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第二回土佐編

その1


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土佐の国修行の道場

 さて、いよいよ24番最御崎寺に向けて、えんえん87キロ室戸の海岸沿いを歩く事から始まる土佐国修行の道場の始まりです。今回は23番薬王寺から打ち始めて27番神峰寺で打ち止めの、130キロ4泊5日の遍路の旅でした。

 昨年の遍路から1年が過ぎて、今の私は遍路の意義、目的も理解出来て、また、遍路がもたらしてくれたであろう、さまざまの不思議な事柄や運命を信じて、とても有り難い事だと感謝しています。何の迷いも疑いも無く、只ひたすらに何かに導かれるように88日カ所結願の日を待ち焦がれています。楽しみで楽しみで仕方がありません。四国遍路は一つの人生の目標であり、苦しい事も乗り越えて行けます。そういう強さを与えてくれた事だけは確かです。今回の祈願は先祖供養、そして生まれてこの方経験した事の無い不況の中で親子二人で頑張って生きて行けます様にと商売繁盛です。

 さて、前回に11番藤井寺で別れたキォールのママさんは、何とこの1年で仕事の合間を縫って、お一人で遍路をされました。そして、とうとう私と京子の23番まで追いついて来られました。スゴイヒトダカラ!と言う訳で今回も三人で土佐編でーす。

 11月15日の午前1時に集合して、ローソンでおにぎりやウーロン茶を買ってタクシーで東神戸フェリー乗り場へ・・・しかし2時50分発の徳島行きが、整備のために欠航でした。ここでも京子の判断の早さはバツグンでした。あの大きな目でジーッと天井を見据えて考えています。頭の中はいろんな考えがグルグルと駆け回っている様です。そして・・・行動・・・
「欠航なものは此処にいても仕方がない!」高松行き2時50分に変更です。

 今回のお遍路は、歩くこともですが、汽車やバスの乗換が多く距離も相当のロスでした。京子の頭の中には、四国の地図と船と鉄道がコンピューターの様に調べつくされていました。
 「スゴイナー・・・!」と私にはまったく真似の出来ない事です。尊敬と自分の情けなさの溜息がハァー・・・

 フェリーを降りて喫茶店でモーニングコーヒーを飲み、そこのトイレでお遍路の服に着替えました。もう、一回目と違って私も京子も慣れたものです。

 汽車に乗り、去年の打ち止めの23番薬王寺へ・・時間がないので門の前で打ち始めのお祈りをして午前11時20分に出発! どんどん歩き始めます。すごーいペースです。途中すぐに雨がザーと降りだし三人ともカッパを着ました。まるで私は「木枯らしもんじろう」です。もくもくモクモク・・京子、ママさん、私の順です。

 今日の宿泊先まで約30キロ歩かなければいけないとの事で前の二人はハイペースです。
「お昼ごはんもなしよ」と言われて私は半泣きです。なんせ前の二人は「人間でない」といつも思っています。
 神か宇宙がハテサテ・・」私かてママさんより若いのだから・・必死で歩きます。てくてくテクテク・・やっと京子がうどんやの前で止まってくれました。2時30分でした。大義名分の休息です。ここでも恒例のきつねうどん定食!あぁーおいしいふふふフッ

 外に出るともう雨はやんでいました。カッパをたたんで又、黙、黙、黙・・ 今日は私は元気です。初めて先頭に立って二人を引っ張って行きます。フンフンフン
「いっしーんに祈りたーてーまーつーるー人のちからはーかすかなれどーもー・・」 「おじーちゃーん おばあちゃーん おかあちゃーん」「しょうばいはんじょうー」 「なむたいしへんじょうこんごう」「1 2 3 1 2 3」と小声で歌いながら、呟きながら、自分を励ましながら。

   外も暗くなって足もしんどくなり、声も出なくなった6時頃に今日の宿泊先の大安食堂に到着です。ここのママさんは歌が大好きでよく舞台で歌われると言う事です。素敵な衣装を着た写真が額にいれてお店に置いてありました。こういう趣味は人生にとても潤いを与えると思いました。私も社交ダンスやテニスやゴルフやダイビングが好きです。こういうものは、落ち込んだときに自分を励ましリフレッシュさせてくれます。

 11月16日の午前7時30分、大安食堂の前で記念写真を撮って出発です。室戸の海はきれいです。私は何度も堤防にへばりついて、乗り出して海を見ます。
「どうしてこんなに青いの、どうしてごみはないの、どうしてこんなに澄んでるの、どうして須磨の海はあんなに汚いの・・・」
しかし足を止めると前の二人の姿は見えなくなります。感傷に浸ってはいられません。でも大好きな人と心おきなくこの海をゆっくり眺めてみたいなぁーと思いました。

 1時20分に左幸子さんもお遍路の撮影のときに寄ったという食堂でラーメンを食べました。途中で有名な夫婦岩で写真を撮りました。この日はみぃーんな元気でハイペースで34キロ歩いてロッジ尾崎に3時20分に着きました。このロッジ尾崎さんはとっても親切で食事の美味しい事といったらもう最高! 死ぬほど食べました。

 ここの本棚の中に「同行二人」と言う小林淳宏さんの書かれた本が有り、私が手に取ってみていると尾崎さんが
「とてもいい本で読みやすく面白いのでぜひ読んで下さい」と言われました。私は本は好きなのでとても読みたいと思いましたが・・・30キロも歩いて来て夜に本を読めるはずがないでしょうねぇー!イヤ ホント でも、朝食の後どうしてもその本が気になり、メモをとって大阪に帰ってから買って読んで大感激しました。

 11月17日午前7時ロッジ尾崎さんの前で写真を撮って出発です。もくもくもく モクモクモク 黙黙黙 青年大師像が見えて・・・あぁーやっと10時に辿り着きました。寺、寺、80キロ、人間歩けるものですね。24番最御崎寺です。しかし先を急ぐ私達は、ゆっくりするまもなく12時に25番津照寺到着。続けて昼食も無しで2時に26番金剛頂寺お参りを済ませました。しかし、私はちゃっかりウーロン茶やお饅頭やおいもさんを握りしめていましたが・・・。

はぐれる

 さぁーてここからが今回のお遍路の大事件の始まりです。

金剛頂寺のお参りを済ませて、遍路道を下り道路に出て、京子、ママさん、私の順に歩き始めました。今日の民宿の予約は取れていません。
「歩けるだけ歩こうね。もしかしたら今日は野宿よ!もし、はぐれても先に民宿を見つけて分かるところで待ってるからね。」と京子が私に言います。
「うん分かった。ただ歩き続けたらいいねんね。」と返事しました。しばらくすると、もう二人の姿はぜんぜん見えなくなりました。私はどうせ今日は9時ごろまで歩き続けるのだからと開き直っていました。

「あーぁーゆっくりコーヒーでも飲みたいなぁー。今日はお昼も食べてないしなぁー」とプーとしながら歩いていると、なんと、なんと、素敵な素敵な喫茶店が・・・やったぁーどうせ遅れているんだからと(最低な奴)私は一人で入ってコーヒーとトーストを注文しました。またこれが美味しいのです。こんな田舎にというぐらいに美味しいトーストとお茶でした。

 この店の常連客が、私が今日の宿はとれてないと言いますと、
「わぁー泊まるところはこれから先は全然ないよ」と言いました。ずぅーっとずぅーっと先には「ビジネスホテルなはり」があるけどなぁーと。しかし遠いよと。

私はもうどうにでもなれとその店を出ました。しばらくすると4時30分頃でした。吉良川のバス停の付近の橋の上でした。ママさんが橋の上を渡って歩いて来ます。
「私が遅いので心配して迎えに来てくれたんだなぁー」と思いました。心の中で、しまった!まさか喫茶店に入ってたとは口が裂けても言えません。

「あれ京子ちゃんは」
「えぇー京子は先頭に歩いているでしょ」
「うぅーん私が郵便局で葉書を出しているときに京子さんは後ろでジュースを買っていたから私の前には歩いていないわ。ママさんを探して引き返したのかしら。会わなかった?」
「うぅーん私は会わなかったよ」
「途中で何処か寄り道した?」
「うん!お饅頭を買って食べててん」(実は喫茶店に入ってノホホンとしていました。)
「その時にお店の前にリュックを置いていた?」
「うぅーん中に持って入っていた」
「じゃ、京子ちゃんはママを探して後戻りしてるんだわ。だって絶対に私の前を歩いていないもの。私は郵便局の前にずっと座って待っていたんだもの。絶対に私の目につかずに私を追い越す事はできないのだから。人に聞いても道はこの道しかないのだから・・・」

(実は京子は、道路の横のほんの少しの遍路道を歩いてどんどんどんどん先をひたすらこの日は50キロ(?)ぐらい歩いていたのです。こんな事はこの時点では誰も分かってなかったのです。)




 今回は第2回目の遍路で、23番薬王寺から27番神峰寺までの、4泊5日、130キロのお遍路日記です。

 なお、このページは、伊藤 友樹 (VFE04065@niftyserve.or.jp)さんのフリー・ソフトSuper Tag 32を使用して作りました。

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その2

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