したんだわ。
「ママさん ママさん・・」
あれっ いない。じゃ2両目。
「ママさん ママさん」あれーいなーい・・なんでーじゃ3両目かな!一人ひとりゆっくり顔を見て・・・いない!!!なんでなんでー・・

 もう一度、全ての車両を見て回ってママさんが乗っていない事を確かめた私は、自分の席を決めて座りました。私は拗ねて涙ぐんでいました。
「ママさんがこの列車に乗るって言うから、私は夜通し歩いたんじゃないのー、中村までならまだ分かるけど、それ以上歩いていると言うのー、そんなのひどいよーひどーい・・」

 ママさんは次回の遍路を5月16日から一日40キロの予定で宇和島まで行くと言う、すごい日程を組まれています。ママさんがこれ以上歩いているのなら、とうとう三人がずれてしまうのだなぁー。・・・もしもの時のためにどういう風にして大阪に帰ればいいのか聞いてて助かりました。この列車で岡山に着いたのが8時31分、8時42分発ひかり62号に乗り9時39分に新神戸に着きました。地下鉄に乗り三の宮に出て、阪急に乗り売布神社へ・・我が家へ・・

 追伸 後からママさんにお話を伺ってみると・・・やはり私がなだ食堂で休んでいる間に私を追い越して、土佐入野に着いたのが私より30分早い12時だったそうです。私がいないのできっと中村に向けて歩いているのだろうと、そのまま歩き続けて中村に着いたのが2時だったそうです。ママさんは時間もゆっくりあるので喫茶店に入り、うとうとウトトと眠ってしまって・・・何と2分の差で列車に乗り遅れたのだそうです。結局その日の新幹線に乗れず、岡山に一泊されたそうです。はははは・・・本当に私達にとって、土佐は修行の道場です。思い出も深い事でしょう。



 今回は第4回目の遍路で、33番雪蹊寺から37番岩本寺までの、122キロ3泊4日の遍路の旅です。

 なお、このページは、伊藤 友樹 (VFE04065@niftyserve.or.jp)さんのフリー・ソフトSuper Tag 32を使用して作りました。

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