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女3人お遍路日記


第6回 39番延光寺から43番明石寺


「菩提の道場」

 今回は39番延光寺から1キロ歩いた寺山口バス停から打ち始め、43番明石寺を打ち1キロ歩いたJR卯之駅町で打ち止めの100キロの旅でした。今回の祈願は、お遍路として不思議な運命や幸せをいっぱい頂いた「感謝」を胸に抱きながら先祖供養とお正月に生まれる、一人娘の初めての赤ちゃんの安産祈願です。

 11月20日神戸青木フェリー23時30分発の船に乗ります。20日の10時までお店に出ていました。その後をバイトに任せてきたのです。10時まではお客様は一人も来られなかった。目は痛いし、肩も凝ってるし、明日の昼からの30キロを思うと不安で仕方がありません。今の私は平成6年3月に「曼陀羅」の名前に引かれる様にして、入って来たと言われる一見のお客様と結婚して、森 春美となっています。

 前世からの ふたつの魂めぐりあい 手に手をとりて 童唄かな

                       はるみ

 船のデッキに出て、港にいるだろう主人を探します。やっぱりイタイタ! すぐに帰ると言っていたけど大きく手を振っています。私も大きく手を振り返します。彼は帰ろうとしますが私がデッキから離れないので、帰りかけては振り返ります。沢山止まっているダンプの影に隠れては、ヒョイと顔を出したり・・また歩いては違う物影から両手だけを上げてバイバイします。

 私は少し涙が出てきました。お遍路をして出来た「曼陀羅」で親子二人とも優しい方との出会いがあり幸せになりました。そして、又お遍路に出られる幸せをしみじみと有り難いと、心に刻み付けました。

 船はどんどん港から離れて行きます。彼の姿が小さくなって行きます。とうとう最後に彼は決して軽い身体ではないのに、大の字に飛び上がって送ってくれました。私は可笑しいやら嬉しいやら、彼と離れる寂しさや明日からの不安やらヘンテコリンな気持ちでした。マッ! これを人は感傷と言うのでしょうネツ!。ハハハ人が聞いたら「あほらしゅーて やってられんわ」かな。

 11月21日9時40分に足摺に着きました。9時47分の宿毛行きのバスに乗りました。船の疲れと緊張で少し気分が悪くなってきました。おまけにこのバスはボロボロでガタガタ揺れます。10時55分宿毛バスセンターに着きました。11時22分中村行きに乗り換えです。私は考えます。

 前回の打ち止めの寺山口バス停には、お昼頃に着くだろう。それから30キロ先の40番まで・・さてさて行き着くのだろうか? 色々と悩んだりしているうちに着きました。着いちゃったよー わぁーい一年半ぶりの「寺山口バス停」です。前回も田圃の中の39番延光寺の標識を撮っていましたので、その前で仕事をしている方に頼んで写真を撮りました。打ち始めのお祈りをして11時45分さぁー出発です。今から歩いていく道は、たった今宿毛バスセンターからバスで走って来た道を引き返して行くのですから、これが区切り遍路の、分かってはいるけれども悲しいところです。  歩き遍路の地図では真っ直ぐの一本道ではあるのですけれども、何故か私は道を間違えます。こんな事ならバスの中からしっかりと町を見とけばよかったなぁー・・。何回か人に聞きながら、やっと朝の宿毛バスセンターに着いたのが1時40分でした。と言う事はバスで13分ぐらいの所を私は2時間かかっているのです。はははははーはぁーここでちょっと休息してセンター前で写真を撮っていただきました。

 歩き始めます。何てこと無い町並み目印はいーっぱい有ると言うのに、私は又道を間違えてしまいます。前回の遍路のときも初日に間違えて悔しい思いをしたのを思い出し、私はどうしてすぐに道を間違えてしまうのだろう・・悲しくなります。それでなくとも初日は神戸から来て、前回の打ち止めの場所まで行くと言うロスタイムがあるので馬鹿な事をしている暇はないと言うのに・・腹が立つやら不安やらで・・ブツブツ・・気を取り直して とことことこ・・トコトコトコ・・

 3時15分ルート56「樹里」で休息してお店の中で写真を撮ってもらいます。まだまだ元気な春美さんです。

「つるのや旅館はまだー」

 今日の宿泊地の御荘町まで後18キロです。よる8時までに着きたいなぁー。とことことこ トコトコトコ もくもくもく 黙黙黙 6時です。もう真っ暗です。頑張れ がんばれ ガンバレ 「おん そわていえい うん そわか・・」町らしくなってきました。しかしもう限界です。

 旅館の看板がチラホラ・・ 「あーぁ 今日の宿泊先のつるのや旅館をキャンセルして、もうここら辺で泊まろうか、ほら此処にもビジネスホテルが在るじゃなーい、疲れた疲れたお遍路さん、どうぞどうぞって・・言うてへん 言うてへん、ハハはぁー・・」 さっきから何回も人に聞いて歩いてきました。しかし、もう一回と思い八百屋さんに、ふらふらしながら聞いてみます。

「あのーつるのや旅館さんは、もうすぐですよねー」
「えぇーつるのや旅館なんて知らんでー」
「えぇーそんなぁーうそでしょう。クスンクスン」
「しかしーこの地図やったら、もしかしたら、あのおもちゃやさんのとこかなぁー それやったらもう少しやからね。」
「はい分かりました。どうも有り難うございました。」

 ずるずる・・角にケーキ屋さんがありました。私はフラーっと入って2個買いました。ふらふらと角を曲がって歩き始めました。すると、あれっ目の前に何と40番札所自在寺が見えるではありませんか。そして左を見るとつるのや旅館が有りました。そして、旅館の前におばさんがおられました。着いたのは8時でした。

 「こんにちは、あのー今日予約しています遍路ですが」
「あぁーよう来はった疲れたでしょ、心配して見に出たとこやった」とおっしゃって私から杖を預かり、ちゃんと水で洗って下さいました。私は今までのお遍路の旅で、杖を洗っていただいたのは、此処が初めてですので、なんだか胸がジーンとしました。そして、こんなに心配して私一人のために夕食を用意して待っていて下さったつるのやさんを、しんどいからといってキャンセルしなくて歩いてきて本当に良かったと思いました。

 私にお風呂の場所、電話の場所を教えて、夕食の用意をしてどこかに出かけられた様子です。私がゆっくりしていると電話が鳴っています。誰もとられないので私が出ると
「もしもし、もう家の者は出掛けましたかねぇー」とおっしゃいますので、
「はい出かけられました」と答えました。・・どうも此処のおばさんはお母さんをお迎えに行かれた様子です。

 私はその時に改めて有り難い事だと、そして申し訳ないと感謝いたしました。私が遅いために色々と迷惑をかけてしまったんだわ。でも、ここの方は一言も文句を言われなかった。本当にあの場所(さっきの八百屋さんの所)でキャンセルしなくてよかった。 いーぃっぱい食べて美味しくて、ゆーっくりと眠りました。

 22日は7時10分に出発しました。なんと1分でお寺に着きました。気持ちの良い朝です。境内には立派な石の仏様が7体並んでいらっしゃいましたので写真に撮りました。朝日をあびて気持ちよさそうでした。私も撮っていただきました。この観音自在寺では納経のお金を500円少なく払ってしまったのを次の札所で気が付き神戸に帰ってから送りましたがちゃんと届いたかしら。

 ここで車のお参りに来られていた方の
「乗っていかれませんか? さっきのお寺の人に頼まれたんやがー」との、有り難いお接待を、私は元気な顔で笑って
「有り難うございます大丈夫です歩きます。」と、丁寧にお断りして7時45分出発です。

「鳥坂峠」

 歩きます。とことことこ ルート56・・アスファルトの道路は足が痛くて痛くて、なかなか距離が伸びません。八百坂峠バス停で休息します。柏郵便局の所まで歩いてきました。ここで右に曲がると内海村の遍路道に入ります。この道は国道を歩くより、少し近道なのですが今度の遍路の旅に出る前に、歩こう会の宮崎さんにお電話したときに、鳥坂峠はきついから遍路道をさけて、鳥坂トンネルを歩きなさいと教えていただいてました。私は少し考えて国道の方を歩き始めました。ゆるい登りです。100メートルぐらい歩いた所で考えます。アスファルトの道は足も痛いし遍路道は近道だし・・。やっぱり遍路道をいこーぃこぉっと!引き返して遍路道に入ります。黙黙黙 もくもくもく

 しかし しかし 鳥坂峠の遍路道は半端じゃありませんでした。胸元に流れる汗、延々と続く登り坂。
「引き返そうか」
「いやいや、今からではもう遅い、やはり宮崎さんの言う通りにしないから・・どんなに足が痛くてもこの登りよりは、ましだったろうに・・」
いつもいつも後悔しながら同じ事を繰り返すバカな春美さんです。

 「天と地を合体できる遍路道」・・遍路道の奥深く石の標識の上にカメラを置いて自動シャッターで写真を撮ります。ボタンを押してタッタッタッターと走って、ぱっと振り返り笑顔のポーズをとった所でジーパチリ!山の中の楽しい瞬間です。一人でニヤニヤしています。その時の写真は私のとってもお気に入りの一枚です。

 今はもう2時です。朝から6時間も歩いてまだ峠の途中です。やっぱり国道を歩けばよかったと後悔しています。登り登りの遍路山道はずっしりとリュックの重みが肩にのりかかってきます。(重たいなぁー・・どうにかならないのかなぁー)私は苦肉の策で後ろ向きに歩き始めました。ははは 随分と楽です。1 2 イッチニィッ フッフッはっはっはっは・・しかし

 どすんと木にぶつかり後ろを見たらそこはもう崖でした。
(あぁーこわー、ここで私が落ちてもきっと当分は見つけられないだろうなぁー。気を付けて歩かなきゃ歩き遍路の他の方に迷惑をかける事になるわ。)

 かくも素晴らしく、かくも恐ろしき山の中かな・・

 4時になりました。ここまで歩いてきてまだ遍路道を下りた所の山口商店です。親切な山口商店の奥さんに相談して、「木屋旅館」をキャンセルして「よしのや旅館」を予約してホッと一息つきました。

 夕食の用意は出来ないと言う事で、途中の喫茶店で食事をしました。(自分の体力を過信したスケジュールで現実は一日目に30キロを急に歩くと二日目はガクンとペースが落ちると言う事を、今回はしっかりと身にしみました。山口商店さんであった土地の人が言われるには1時間も歩けば充分着くと・・しかし、なんぼ足が遅いといっても全然着かない。)民宿とちがって疲れた身体に汚れた服で食べる、味気ない食事はまずくてとても悲しくなりました。

 津島大橋を目指して歩き始めます。遠くに橋が見えます。きっときっとあの橋が・・でもこの橋は違う橋でした。それからの道のりの何と遠く辛い事か・・やっと「よしのや旅館」に着いたのは7時50分。12時間歩いて距離は伸びませんでした。

「松尾トンネル」

 23日はやはり疲れていて起きられず8時40分に出発しました。しばらく歩くと出た出た出ました。これがうわさの遍路泣かせの全長700メートルの松尾トンネルです。気をしっかりと持ち杖を持つ手に力を込めて左手で笠をつかんで
「さぁー行くぞ!!」
私は自分の全速力で一気に歩き抜けました。怖かった。体は汗ばみタオルで口をおおい、ただただ足元だけを見つめて・・(頑張れ頑張れ がんばれがんばれ ガンバレガンバレ)トンネルを抜けたときは思わず

「やったぁーーーーー!ふぅーーーー!」

 空気のなんと美味しい事、ふふふ感謝感謝 とことこ10時です。喫茶店が有りました。足は自然に入って行きます。ここで今日の宿泊先を考えます。昨日の件ですでに43番までの予定は崩れています。昨日の鳥越峠遍路道越えで足はガタガタです。大事を取ってもったいないけど、うんと距離を縮めて宇和島オリエンタルホテルを予約して、ほっとして又歩き始めました。でも心の中は、43番までの予定が崩れた事で(結婚して弱虫になったのかと)自分を戒めている私でした。

 街の中を歩いて行きます。目印は沢山あるので間違えません。歩道を歩きながらほんの少しの芝生(実は人様の庭)にお客さん座りをしては足の疲れを取ります。宇和島東高校では校庭の隅でリュックをおろして一休み。パワーの切れた春美さん。

 オリエンタルホテルに1時30分に着きました。今までのお遍路はふらふらになって宿に着くのは夕方だったり、真っ暗の夜です。こんな昼に止めてしまっていいのだろうか?なんだか後ろめたい気分になりました。情けない気持ちになりました。でも、今日はここで泊まることに決めました。チェックインは3時です。ロビーで待つ事にしました。このホテルのフロントの山内りかさんがとても感じのいい人で、疲れている私のために2時に部屋に入れるようにしてくださいました。

 私が明日歩く予定の三間町におばあちゃんが住んでられる事、またお遍路もされている事をお話してくれます。とても美人の気持ちの良い人でした。それで私はは山内りかさんに色々聞いてみる気になりました。今回のお遍路は43番まで行く予定で来たが、足が痛くて途中大幅に遅れた事、24日には大阪に帰りたい事などを・・・

 山内さんは時刻表を持ってきて一緒に少しでも距離を長く歩き、そして最寄りのバスや汽車に乗り大阪に帰る一番良い方法を色々と二人で考えました。部屋に入ってからも真剣に考え抜いて、朝早く発って予定通り43番まで行く事、明石寺の近くの宇和島バス営業所から高速バスで大阪に帰る事を決めほっとしました。頭の悪い私がこれほど考えるととても疲れます。同じ後ろめたいならついでやとマッサージを頼みお遍路にはふさわしくない贅沢を自分に許しました。

 仮眠をとったためにいざ夜になると眠れません。おまけにエレベーターの近くの部屋でしたので、エレベーターの止まる「チンー!チンー!・・」の音が夜中まで響いて・・イライライラ ウトウトウトとしましたが、えぇーいと起きて24日午前4時30分に出発しました。

 ははは贅沢をしたおかげさんで足取り軽く6時55分に41番龍光寺に着きました。ここの納経の方は掛け軸をドライヤーで乾かすのは「とんでもない事!」だとずーっと誰にでもなく一人でブツブツと次の人にも同じ事を繰り返されていました。私は黙って聞いていました。

 ゆっくりしていられません。歩き始めます。と・・まぁーまぁー奇麗!コスモス街道の朝日を浴びたコスモス達・・青い空 緑の山 黄緑の畑 ピンクと赤のコスモス そしてお日様 奇麗! 前を向いてパチリ、後ろを向いてパチリ。

 とことことこ2・8キロ歩いて42番仏木寺に8時20分に着きました。自転車で走ってきた登校中の女子高校性にお願いして門前で写真を撮っていただきました。彼女は遅刻しなかっただろうか、ごめんなさい。

 境内には新しい石で出来た「七福神」様が朝日を浴びて並んでいらっしゃいましたので写真に撮りました。お参りをします。
「おじいちゃぁーんおばあちゃぁーんおかあちゃーんご先祖さまー成仏してはります・・元気な初孫が生まれますように」・・お寺にやっとたどり着いてのお参りは満足です。

 8時55分出発です。さぁー頑張るぞ!順調に進んで行きます。とことことこ9時20分歯長峠に来ました。標識があります。
「苦を取るか楽を取るか・・その汗その苦しさに感謝・・時と金かけて歩ける身の上に感謝・・・」
(よぉーし!やったろやんけー)登り始めました。9時40分こわーーーい こわーーーい「これより200メートル急勾配」の立て札が有ります。これはこれは遍路道なんかじゃありません。重いリュックを背負いよつんばいになっての山登りです。(うそやろーこれって本当に宮崎さん、お年寄りの人達も登ったの?!)ここで私が落ちたらどうすんのよ。

 下を見下ろすと山々が下にみえます。一段と高い山に蝿のようにしがみついている私を一体誰が気づくでしょう。私は木にしがみついて下界を写真に取りました。私は本当に怖くなりました。引き返そうと思ったときに木に遍路札がぶら下がっています。
「己を信じて」と。その札に励まされ、私は身を引き締めて一歩一歩足を踏みしめ、しっかりと木をつかんで登ります。

 10時15分やっと送迎庵見送り大師に着きほっとしました。ここで自動シャッターで写真を撮ります。

 もくもくもく 黙黙黙 道無き道を歩きます。ここは遍路札もとても少なく道も分かり難くて、ただ己を信じて進みます。

 11時15分やっと遍路道が終わり道路に出ました。43番まで後6キロと書いてあります。

「43番明石寺」

 1時30分に明石寺に着きました。自分の立てた予定通りに歩いて24日に大阪に帰れる事に「やったぁー」と大満足!今回のお遍路での教訓は、一日目に張り切ると後がとてもしんどい事、一日30キロと無理をせずに25キロの予定で一回のお遍路は3泊4日100キロぐらいが、仕事にも身体にも無理が無いと言う事を肝に銘じて学びました。

 心を込めてお寺での打ち止めのお祈りをして出発です。お寺の下で女の方にJR卯之町駅に行く道を聞きます・。そのかたは滝上節子さんと言う宇和島役場にお勤めの元気な女性でした。
「同じ方向ですから一緒に行きましょう。」といわれ私達は歩き始めました。最近奇麗になったのだと言う石畳の商店街を歩きます。しかし、滝上さんは足が早い!手を大きく振られ足幅もとても大きいのです。私は疲れた足に鞭打って小走りに頑張ります。ふぅーふぅー早いなぁー!

 11月24日2時20分にJR卯之町駅に着きました。AM4時30分から10時間歩いて着き、予定の行程を終えました。滝上さんにお礼を言ってお別れしました。卯之町駅に向かって今回のお遍路の打ち止めのお祈りをして、写真を撮っていただきました。ホームでは44番の近くで民宿をなさっていると言う「一理木」の御夫婦に話しかけられました。御縁があったら泊まれるだろうと思いました。

 又、小学生の子供たちも沢山いました。私は駅の名と子供たちをそしてバックには山を入れて最後の写真を撮りました。出来上がった写真は逆光で田舎の駅の風情がとてもよく出てお気に入りの一枚です。帰りは夜行の高速バスをキャンセルして3時10分の宇和島16号に乗り松山まで出て、そしてしおかぜ16号に乗り岡山へ、そしてのぞみ26号に乗り帰阪しました。新大阪には、今までと違って主人が「偉かったね、お疲れさん」と満面の笑顔で迎えてくれました。私も笑顔応えました。

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