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女3人お遍路日記

第9回 58番仙遊寺から64番前神寺


「仙遊寺へ」

 今回は58番仙遊寺から打ち始め64番前神寺を打ち、そこから11キロ歩いたJR中萩駅で打ち止めの66キロの遍路旅でした。日数の割には距離が延びなかったのは横峰山の頂上に在る60番横峰寺を打つ為です。納経の時間と宿の場所を考え併せると時間は余ってもこれ以上は進めないと言う残念な思いをしました。でも、それはそれでゆっくりとした時間を与えられたのだと思い身体を休める事にしました。

 今回の祈願も先祖供養と阪神大震災の犠牲になった姪の中北百合の平安供養、そして全壊の為今なお仮設住まいの中北の自宅と仕事場を兼ねた中北幸環境建築事務所の完成と仕事成就祈願で歩かせて頂きました。

 3月24日午前6時10分新大阪発の「こだま」に乗り三原へ・・・三原港から高速船に乗り今治港へ・・・船から下りて歩き出すと待合所の一番前で大きく手を振りながら笑顔で迎えてくれる西幸夫妻の顔が見えました・・・

 このご夫婦とは前回円明寺で出会い私の重いリュックを53番円明寺から北条の門田旅舘へ、旅館から54番延命寺までの二日に渡って運んで下さった・・・あの時・・・旅館から延命寺まで25キロ悲しいくらいの雨だった・・・雨で憂鬱な灰色の瓦工場の菊間町・・どんどんひどくなる雨の中・・・痛い足を引きずりながらリュックを背負わないで歩けている事を神に大師様に西幸夫嬉に感謝し続けていました。

 あれから五ケ月が立ち西幸夫婦は、この今治港から前回の打ち止め場所の58番仙遊寺まで送って下さるべく北条から迎えに来て下さっているのです。私達はお互いにあの日以来ですので何を話していいのかも分からず照れていました。只バタバタとして車に乗り込み仙遊寺に向かいました。車の座席に私の文が掲載されている「歴史と旅」を見つけた時はとても嬉しかったです。

 仙遊寺に向かう壕の途中でした。学生らしい女の歩き遍路さんが「よっちら、こっちら」と登っているのを見かけました。自分も歩いているのですが人が歩いているのを車の中から見てみると
「ワァー!あの人歩いてはる、それも若い女の人が一人で、よぉ−やるなぁ−すごいなぁー偉いなぁー・・・なんかあったんやろか?!・・・」などと思ってしまいます。ハハハおかしいー仙遊寺に着きました。

 前回の打ち止めの同じ場所で西幸夫婦と腕を組み写真を撮りました。私と奥様のほっぺはお多福の様に真ん丸に写っています。再会の喜びと再び四国の地に立ち、懐かしい景色を眺めて嬉しさいっぱいのニコニコ顔です。ご夫婦は今回も不用の荷物を今日の宿泊先「今治湯の浦ハイツ」に届けて下さるのです。本当に有り難い事でございます。きっと前世でご縁のあった人達なのでしょうね・・・なぁーんちゃって、ふふふ・・

 さぁーご夫婦にお別れをして打ち始めのお祈りを決意を込めて静かに済ませ、11時20分出発です。とことこトコトコ遍路道を抜けて歩いていると前方に歩き遍路の男の人が腰を掛けて地図をジーッと見ていました。いつもの様に気軽に声を掛けようとしましたが、そういう隙を全く見せない様子なので私らしくもなくやめました。田舎の一本道です。誰も歩いていないのに彼は全く白装束の私が近付いて行っても気づかない風です顔が確認出来る程に近付きました。わォームッチャ!ハンサムです・・・

 あれッ?なんと外人でした。それも小柄の。最後までこちらを見る事は無くまるで何も視野に入ってないと言う感じでした。見ている私の方が厳粛な気持ちになりソーッと歩き過ぎました。後からも長い一本道で彼を前方に見掛けました。きっとお昼ごはんでも食べていたのでしょう。彼は日本人の様な体型で、背中には野宿でもするのだろう寝袋を背負い、時速6キロ?程の早いペースでずんずんと進み時速3キロの私の視界からはアッと言う間に見えなくなりました。彼の風貌は何か近寄りがたく視線は真っ直ぐと前方を見据え、颯爽とした様は凛々しく修行の遍路さんみたいで私の様に、ずるずるヒョコヒョコお饅頭に誘惑されてフラフラしているのとは偉い違いで頭が下がりました。

「59番国分寺」

 とことこトコトコトコ・・・なんやかんやと感心している間に左に曲がるとそこはもう59番国分寺でした。1時30分に着きました。今治市はタオルの町です。国分寺の前にタオルのお店がありました。ちょっとのつもりで覗いて見ましたら外の台の上に子供の湯上がりボンチョが広げて掛けてありました。熊さんやコアラや兎さんの形になっていて動物の顔の所が帽子になっています。これだと子供の頭にすっばりかぷせると頭も拭けて手も通せて湯冷めも無く、なによりも子供が喜びそうです。私は嬉しくなって孫の他にもお客様の赤ちゃんにもプレゼントしたくなり送ってもらう事にしました。

 そのお店は「ワタショー」さんと言います。ご主人の渡辺さんは小さいタオルを何枚もおまけしてくれ、特にベティちゃんのタオルは私のお気に入りでゴキゲンです。ルン 

 国分寺を後にして歩き出します。今日は一睡もせずに新幹線に乗り昼から歩いているので予定を10キロとゆっくり立てています一日目に頑張り過ぎて二日目に苦しい思いを何度も経験しているからです。とことことこトコトコトコ2時30分喫茶アストロで休息して食事をしました。

 黙黙黙とことことこ桜井漆器会館に着きました。素晴らしい建物だったので思わずとことこと入って行って一回り見て回りました。私は売り物の漆器よりインテリアとして飾られていた紫の扇模様の帯に心引かれてしまいました。

 さて此処から今日の宿泊先「今治湯の浦ハイツ」まではしんどかった。ホテルまでは道路を曲がってから随分と坂をクネクネと登って行かなければならず、明日は又この坂を下りて道路に出て歩くのですから「なんやねん、これー!」ってふくれて登りました。

 やっと3時20分ホテルに着きました。私の持っている四国遍路ひとり歩き同行二人には載っていませんが最近建ったと思われるとてもおしゃれなホテルが手前に建っていました。「湯の浦ハイツ」は国民宿舎の様な庶民的な募囲気のホテルでした。部屋には既に西幸夫婦が私のリュックを届けて下さって部屋の隅に置いてありました。私の到着をじっと待っていただろう懐かしい水色のリュックを見つけた時おもわず一人で「ニッコリ」と笑い掛けてしまいました。「お待ちどう様、明日からは又一緒だよ」・・・

 ここのお風呂は温泉らしく、大きなお風呂で一人のんぴりと外の景色を望みながらヴィーナスになったつもりで石の上に腰掛けてポーズ(?)をとってみたりしながら、手足を伸ばしてゆっくりゆっくりと最高のお風呂を楽しませていただきました。

 3月25日6時50分出発です。朝食は時間が早いのでありません。ホテルの人曰く「お遍路さんは、皆さん朝が早くて食べずにご出発されますが」(タベタラ、アカンミタイヤナふふ)確かに食べているより早く出発した方がどれだけいいかと思いました。

 昨日ネクネ登り坂は今日は下りなので楽です。とことこトコトコトコ・・・今日は降ったりやんだりの雨日よりで嫌だなぁー。黙黙もくもくもく・・8時臼井の水通過・・・9時喫茶ありすで朝食。なんと此処のBGMは朝から演歌でした!

 黙黙黙もくもくもく・・吉岡郵便局通過・・10時20分丹原小学枚通過・・コスモ石油通過・・・10時50分喫茶装園で昼食。

 ここで四国遍路ひとり歩き同行二人の地図をじっくり見ます。順番で行くと次は60番横峰寺ですが私は68才からの同行二人のモデルプランを参考にしていますので先に62番宝寿寺を打ち、そして61番香園寺に今日は泊まって明日60番横峰寺に一日中かけて登り、又香園寺に泊まると言う予定なのです。歩いてみないと分かりませんがきっとそれが一番歩き遍路にとってベストの方法なのでしょう。なんせ私の大師さんの宮崎建樹さんが歩いて歩いて作られた地図とプランなのですから。

 地図を見ますと簡単そうで迷う事はない様です。しかし念の為にご主人に62番宝寿寺に行く道順を聞きました。すると、ご主人はそこに居合わせた女性客に「なぁーどう言うたらいいのかな」と話掛けられました。このお客さんはそれはそれは丁寧に紙に書いて説明して下さいました。歩いて見て分かったのですがこの人の説明と地図がなかったら絶対に迷っていた所でした。私の持っている地図は素晴らしいのですが所々説明不足の部分があり、やはり人に聞くと言う事はとてもとても大切な事だとこの度はしみじみと感じました。

 喫茶店を出て歩き始めます。とことことこトコトコトコ・・・・後ろから走って来たオートバイのおじさんが私の横で止まって
「お遍路さんジュース代を接待しましょ」と言って110円下さいました。この110円と言うのは自動飯売機で買う金頚なのだと微笑ましく思いました。黙黙黙もくもくもく女性客の書いてくれた地図はとても詳しく私の地図はこの部分はとても簡単で書く長い距離をてくてくてくと歩きました。

 12時20分「よしだ橋の上から今歩いて来た道を振り返りれんげ街道を撮りました。黙黙黙もくもくもく大きな書道屋さんが目につき(もぅー春美はよ行かなあかんやん、寄り道ばっかりしてたら・・・うん!でも硝子越しに見えるあの蛙の文鎮とか竜の水差しがとても気になるのよネッ!帰ってから後悔すんのも嫌やし・・・ちょっとだけ)と、自分を納得させながら入って行って靴を脱ぎ(このお店は靴を脱がなければならないのです。)上がって一回りしました。

 ここで蛙の文鎮とそれの台、竜の水差し、硝子の金魚、猫、像を買い送ってもらう事にしました。パパやバイトヘのお土産です。蛙の文鎮は緑色の蛙が大きな蓮の葉を傘にして手に持っていてとても愛嬌があるので一目惚れしてパパに買った物でパパも気に入ってくれました。竜の水差しは中国製で店に同じ形の大きな物があるので親子になると買ったのです。

 私は今まで生きて来てまたお遍路をしてみて「曼陀羅」を作ってみて、どれだけ人と人、人と物との出会いが大切で不思義なものであるかを身を持って体験しています。それは日々のこういうひとこまひとこまを自分の五感に耳を澄ませる事、心を見つめる事を大切に思っているのです(しかし、時々その判断も間違っている事があり後から泣く羽目になる事も多々ありますが、それはそれで失敗も成功の元とまたまた前向きに生きていく春美さんなのです・・ハハハ・・)

「お買い物でルン」

 女と言うものはどんな時でも買い物をすると気分が良くなるようで、ルンルンと歩き出しました。ふんふんふんサッサッサッ!1時30分62番宝寿寺に到着!!ここの4メートル位の石の仏様は右目から頬にかけて傷があり、泣いておられるみたいでかわいそうでした。でもその前でお参りの方に写真を撮っていただきました。現像して見るとその仏様は眉も垂れてて閉じた目も下がってて傷は太くて長くて見ているとかわいそうで哀れで胸が締め付けられて写さなければ良かったと後悔しています。サッソクコウカイ

 さて、今度は今来た道を少し引っ返して今日の宿泊であり又61番札所でもある香園寺に向かいます。とことことこトコトコ・2時40分に着きました。この時間に着いて前に進めないと言う事は仕事を持つ区切り歩き遍路にとっては、情けない位に歯軋りする程に悔しい事です。しかし今から60番横峰寺に登っても納経の時間には間に合いません。きつい山だと本に載っています。明日は横峰山に登って60番横峰寺を打ちまた下山して61番香園寺に連泊という予定なのです。美しい谷川に沿った山路は登るに従って胸つき八丁の急な坂道だと言う事で、私は今度の遍路では横峰山に登る事は覚悟をしての旅立ちでした。ですから時間は余っても明日の為に大師さんが身体を休めなさいと仰っているのだと考える事にしました。

 61番香園寺は荘厳と言うか圧巻というか威圧と言うか立派と言うか・・・はたまた(こんなん、やめてよ!)と言うか・・・・どっちにしても今までの四国のお寺とは全く雰囲気の違う近代的な3階建てのモダンな建物でした。1階は椅子席の講堂、2階は畳敷きの灌頂堂、3階は本堂と大師堂が一緒になっていて、正面に本尊大日如来、脇寺に不動明王、子安大師を安置し約4千人が収容出来る椅子席になっています。

 境内には鉄筋コンクリートの宿坊があり500人は楽に泊まる事が出来、銭湯ほどの大浴場もそなわった至れりつくせりの札所です。納経所は広くて土産物は数揃えられ応対は事務的でした。その人は坊主頭の女の人で顔がとてもとても小さく身体つきも小柄でまるでお地蔵さんを見ている様です。人に媚びない美しさと冷たさに魅かれて無遠慮に見つめていました。その人は私の視線に動じる訳でもなく淡々としていました。毎日毎日お参りの人達できっと忙しくていちいち気にしてはいられないのでしょう。

 さっきからおばあさんが手首にするお数珠を見ています。都会でも若者がよく手首に数珠をしているのを見掛けます。バイトや母に買って上げようと私もおばあさんの横で選びます。プラスチックは安いのですが柘植は少し高いのです。おばあさんは柘植の方を欲しい様ですが買われませんでした。私はバイトにプラスチックを母に柘植を買って少し考えてからもう一つ柘植の数珠を買いました。

 さっきのおばあさんに近付いて行って
「こんにちは、あのーこれ、お接待させて下さい」と言ってお数珠を差し出しました。おばあさんはびっくりなさいましたがとても嬉しそうに受け取られました。(良かったー)私もホコホコしました。おばあさんは納経所に行かれて両替をされて私に近付き
「お接待させて下さい」と500円下さいました私はニッコリ笑って有り難く頂きました。本当にお互いとても気持ちが満足でした。

 おばあさんに写真を撮って頂きました。ルン、香園寺の大師さんは88ケ所のお寺の中で唯一赤ちゃんを胸に抱かれています。その伝説のいわれは大同年間(806−10)に弘法大師はこの地に来られると難産で苦しんでいる婦人を見かけました。大師は唐から持ち帰った金の大日如来像を本尊の胎内に納め栴檀を薫じて護摩修法をされたところ、男の子を安産しましたので栴檀山・香園寺と号し第61番の霊場に定められたと伝説にあり、安産、子育てに霊験ありと「子安大師」の名で広く知られていて、それでここの大師さんは赤ちゃんを抱いているのです。

 さて、部屋に案内されましたが暖房は時間にならないと入らないそうです。また部屋でも食事中でもマイクで7時から本堂でのお務めの放送が何度もあります。なんか追い立てられる様で気忙しいです。供養の願意が二千円だそうで子供の分は二千五百円と言う事です。この時点で何をしていただけるのかよく分かりません。どうもこのお務めは出る義務があるようでまた本堂はとても冷えるのでお風呂はお務めの後でしか入れないそうです。(後からお風呂に入りましたがこれも今度は何時までに上がって下さいと放送が流れ本当に慌ただしくて、なんかベルトコンペヤーに乗せられてゾロゾロと流されている様な感じでチョット?でした)

 願意は一人一人読み上げられ最後にお札を下さると言う事らしいです。食堂で私の名前が書いてある席に座り御飯を頂いていると私の前に女の人が一人で食べています。あれッ?この人は・・・・・
「あの−あなたは昨日のお昼頃、仙遊寺に向かって歩いてはりませんでしたか?」
「はい、歩いてました・・・」
「そうでしょう、私は車で横を通り過ぎたんです。歩き遍路ですが今回は仙遊寺からの打ち始めなので、あの区切り遍路なので」と、話はじめてなんやかんやとお話しました。彼女は沖縄の藤本有香さんです。なんと通し歩き遍路で野宿も経験されたと聞いて私はびっくりしました。今は3月ですが既に60番まで歩いてられるのですから野宿された時は2月だとすると・・ぶるぶる・・すごい女性だなぁー・・・・。

 お歳を聞くと、後ろ姿は学生の様に見えましたが32才だと言う事です。どちらかと言うと口数の少ない人でしたが私の話に少しずつ打ち解けられて遍路での出会いのお話を聞かせて下さいました。その方は女性で結婚されててお子様もいらしてて、ある日突然に思い立って通し歩き遍路に旅立たれたそうです。そして・・・ちょうど半分の44番のお寺に着いてお参りをしている時に、何か心に深く強い衝撃を感じられ・・・「私にはこの道しかない!」と決心されて、そのまま帰宅されて得度されると言う事です。

「母の事」

 私もお遍路で出会った東京の女性の御主人様が得度されたとお便りを頂いています。やはり歩き遍路をする者達の中にはそのまま仏の道に入っていかれる人もいるのだなぁー、又そういう縁をいただく者が歩くのだろうなぁー(わぁーいややで・・・私は尼さんにはなりたくないよー私は我が侭だし、欲張りだし・・・でも身体の奥の奥、何か分からない部分で時々予感を感じる時もあります。自分の自然な心の流れに従えばいいのだと・・・・そんな時・・・一人言い聞かせます。私の母は私が中学生の時に尼さんになっています。黒い衣を着て百転車に乗り町中を走ってお参りをしていた母の姿をふと通学の途中などに見掛けた時、取ずかしさと照れ臭さとで物陰に隠れて見ていました。子供達を育てる為に苦労ばかりして、一生懸命に働き続ける母、幸せ薄い母、女としてちっとも幸せでなかった様に思います。53才の若さで亡くなった母、ゆっくり母娘として話をする事も出来なかったけど・・・きっと仏の道にしか救いは無かったのでしょう。私も歩き続けながらあぁーおかあちゃんが歩かせているのだなぁーといつも感じます。だから、私の中にふっと、もしかしたら私も・・・と思う所があるのでしょう。)

 さて、本堂にお集まり下さいとの放送が流れてゾロゾロと矢印に従って歩きます。ふと見上げると廊下の上の方に、赤ちゃんのスナップ写真が長い廊下づたいにズラーツと貼ってあります。「子安大師」だからなんだなぁーと感心して眺めてしまいました。3階に上がり立派な本堂に入り椅子に座りました。私の後ろに藤本有香さんが座られました。見渡すと結構沢山の方がいました。

 全員が座り終えると厳かに法衣を着た尼さんがお二人現れました。(あれッこの人はお昼に納経所でお土産を売ってた人だわ)法衣をまとわれたこの方の美しさは昼に見た時より一層美しく冷たく魅力的で見入ってしまいます。胸元には小型マイクが付けてあり手には三宝を持たれていました。早口なので最初はよく意味が分からなかったのですが蝋燭代百円を三宝に入れていく様です
「こだま家先祖代々霊の供養」とお願いしながら百円を三宝に入れますと・・・・・尼さんが胸元のマイクを通して
「こだま家先祖くようーーーーーー」と言います・・・・・すると段の上の大日如来様の下で、もう一人の尼さんがこれを聞いて「こだま家先祖くようーー」と言いながら蝋燭を灯します。

 殆ど全員の方達がお願いされます。多い方は千円以上お願いされ、それは一つ一つ読み上げられ灯されていき、みるみる内に蝋燭は増えていきます。私と藤本さんはお願いしませんでしたが、どれくらいの時間が過ぎたでしょう尼さんが椅子を回り終えた時には大日如来様は蝋燭の灯に照らし出され浮かび上がり、とても神々しい雰囲気が会場に漂ってきた事は確かです。

 灯明が柊わりますと厳かにご住職様が出て来られました。とてもお若い方ですがしっかりされていて場内によく通る大きな声で子安大師のお寺のご説明がありました。そして護摩焚きが始まりました。般若心経を全員で唱えている間に護摩壇に火が付けられ先程受け付けられた祈願・願意が一人一人読み上げられていきます。大日如来様が赤々と光り輝く前で自分の願意が読み上げられ全員の読経の中で祈願の護摩木が焚き上げられていくのを見守るという経験は多分一般の方の人生の中で沢山は無いと思います。護摩焚きが終わりますとご住職様からのお話がありました・・・・・その中に・・・・
「心こそ心迷わす心なり人の人たる道(ワスレタ)・・・・己が心に心許すな」・・・・大変立派なお言葉でした。

 最後に祈願をお願いされた方はお札を頂いて、これで全て終了となりました。このお寺に縁が有って泊まり、護摩焚きに参加して心ゆくまで大きな声で読経をするという経験は貴重なものかもしれません。又このお寺は歩き遍路にとっても車利用の遍路にとっても、60番横峰寺に登る為には一泊する便利な位置にあり大規模な宿坊は大変有り難い事だと思いました。(でも、正直言ってこのお寺の方針は賛否両論分かれるだろうナッとも思いました。)

「横峰寺へ」

 3月26日さぁーいよいよ88ヵ所第一の難所と言われる横峰寺に向けて出発です。白装束に身を包み香園寺の前に立って記念写真を撮って頂きレッツゴー!登って下りて来たら今夜もこのお寺で泊まる予定です。お寺の横から裏に回り畑を通り歩き遍路の道しるべに従い山の遍路道に入ってゆきます。どんどんドンドン山の中に入って行きます。遍路札を捜してホッ有った有ったホッザクざくザクあれーッなぁーい・・・エーンエン・・・・これはおかしい?間違っているぞ引き替えそう!・・・

 不安ふあん・・なんとか合っている道に出ました。とことことこトコトコトコお地蔵さんがいてはって矢印が有ります。ははぁーんこの道だな。とことことこトコトコトコ・・・あれッ?!おかしーいこの道は違うんじゃーないの、えぇーなんでーさっきの矢印はなんなの?歩き初めてすぐに二回も道を間違ってしまって情けない春美さんですがなんとか進み出しました。

 順調に歩き進んで山の上、遥か下に山々を見下ろして写真を撮ります。余りにも覚悟して登って来たせいかどうか、それとも苦しい山に慣れたのか、思ったよりしんどくなく10時に横峰寺に着きました。今回の遍路で一番苦しい道のりのこのお寺で大切な祈願書を納めさせて頂きました。それは「中北幸環境建築事務所」完成と仕事成就の祈願書です。

 心静かに落ち着けお祈りを済ませた後大きな声で読み上げました。此処で月刊誌「へんろ」の私の遍路手記を読んでいて、宮崎さんともお友達だという方と出会って二人で感激しあいましたフフ。

 さて、思っていたより随分と早くにお寺に着きました。このまま下りたとしてもきっと午後にはお寺に着きます。そこで歩くのを昨日の様に止めてしまってはあまりにも勿体ないわ。そう決心した私は此処で電話をかけました。まず、香園寺さんをキャンセルして、だいたいの歩ける距離を計算して64番前神寺を打ちその近くの湯の谷温泉に宿泊をお願いしてホッとしました。そして、同時に
「よーし歩くぞー!!」と嬉しくなってきました。

 下りは楽です。私は野うさぎの様に元気に走ってタッタッタッーーーー山の中の嬉しいうれしい遍路道、人しか通れぬ遍路道で枯れ枝を踏みしめ歩いているとなんと前から歩いて来た藤本有香さんとバッタリ会いました。私達はお互いにそこに丁度在った四国の道の立て札の横に立って写真を撮り合いました。貴重な一枚です。一人で歩いている遍路にとってこんな山の中の写真というものはなかなか撮れません。

 私はなんとか木にのせて自動シャッターをオンにして走りますが・・・ナカナカ・・・ですから私達にとってこの一枚は思い出に残る大切な写真なのです。藤本さんと「お互いに頑張りましょうねッ」と励まし合って別れ、元気良く小走りに駆け下りて12時35分香園寺奥之院に到着!ここは静かでひっそりとしてて裏に回るとお不動様がいてはり、その下に小さな滝が流れていました。ちょっとホッとして出発。朝登って来た道を引き返すのですからラクチンです。

 走って走ってタックッタッー・・・とことことこ・・ずるずるずる・ヒョコ1時20分とうとう足が痛くなって地べたにドサリとリュックをおろして座り込みました。ふっと地面を見るとクローバーが少し咲いていました。(よし!四つ葉のクローバーを捜すぞ・・・なぁーんちゃって・・有る訳ないじゃーないの・・・・わおぉぉぉおおおーーー有ったぁぁぁぁぁぁーーーー!!一枚二枚三枚四枚・・・確かに四枚あるわ・・・他にもあるのかしら・・うん!これは一枚二枚・・・えぇーーー六枚うそやろーー・・・)でも六枚ありました。私は馬鹿にされた様で他にも捜してみましたが結局この二本だけで後は全部三つ葉でした。

 大切に持ち帰り納経帳に押し花にして拝んでいます。信じられない気持ちですルン!とことことこトコトコトコ香園寺に戻って来ました。やはり宿泊をキャンセルして良かったと思いながらお寺の近くの喫茶店でお昼にしました。お遍路さんが数人先に食事をしてはりました。私の様子から朝から山に登って下りて来た事が分かると「歩いている人がもう登っそ下りて来た言うてるのに、車の私達がこんなとこでぐずぐずしてたらバチあたるわ出発しょう」と言って出て行かれました。

「63番吉祥寺到着」

 さぁー私も出発です。サッサッサッ黙黙黙もくもく63番吉祥寺到着。ここには真民の「念ずれば花ひらく」の私の大好きな言葉が石に彫ってありましたのでその横ではいパチリ!さぁーもう一踏ん張りだ、出発!黙黙黙もくもくもく・・・しかし、朝から一山越えて10時間近く歩いているのです。さすがに足が痛いです。まだかまだか、まだかまだか、ひょこひょこひょこヒョコ・・・やっと64番前神寺に4時15分に着きました。

 ふぅぅぅぅぅー今回の遍路の打ち止めのお寺です。しんど!門を入るとすぐ左手に又真民の「念ずれば花ひらく」の言葉が石に彫ってありました。ここは真民ゆかりの土地なのかしら・・・ここでも写真に写して境内に入って行きました。民宿はもうすぐ其処です、ゆっくりと御参りを済ませて納経所に入りました。

 ここで私は初めて「千枚通し」と言う人から聞いていたものを見つけました。私の友人はお母様とご一緒に四国を回られています。そのお母様が毎日この「千枚通し」を飲まれるそうです。小さな紙に「南無阿弥陀仏」と書いてあり千枚が一組なのです。勿論そのお母様の為に一つ義母に一つそしてお店に一つ買って帰りました。

 当然、私の事ですから来られるお客様一人一人に迷惑がって嫌がろうが何しょうが「これはネッ、千枚通しと言ってネ、ママが四国を千キロ歩いてネ64番のお寺さんで買って来たのよこれをネ、毎日お年寄りの人達は飲んではるのよ、信じて飲めばきっと良い事があるのよ」と強引にお酒で一枚づつ飲ませました。

 有り難がる人も恐々の人も「うんこになって出てくるんちゃうやろなぁー」と言う人も、流石に私の強引な説明には納得するらしく飲みます。しかし、どうも上手く飲み込めない人もいていつまでも苦しんで舌の上で転がしていたりして「何してんのよー」と又私に怒られます。バイトの広子は(かわいそうーー)と言う顔をして苦笑いしながら眺めています。ふふふ・・・おかしいー。

 さて、お寺の真の「湯の谷温泉」に着いたのは5時でした。ここは民宿と銭湯が一緒になっていて古くて雑然としていました。宿に来る途中で新しい立派な温泉宿が道路際に在りました。私の持っている一人歩きの地図は古くて、新しい所が載っていません。(新しい宿や廃業した宿、移転した郵便局等何かと不便だなぁー)とむッ!として(新しい地図を宮崎さんに頼もうかなぁー)気を取り直して温泉に入る事にしました。

 お風呂も雑然としていて隅々に古い歴史を感じました。お湯につかりながら土地の人に明日の打ち止めのJR中萩駅の場所を聞きました。とても親切に分かりやすく教えてくれました。又、この温泉はお湯の質が最高らしくて
「通りに新しい温泉が出来ているけれど、あんなもん、土地の者はいきゃせん、ここのお湯が一番ですけん。私達は皆、この風呂に入りに来ます。内風呂があったって皆入りに来ます、お年寄りの人は何時間もいますよ。ですけん皆肌が奇麗ですやろ」この言葉を聞いてゲンキンな春美さんは一遍に機嫌が直り、さっきまで古びて汚れて見えていたお風呂場が急に輝いて見えてきて(そうかぁこの汚さも長い間土地の人達に愛されてきた歴史なのかー・・・)なんて調子いいったらありゃしない。

 美しくなって痩せる為にも何回も何回もお風呂に浸かってしまい、最後には吐きそうになったぐらいですハハハ・・・・。

 朝です。7時30分に出発。めざすは10キロ先の中萩駅。時間はたっぷりあります。歩いていると久門庭石がありました。犬に吠えられながら石の象さんや獅子の上に乗った如来さん等に見惚れながら写真に撮ったりしました。

 とことことこトコトコ9時ごろ喫茶店でお茶を飲み又とことことこトコトコトコ・・・ふと向こう側を見るとダンディなお髭のお兄さん遍路が颯爽と足早に歩きながら私に気づき手を振ってくれました。

 お遍路をする人も変わりつつある風潮です。外人さんあり学生さんありダンディな髭のBARのマスター風あり若い女の子あり・・・・昔の遍路は世を捨てて命のある限り何遍でも巡拝して四国の地に骨を埋めていったそうですが・・・現在お遍路をする者達は私を含めて与えて頂いたたった一度の修行の人生を色々と悔み苦しみつまづき迷いながらもいつも前向きに自分なりの幸せを見つけて生きて行く為に、その強さを或いは強さ以上の慈愛の優しさを、求めながら手探りで捜しながら或いは自分自身を見つめながら、問いかけながら歩いているのでしょう。そして又四国に来たくなるのは心の浄化(日常の生活に心身共に追い詰められ疲れた時に四国の山や川は私を呼ぷ様です)の為だと思います。

 後、ひとふんばり・・・黙黙黙とことことこJR中萩駅に11時に着きました。無人の駅です。ゆっくりと神様に大師さんに打ち止めのお祈りをします。歩いて来たお婆さんとお孫さん達に駅をバックにして遍路の打ち止めの写真を写して頂きました。そして、無人の駅で少し心配でしたので・・・
「あのー大阪に帰りたいのですが?」
「ここは普通しか止まらんけん次の新居浜で特急に乗って下さい」と言う事で新居浜発12時35分の「しおかぜ」に乗って大阪へと帰途に着きました。お孫さんのシャッターを押す手付きは揺れていましたが現像してみるとちゃん撮れていてホッ!としました。

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