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女3人お遍路日記

第12回 結願寺88番大窪寺から一番霊山寺へお礼参りまで

平成9年10月26日から10月30日4泊5日94キロ


「涅槃の道場」から「結願」そして「1番霊山寺へお礼参り」

 今回は83番一宮寺から1キロ歩いた琴平電鉄一宮駅を打ち始めとし、結願寺88番大窪寺を打ちそして一番霊山寺へお礼参りの94キロの遍路満願の旅でした。今回の祈願も先祖供養と阪神大震災の犠牲になった姪の中北百合の平安供養、そして平成3年から7年かけての完全歩き遍路無事結願の感謝御礼を込めて歩かせて頂きました。

 平成9年10月26日、神戸青木23時50分発の高松ジャンボフェリーに乗り込みます。何処で捨ててもいいような毛布を一枚持ち込んで2等の部屋に場所を決めます。今日のお昼は社交ダンスゴールド級ラテン種目の検定式験を受けていました。そして夜、金剛杖と菅笠を持ち遍路旅への出発です。私はこんな自分が大好きです。だいたいに於いて遍路等と言うものをする人間は、他の事も色々とやっているものです。リュックの中には、店の常連客である87才の加藤三郎さんから頂いた、取って置きの丹波栗とお多福豆の甘納豆が入っている。私が甘い物に目がないからである。加藤さんは「曼陀羅」にもう五年通っている。ちゃきちゃきの江戸っ子でロックで二杯飲む。三杯飲むと急に酔っぱらって我が侭になったり他の人に絡み始めて私に怒られる。しかし、もうその時は手が付けられない・・。

 「私の一人娘が、関西の野郎にとられてしまいましてね、仕方ないから私もこちらに移って来たんです・・・」
「うるさいねぇー、人の歳を肴にして飲まないで下さいよぉー」
「私はねぇ沢山の飲み屋を知っていますけどね、巡礼をするってぇ女は初めてですよぉー。それが気に入って此処に来てんですょ」
「私はここの女の子に煙草を買って上げてね、それを一本貰って吸うのが嬉しいんですょ」

 私は加藤さんの事をお父さんと呼んでいる。お父さんは他のお客さんとお話をするのが好きで特に女の人には必ず話掛ける。この歳でも相当に女好きである。私やバイトの子に愛の詩や短歌を書いて来る、それはなかなかのものである。本や美術に詳しく部屋は書物で一杯で美術館にはよく足を運んでいる。仏様では東大寺三月堂の吉祥天像がお気に入りで、
「灰色の丸いお顔に細く長い目と少し厚めな小さい唇がなんとも愛らしく美しくて心ひかれる」と私に書いている。五年前
「お父さん、私がお遍路満願するまで生きててね」と言った。
「もう、ママも満願してしまったし僕も長く生きてしまったなぁー、あの時は満願まで生きられないかもと思ったけどなぁー」と、言うので・・・・私はどうしょうーと思ったけど仕方ないので・・・
「お父さん、西暦2000年は私がお店を初めて20年、曼陀羅をして末広がりの八年目に当たるからその時に遍路手記を一冊の本にするから、そして何か大きな企画を考えるからきっと生きててね」と言ってしまった。言ってしまってから本当に素晴らしい年回りなのでこの手記を本にしてまとめたいと心深く刻み留めました。成就します様に!

 遍路の旅に出てから7年・・・色々あったなぁー・・バブル崩壊、「曼陀羅」の開店、娘と私の結婚、孫の誕生、阪神大震災、娘の離婚‥長い様で短い様で苦労した様でしかし、幸福でもある。そうー結局の所その時どきが前向きで一途ならばそれで良いのです。神様は見ていてくれています。そして自分で決めた道ならば後悔は無いのです。遍路とは歩くことなり人生とは遍路なり。

「出発」

 フェリーは部屋の選択を間違えた様で後から入って来た若者達が遅くまで本を読んだり話込んでいるのでウトウトとしただけで朝4時高松東港に着きました。タクシーに乗ります。道を聞こうかなぁーどうしょうかなぁー・・・と考えましたがここはやはり聞いておこうと思いました。

 「あのぉー私歩いてお遍路をしていまして、前回琴電一宮駅で打ち止めして今日そこから歩くのですが次は84番屋島寺に向かって歩きたいのですが道はすぐに分かりますかねぇー・・・・」
「えぇー?そりゃー分からんですょ。真っ直ぐと言えばまっすぐだし、曲がっていると言えばまがっているし、何本か細い道と大きな道が交差しているし・・・さぁーてどう言うたらいいやろか・・・」結局、運転手さんは紙に書いてとても丁寧に教えてくれました。私も真剣に聞き入りました。お礼を言ってさよならしました。朝の5時を過ぎたところです。懐かしい地図にも乗っていない一宮駅です。写真に撮ります。この待合場所のベンチには前は毛布が敷いてあったのを覚えていましたが今は無くなっていました。お尻が冷たいので家から持って来た赤い毛布を敷き、ついでにこのベンチに上げようと決めました。迷惑ではないだろう、だって前の時もお婆さんが気持良さそうに毛布の上に座ってはったもん!喜ばれこそすれ怒こりはらへんわ!と勝手に思い込む春美さんです。ハハハ此処でトイレを借り身支度完了。5時30分打ち始めのお祈りを駅に向かってします。

「神様、大師様、いよいよ森春美七年かけての結願の遍路旅です。遍路行無事安全祈願そしてここまでのお導き感謝御礼!」あらためて辺りを見回すと(ゲェー田舎の小さな駅前、方向は分からないし人っ子一人居ない犬もいない。そりゃそうやろ朝の5時やもん、運転手さんに聞いててよかったぁーーーーーホッ!)

 教えられた通りに歩きます。左の道を真っ直ぐに歩いて踏み切りがあるからそれを渡って真っ直ぐに行くとお地蔵さんがいてはるからそこを右に曲がって真っ直ぐに行くと自転車屋さんがあるからそこを左に曲がって後は真っ直ぐ真っ直ぐ歩くと、さっき走って来た道に出るからそしたらもぅ大きな道に出るからそこを右に真っ直ぐ真っ直ぐ歩いて行くんだょ・・・・運転手さんありがとう緊張して歩きます。まだ夜明け、朝の空気は頬に冷たい・・・いよいよ最後の遍路旅・・キッ!として歩きます。とことことこ6時30分三井石油スタンド通過・・・7時30分喫茶店休息・・・通学や通勤の人達に紛れながら進みます。何度もポケットの中の地図を広げて大きな目印を確認します・・・とことことこ・・・8時10分新春日川橋通過‥・8時45分新川橋通過・・・・・とことことこ・・10時・‥もう後5丁で84番屋島寺だと道標が示している・・・とことことっことっことっこ・・・

 はぁーはぁーハァーと遍路道を登っていると・「食わずの梨」の伝説が書かれていました。
 「弘法大師が屋島に登った時、梨が美味しそうに熟していたので一つ所望なさいました。でも翁は「美味そうに見えてもこれは食べられない梨です」と嘘を言って断りました。その後この梨は本当に石の様に固く食べられなくなってしまったと言う事です。ハハハ私もこの梨を食べてみたいものです。まッ!どっちにしても嘘はあかんと言う事やな、ふんふん・・・よっちらこっちら梨の事を考えているうちに10時25分屋島寺到着。

 門前で写真を写して頂きましたが雨がバラバラと降って来たので慌てて御参りを済ませカッパを羽織って先を急ぐ事にしました。だって今日は30キロ歩いて86番志度寺まで打つ予定なので頑張らなければならないのです。しんどいしんどいと歩いて来てもお寺に着くと不思議と又元気が湧いて来るのです。タッタッタッと先を急ぎます。1時30分八栗ケーブルに到着、そこヘバスの御参りの方達も着きました。皆さんダーッとケーブルに乗り込まれて上がって行かれました。一瞬の間ザワザワした待合場も又さっきの静けさを取り戻して私だけがポツンと取り残されました。このケーブルを降りた所に85番八栗寺がある様です。さぁー私も頑張って登ろうか「よっこらしょっと」リュックを背負います。うんしょうんしょケーブルが上がって行く道と遍路道は並行しています。よっこらしょヨッコラショ、ふッふッふッ見つけたぞ!

 「八栗名物よもぎ餅」の看板を!これを食べなきゃ春美がすたるナンチャッテ 1時45分「こんにちはー」いらっしゃい!」粋な奥さんさんが現れて
「ゆっくり休んで行って下さい、熱あつのを作って上げますからね」私は座ってそこら辺を眺めました。

 壁には先達さん達から送られた絵や短歌等が貼ってあって歩き遍路さん達がここで一服したであろう事が伺われます。又、大きな看板には「NHK春紀行四国放映、植松おさみのぶらり途中下車放送後大好評」と書かれて立てかけてありました。新聞に載った記事も貼ってあって読んでいると奥さんの歳の所だけマジックで消してあったりして思わずフッと微笑んでいる所へ本当に熱あつのよもぎ餅とお茶が運ばれて来ました。私は作りたてのホカホカを食べたのは初めてだったので感激していましたら、お遍路さんには接持ですとお金を受け取られ無かったのでとても恐縮しました。だって普投はお客は殆ど来ないのではないかと思います。ケーブルに乗る人は寄れないし歩く人はお遍路さんばかりで、だとしたら全部タダだったりしてと心配になりました。

 お礼を言って登り始めます。よっちらこっちら・・・2時15分85番八栗寺到着。このお寺は五剣山の中腹にあり、五剣山とはかって五つの峰が剣の様にそびえて並んでいたのでその名が生まれましたが元禄11年の豪雨で西の峰が半分に割れ、宝永3年の地震で東の峰が崩れ今では四峯になって形観をそこなっています。御参りの後、振り返って見てその峰の美しさに思わずカメラを構え下手な腕で頑張って写しました。出来上がりは二つの峰と本堂がまぁまぁに収まっていました。

 又、廷暦23年(804)大師が入唐前に入唐救法の前効を試す為に植えた八個の焼栗を境内へ植えたのが帰朝後立ち寄られるとすくすくと育っていたので寺号を八国寺から八栗寺に改められ85番札所に定められたそうです。

 歩き始めます。これからの道乗りは春に71番弥谷寺で会って偶然に家も近かった清水君が遍路出発の前日の25日に店に来てくれて
「森さん、明日から遍路に行かれるのでしょ、それで八栗寺からの道は数ケ所分かりにくい所があるので言いに来たよ」と丁寧に地図を見ながら説明してくれました。

 ずーっと歩いて行くと学校が在って沼を右手に見て進むんだよ僕はここで間違ったから・・・進んで行くと踏み切りが二つ並んでいるからね、琴平電鉄の踏切は渡るれどもJRの踏み切りは越えたらだめだよ絶対にここは渡ったらダメだからね・・・と私に言い聞かせて帰って行きました。清水君はその事と頑張って、と言う為に飲みに来てくれたのです。

 とことことこ黙黙とことこ、清水君の言ってた沼や学絞を確認しながら歩きます。だぁーれもいない田舎道なので声を出しました。御先祖様達の名前を大きな声で呼びながら供養のお祈りを歌います。そうやって自分の足を元気づけるのです。

「中北百合ー山下スガー五七郎一濱田隆三一菊技一寿子実母さまぁー・・・‥・」 「がんにしいーくどくぅーびょうどうーせーいっさいーどぅーほつぼだいーしん・・・」すると、なぜか涙が盗れてきましたぐすん、ぐすん、くすん、黙黙黙とことことこ

 アッ!踏切が見えた、清水くんの言ってたのはこれかな?きっとこれだ、だって踏み切りが二つ並んでいるもん、とことことこ・・はんまにこれやったら誰でも二つの踏切を渡ってしまうわな、その向こうには通が真っ直ぐ伸びているので普通だったらその方向に進んでしまいそうです。清水くん本当に有り難う感謝感謝)えぇっと琴電の踏切を渡ってJRの踏切は越えずに左だな・・・とことことこ自転車のおじさんに道を尋ねます。
 「あのーすみません、志度寺に行きたいのですが・・・」
「この道を真っ直ぐ行ってあの陸橋の先を左に行くといいよ」
「どうも有り難うございました。」とことことこ4時コンビニでトイレを借ります。ここでシュークリームのお接待を頂きお礼を言っている所へさっきのおじさんが走って入って来られ
「あの、さっきな左と言うたけど右の間違いやった、気が付いて引き返して来たのや、右の方に進むのや」この人はわざわざ私を追い掛けて道を教えに来てくれたのです。

 本当に四国の地でどれだけの二度と会う事のない知らない人達に七年の間幾度助けられ、励まされ、お金や食べ物のお接待を受けて来た事でしょう。本当に有り難い事でございます。四国88ケ所1400キロの旅、へんろ道、四国風土、四国の人情、この素晴らしい四国遍路の歴史の一つ一つを、1200年の歴史の先達の残したものを、私達歩いた一人一人の者達がそれぞれに出来る形で伝え残していかなければいけない。そして、それは歩いた私達の役目であると心の底からそう思います。大師が伝えて生きなさいと言われている様に感じます。

 さぁーて歩くぞぉー・・・86番志度寺まで後2.6キロ、今4時10分、5時の納経の時間までにきっと間に合うわ・・・今日は夜明けの5時30分からずーっと歩いて30キロ歩いています。殆ど寝てないし、よぉ頑張った・・・とことことことことこ、あッ今日泊まる栄荘が見えました。ガラガラガラ
「すみませーん、今日予約しています森春美です。先にお参りしてきまーす」リュックを玄関に放り投げて走ります。走ってはしってハシッテ・・・ハアハアハア・・・4時45分到着!ヤッタゾー32キロ!すっごぉーいパワー・・・やったぁー・・・この充実感は歩いた者だけ、成し遂げた者だけが味わえるのだぁーふふふ・・・・・

 場内には昭和50年に完成した鮮やかな朱塗りの高さ33メートルある五重塔が堂々とそびえています。夕焼けに染まる塔を写しました。ここでは、桐の小さい下駄を見つけてあまりの可愛らしさに家族やバイトのお土産に沢山買いましたが嵩張って結構大変でした。

「道連れ」

 翌28日6時起床、7時30分発・・・・・とことことこ8時に向こうから歩いて来るお遍路さんに会いました。この方は愛知県一宮市の宮崎節子さん70才、一年中歩き続けて今は33回目だと言うお遍路さんです。頭は奇麗に剃り上げてあり、笠を取って見せてくれました。写真を撮り合って、家にいるお姉様に送る事をお約束して分かれました。

 南無大師遍照金剛・・・・歩き始めます。87番長尾寺まで7キロ、カンタンカンタンとことことこへんろ道保存協力会の道標に従ってどんどん歩きます。フンフン・・あれッ?道標が急に無くなっちゃった・・とことこあれーもぅーそこまで来てるはずなんだけどなぁー・・・
「すみませーん長尾寺は?」
「長尾寺はあっちですよ」
「はぁーどうも・・おかしいなぁー」とことことこ・・ふらふらボーッとしていると自転車に乗ったお兄さんが
「こっちこっち」と道案内をして門まで案内してくれました。お礼を言ってついでに門前で写真を撮って頂きました。

 長尾寺9時20分到着!境内は菊祭りの最中で立派な鉢植えの菊が幕を張って展示されてありました。と、さっきのお兄さんが菊の前で写して上げようと言われるので何枚かポーズを決めて写して頂きましたがお礼を言っても離れてくれません。(なんか変だなぁー?)・・・そして彼とこの後歩く羽目になろうとはこの時は予想もしない春美さんなのでした。

 私は喫茶店で例のごとく、よもぎ餅を注文して座っていると又々お兄さんが入って来て私の前に座り「俺も饅頭を食おうかな」・・私はお金を払う時「この人の分も一緒にいいですよ」と言いました。彼は何も言いません(普通、僕のは自分でと言うんちゃう)(別にこの位どうって事ないけどさー何で遍路の私が土地の人に接持しなあかんのよ、変な人やなーでも親切にしてくれたしまぁーいいけど、でも、どうして私に付いて来るのやろ・・・)

 さぁー次はいよいよ結願寺88番大窪寺です。門を出ると彼は又付いて来て大窪寺までの道を説明してくれます。私は丁寧にお礼を言って出発します。10時15分長尾寺出発!さぁーいよいよ88番大窪寺。距離は16キロですから簡単です。今日はお寺の前の民宿八十窪に予約を入れています。ゆっくり歩いても3時頃に着くとしてゆっくりと御参りできるはずです。タッタッタッー黙黙黙とことことこ・・・結構早足で2キロ位歩いたでしょうか・・・突然に後ろから声を掛けられました・・・

 「足、早いなぁーもうー追いつけないと思ったわー」なんとさっきのお兄さんです。ウーロン茶を持っていて
「はい、これさっきのお饅頭のお礼や」
「わぁー有り舞うございます。わざわざお茶を持って来て下さったのですか、有り難うございます。」
「買い物の帰りだったので家に寄って冷蔵庫に入れて走って来たのや」
「どうも本当に有り難うございます」・・・・

 とことことこ歩き続けるわたし・・・ギーギーギー自転車をこいで付いて来る彼・・・お話されるので答えるわたし・・・とことことこギーギーギーとことこギーギー・・「あのーどうぞもう大丈夫ですので有り難うございました。もうお帰り下さい」しかし・・・・彼は帰らない・・・とことことこぎーぎーぎー

 「俺も久し転りに大窪寺さんに御参りしょうかなぁー・・・」私は空を見上げて考えます。(京子ーきょうこーどうしたらいいの?きつく言って断った方がいいの、でもこの人はお寺まで案内してくれて、お茶まで持って走って来てくれて、少し変だけど悪い人でもなさそうだし・・・旅は道連れと言う言葉もあるし・・もぅーここは自然に任せよう)(彼が歩き遍路さんであったなら当然一緒に歩くのですが彼は只付いて来ているのです。)

 今は真っ昼間、ポカポカの晴天なり、ここは大きなバス道路・・・夕方のへんろ山道でもないし、彼が付いて来るのなら自然に任せてみよう・・・彼はというと下はジーパン上はトレーナーにデニムのジャケットを着てまだその上にスポーツジャンバーを羽織っています。10月末と言ってもポカポカの中を歩く恰好ではありません。既に彼はフーフーと苦しそうで暑そうです。彼は付いてくる様子ですし、私は振り返りながら
 「あなたねぇー本当に歩くのだったら服を脱ぎなさい。その恰好では無理よ」彼は上着を二枚脱いで前の籠に入れました。ここではっきり心を決めました。彼は付いて来るのだ!

 とことことこギーギーギーとことこギーギー道は緩やかな登りです、自転車をこぐと言う事は大変な事です。彼はとうとう降りて歩き出しました。私は言いました。

 「ねぇーねぇーどうせ付いて来るんだったら私のリュックも乗せてよ」‥・自転車の前の小さな籠には私のムチャでかいリュックと彼の上着が積まれもぅー大変!前が重すぎて自転車を押すのも一苦労です。彼の後ろから歩いていると大きなお尻がヨッチラコッチラ・・・肩で息する彼はヨッチラコッチラ・・・私は思わずハハハハと大きな声で笑ってしまいました。可笑しくなって「写真を撮ったげよう」と後ろと前から写しました。 「頼むから止めてくれや」
「ダメダメ、写真は絶対に撮るの!」・・・とことことこギーギーなぜか(しゃーないなぁーと親しみさえ湧いてきました。)

 とことことこギーギーギー・・・リュックの無い私は軽やかルンルン・・・彼は籠の重みで自転車の重心が取れずフラフラ・・・リュックの中には加藤さんに頂いた丹波粟の甘納豆が入っている(本当はこれだけは上げたくないのだけどかわいそうになって) 「甘い栗が有るけど食べる?」
「うん、たべる」
「はい、これって本当に美味しいのよ」・・・
「上手いうまいもっとないか」
「えぇーもうー無いわよ、後ニケしか無いから一個づつね」・・
「うん、上手いうまい」本当に嬉しそうです。ここは四国の遍路道中、甘い物の大好きな私に加藤さんの心遣いが身にしみて加藤さんの笑顔を思い浮かべました。(お父さん、本当に美味しかったよ、有り難う、ちょっと変なお兄さんにも上げたけど許してネッ)

 とことこギーギーハアーハアーニ人共ゆるやかな登りの道が続くのでバテテ来ました。
「ハアーフーウー暑いあついアツイゾ」
「もぅ少し行くと水を飲める所があるからな」ハアーハアー11時40分前山ダム事務所通過・・・12時45分昼寝城跡通過ハアーハアー1時、着きました。彼の言う水飲み場です。私達は走って行ってグイグイと飲みます。
「あーあ美味しいねぇー」(さぬきの名水大師の水、この湧き水は四国霊場88ケ所の結願寺である大窪寺に続く道沿いに四季を通じて山肌から湧き出しており古くから訪れる人々の疲れをいやしいつしか「大師の水」と呼ばれる様になりました。この付近の山は県行造林としてヒノキ植林されており湧き水はこれら豊かな木々に守られています。近年ここは地元の方々により「水仏さん」として清水地蔵が安置され野花が供えられ蝋燭が灯され清らかな水と共に大切に保存されています)と説明が書いてありました。

 私達歩く者にとっては本当にはんとうにお大師さんの水であり又土地の方達の優しい思いやりの心が清らかな水と共に身体中にしみ込んで流れていく感じです。さぁー元気をつけて歩きます。とことこギーギー1時25分額峠通過・・・とことこギーギー何か気配を感じて振り返ると、わぉぉぉー自転車遍路が登って来ます。自転車に乗ってこいでいるのですが登りなのでナカナカゆーらりゆーらりと、まるで兜虫の様に近付いて来ます。彼はそれほど体格の立派な秋田県秋田郡五城目町からの小熊久博さん。一番霊山寺に車を置いて16日目の結願手前の出会いでした。精悍で爽やかな印象を受けました。後のお便りに書かれています。(四国の人々の遍路に対する好意には本当に感謝する日々でした。最初は単なる自転車旅行のつもりで始め、どうせ廻るんだったら遍路でも」という気持ちでしたが廻るにつれいつしか般若心経を唱えていました。いつの日か絶対に野宿で歩きます)

 その後NHK教育TV「おしゃれ工房」が遍路特集を作成した際に私が体験者として出演した時には、遍路に興味をもつ友人達にも知らせて下さったそうでとても嬉しかった。あの数分の出会いが一本の糸となって広がって行く遍路の不思議です。小熊さんとお互いに励ましあってサヨナラして歩き始めます。とことことこギーギーギー彼はもぅ話す元気も無くなっています。顎も上がってきています。ゆっくりと登りが続く道を大きなリュックを前の籠に入れた自転車を押して歩くのは大変だと思います。この時はジーンとしてきて彼の事をいとしくも感じました。彼はと言うと、ハアーハアー

 「大窪寺に着いたらすぐ、たらいうどんを食うんや腹が減ってたまらん、すぐにうどんを食うんや、あそこのうどんはうまいんや」と頭の中はたらいうどんで一杯の様です。(この様子だと御参りの前にうどんを食べないとおさまらないなぁー、まぁ仕方ないか時間はたっぷりあるし、腹ペコなんだ彼は)

 とことこギーギー歩いていると、むっちゃクチャ大きな燈篭が道路の横にでーんと二つあっちとこっちと向いて置いて有りました。大きいけど形がユニークなので「写真にとるうーーー」と二つの燈篭の真ん中で一枚、燈篭の横からチョコンと顔を出して一枚写してもらいました。緑の山を背に紅葉の木やすすきの中、おばけ燈篭と三つ編みに菅笠に白装束の写真はお気に入りの一枚です。

「大窪寺到着」

 よっこらしょどっこいしょフウーフウーあッ!見えました。山門が・・・平成9年10月28日午後3時6分88番大窪寺到着。思えば今から7年前の平成3年11月10日の夜明けに1番霊山寺の山門に京子とママさんと寒さに震えながら立ったのです。何も分からず遍路の意味も知らずに、眠さと本当に歩けるのかしら・・・不安と期待に胸ふるわせて、あッと言う間の7年でした。

 短い様で長い様で・・・不況の中、借金しての曼陀羅の開店、娘の結婚、私の結婚、孫の誕生、阪神大震災、娘の離婚・・・・・でも、これらの事を全て支え乗り越えられどんな時も母娘、明るく元気で前向きに生きていけるのは本当に四国遍路の御陰様です。40日かけての通し遍路は凄い事だと思います。私は7年掛けた区切り遍路だったからこそ今の強い私がいる様に思います。7年、12回の遍路は私を支え考えさせ、そして成長させて下さった事は確かです。区切り遍路万歳!お四国万歳!ははは・・・

 と、感慨に浸る間もなく彼はお寺の前の八十八庵にうどんを食べるべくもぅ入っていっています。なんで、最後の結願寺の前でこんなお兄さんに会ったんだろう?まさか、もう一回やりなおせって事じゃないでしょうねぇー大師さん、いやだよぉーんクスン。

 八十八庵さんは広くてお土産物が沢山並べられ食事をする所も大人数が収容できる様になっており、さすが結願寺の雰囲気です。私が入って行くとそこの御主人とは顔見知りらしく挨拶をしています。一緒に入って来た私を見てちょっと不思議そうなのですが私はとても安心しました。様子を見てそっと御主人に尋ねました。

 「あのぉーあのお兄さんはお知り合いなんですか?」
「知ってますよ、村が一緒なんです。」
「あーぁそうなんですか、あのお兄さんは長尾寺からずーっと付いて来はったんですけど・・変な・・悪い人では無いですょね」
「えぇーツ!長尾寺から付いて来たんですか、ハハハ、それはそれは、いや悪い人間では無いですよ、ちょっとした有名人だけどね、なんて言うか、まぁーフーテンの寅さんみたいな遊び人ですよ、あんたがマドンナみたいに見えたんでしょう」と笑っています。マドンナと言われて笑ってはみたものの・・・私の胸の中は彼が追い掛けて来た時からズーツとスッキリはしていないのです。(7年掛けた最後の結願寺を目前にして付いて来たお兄さん、歩き遍路さんと少しの間みちづれになる時は合ったけれどもこんな事は一度もなかったから、はっきりお断りして一人で歩いた方が良かったのではないのだろうか・・いやいや、自然にしていてこれも何かの縁なのだからいいじゃーないのと言い聞かせたりして歩いて来たからです。しかし不安は残っているのです。)

 うどんを食べた後、私は今日はそこの民宿八十窪に泊まりますのでと、今日一日のお礼を言って別れました。気持ちを新たにして88番大窪寺に向かいます。此処まで無事に御参り出来た事を沢山の方々へ感謝の気持ちを込めて合掌します。ご先祖様供養、阪神大震災で亡くなった姪の中北百合の冥福を祈り、娘や孫の幸せを祈ります。お不動様の前の石には

「あなうれし ゆくもかへるも とどまるも われは大師と二人づれなり」

と刻んであり、写しました。女体山を背にして建っている本堂を写し、龍のロから流れる水場を撮り修行大師像を写します。結願して納められた金剛杖を撮り石碑を写します。それには

 「今までは大師とたのみし金剛杖 つきて納める 大窪の寺」

と刻まれてありました。納経を済ませて境内を見ると、彼はなんと私のリュックの所に座っています。石段を下りて行くと彼はこう言います。
「リュックをこんな所に置いてると盗られるよ」私は苦笑して「そんなー盗られないわよー」すると運転手さんみたいな人が横で、「いや、気を付けないと無くなりますよ」と言われました。お遍路さんの物を盗んだりしたら絶対にバチが当たると思います。

私はさっきから考えていた事を実行に移す事にしました。
「あのね、さっきうどんを食べた所に行ってご朱印帳と言うのを買ってきてちょうだい」とお金を度しました。ハアーハアーと買って来た彼を連れて納経所に行き納経をして頂きました。そして彼に
「あのね、今日一日何かの縁で私に付いて来たでしょ、これはね、お四国88ケ所を回ったらこうやってご朱印を頂けるからこれを機会にポツポツとでも回ってみたら・・・何年かかってもかまわないのだから、どこから回っても構わないのだから・・・まずは八十八番が済んだのよ、これを今日のお礼に上げるからね。暗くならない内に戻らなきゃ、自転車でもけっこう大変よ」
「これを俺にくれるんかぁー」と驚いています。「有り難う、俺ももうクタクタだから帰るわ、本当に有り難う」「さようならー」
「これでいいんだわ、いつの日か私を思い出して四国を回る日が来るかも知れないから・・・)

 ホッとして民宿に向かいます。とことことこ・・・
「こんにちはー西宮の森ですが」
「あーあ森さん待ってたんですよー実はね団体さんの入る日を間違って昨日と思って30人分用意していたら聞き間違いで今日だったんよー、それで森さんの部屋がないんですが近くの清水温泉センターを予約してありますから案内しますから、明日もお迎えに伺いますから、本当にごめんなさいね」と大変に恐縮されています。

 私は昨日30人分の夕食を用意して待てどくらせど来ない団体さんを持って、結局は日の聞き違いで大変な一日だった話を聞きながら数十分かけて清水温泉センターに着きました。明朝のお迎えの約束をして降ろされました。

ここは300名が収容出来る大宴会場のある保養センターでした。

大きな温泉にゆっくりと入り大宴会場で一人寂しく夕飯を食べゆっくりしていると電話が入りました。誰からだろう?‥・
「もしもし‥」「もしもし、昼間の者ですが今日は有り難う・・・」(えッ?彼だ?なんで?・・・・)
「八十窪さんに電話してここの番号を聞いてかけてるんや、俺も帰りにご利益があって車に自転車ごと乗せてもらったんや・・・今日はあんな立派な物を貰って本当に有り難う、お礼に高松駅にうどんを持って行きたいのだけど・・・」
「エッ!あの私は明日から1番さんに向けて歩きますので・・あの本当にもうお気持ちだけで・・有り難うございます。」
「西宮で店してるんやろ、神戸までいくらぐらい有ったらいけるんかな、俺いっペん行きたいな・・」(えぇーーー!?)私はこの時、初めて怖くなりました・・・どうしょうーーー・・・
「あの、西宮は遠いですし大変ですしそんな無駄なお金も使わないで下さい、もったいないから・・・あの私もう疲れていますし本当に電話を有り難うございました。おやすみなさい・・・」と電話を切りました。ふぅーーーー。

「霊山時へお礼参り」

 8時にお布団に入り今日の変な一日を思い返しながら眠りました。・・・・午前2時バッチリと目が覚めたので又温泉に入り、もう一度眠りました・・・朝6時起床、7時30分に八十窪さんがお約束通りお迎えに来て下り大富寺まで送って下さいました。私は心新たにしてもう一度お参りをしました。8時10分これからは1番霊山寺へお礼参りの遍路旅です。

 1番霊山寺から打ち始めた遍路は88番大窪寺を打ちもう一度1番に戻る事によって四国四県の道のりが一つの輪に繋がります。140Oキロの道のりが円となり人の縁が繋がり延々と続いている歴史を肌で感じ、輪廻を思い宇宙を曼陀羅を感じる様になります。神の存在を意識し大師に見守られている事を感じ、生かされている命を知り大いなるものに歩かされている事を考えます。

「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」

この世の全ての物体「色」は、何もない真空の大字宙「空」から生まれこの世においてはぐくまれ、やがてはもとの大宇宙「空」へ帰って消えてしまうということです。(般若心経より)

 清々しい朝です、結願した私の足どり軽くタッタッタッー黙黙黙もくもくとことことこ田舎の遍路道が続きます、とことことこ、9時40分長野通過・・・えんえんと続く田舎道・・・頭も足も痛くなってきました・・・10時50分大倉通過・・・・・・・11時10分大月橋通過、足が痛くて痛くて草の上で休む(今日はしんどい、しんどい旅になりそうだ)とことことこ・・・・リュックの重みがずっしりと肩にくい込む、足の裏も太もももふくらはぎも痛いイタイ(はるみ、お前が歩くのも後今日と明日と30キロで終わりなんよ、今までの事を思えば・・・頑張れ・・・)おしっこをしたくなり竹薮を見つけて入って行きました。そしてて思いました。ゆっくり行こう、ゆっくり、ゆっくり・・・・

3時、なぜか簡単な道のはずなのに迷ってしまう・・なんでぇ?足が痛くて前に進まない痛くて死にそうだ・・・タクシーが止まり「乗せて上げよう」と言われる。思わず(乗りたい)と思った。3時30分切幡寺下通過・・・3時50分イターーーイ!くそおおおおお!!・・・7年前、京子とママさんと歩いた道だ、所々に、記憶がある、その感慨に浸る余裕も無く足の痛さで涙さえ出てくる(はるみ、今までこれぐらいの苦しい事一杯あったじゃーない・‥前の事は忘れるのよ、今の痛さがイタイんじゃーーー)ヒョコヒョコヒョコヒコヒコ・・・くすんくすん・・・ふらふら

 前に見えるあの登り坂を登っていくのかしら、バイクの奥さんに
「あのーたみや旅館は?」
「よく分からんけどそこに一つ有るよ」露地の奥の方を見ると「たみや」と小さい看板が上がっています。嬉しくなって小走りに歩きます。5時30分到着!ホッ 

 普通のお家で奥さんが出て来られ杖を洗って下さいました。杖を洗って下さったのは40番観自在寺下のつるのや旅飴の奥さんとこれで二回目です。あの時もふらふらふらと夜の8時ごろにやっと辿り着いた私を心配して外まで見に出て来られていたのです。
「あぁーよう来はった疲れたでしょ、心配して見に出たとこやった」と仰って私から杖を預かり洗って下さったのです。私一人の為に用意された夕食、遅くなった事を一言も文句を言わず疲れた私を労ってくれた・・・私は胸がジーンとしたその時の事を今もしっかりと覚えています。

 つるのやさん、たみやさん有り難うございました。ここでは宿帳を書かされました。何月何日どういう目的で泊まったかと言う事を書くのです。それで私は平成3年11月10日から区切り打ちを始め7年掛かりで昨日結願の後1番霊山寺へお礼参りに行く途中の宿泊と書き込みました。後に、翌10年の1月に清水君は偶然たみやさんに泊まりバラバラと宿板をめくり私の名前が又々出てきてなんと縁があるのだろうと驚いて四国から葉書を送ってくれました。私も可笑しくなって笑ってしまいました。又彼は春には土佐の海岸沿いに在るロッジ尾崎さんに泊まりました。ここは私の推薦で奥さんの「竹内さんによろしくね」との言葉は本当に嬉しく懐かしかったァ。又、こんな事もありました。清水君はとてもカメラが好きでお遍路をしているのか写真を撮ってるのかどっちやねん・・失礼!で「僕が阿波を歩く時は森さんが建てた焼山寺の長戸庵遍路石の写真を絶対写して来るからね」と言って約束を守ってくれました。

 そして昨日の事です。(遍路結願の季節は秋でしたが手記は全然進まず今はなんと翌10年の6月11日です、まだ書けてない)お店のポストに一枚の封筒が入っていました。封筒の表に何か書いてあります。(森様はじめまして私、宝塚の原田と申します。先月14日結願いたしました。4月10日に1番を出立35日で歩きました。その時撮ったものです。お納め下さい。原田)中には長戸庵の遍路石の写真が2牧人っていました・・・・。この人がどこの誰なのかこれだけでは全く分かりません。どうして私の事を知っているのかしら・・・お店の事もどうやって知ったのかしら・・・只、有り難いと言う思いだけが静かにしずかに込み上げてきます。お遍路が下さる一番素晴らしい御褒美、知らない人様とのご縁です。有り難い事でございます。宝塚の原田さま本当に有り難うございました。

 (一千年の歴史をもつ遍路道に先達が残して下さった道標の石が沢山残っています。私達歩き遍路はその道標にどれほど助けられ励まされて歩く事でしょう。そう心の底から感じた時私は石を建てようと決心しました。そして四国四県の山の奥深く歩き遍路だけが見る事の出来る場所に建立させて頂きました。へんろみち保存協力会の方々の大変な御苦労の御陰様でございます。)

「ご褒美」

 結願後、手記を書くのがなかなか進まない間に神様はどんどん御褒美を下さいます。私が内面的にとても強く大きくなったのは勿論の事、沢山の方々とのどこまでも繋がって行くご縁、そのご縁のお一人長岡市の中野裕二さんからは毎年新米のこしひかりが届きます。恐縮して遠慮しても「出来る間は送らせて下さい、それが私達にも喜びと励みになりますから」とおっしゃいます。ロッジ尾崎さんで手にした徒歩遍路本の作者、明徳短期大学教程の小林淳宏さんのご縁で秋田書店の「歴史と旅」から依頼され「特集今こそ四国遍路」に文が掲載されたのは八年の春の事でした。何度も何度も書き直して満足し大きな自信に繋がっています。

 今年十年の春には「へんろみち保存協力会」代表の宮崎建樹さんのご縁でNHKおしゃれ工房「早坂暁と行く初めてのお遍路」と題して4日間の特集を組まれた時は体験者として出演させて頂きました。その時インタビューはBAR曼陀羅に入りました。営業中です。私はお店を作るきっかけになった、運命の大きな屏風の前にチャイナ服を着て座り、満面の笑顔で遍路結願の感想を話しています。画面は大写しで屏風と私を捉えています・・・・・・・・・。

 放送後、何日か経って車を運転している時でした。私は気づいたのです。(あぁーー!7年前屏風に出会った私は大不況の中で資金繰りも苦しい、屏風に夢かけたイチカバチカの女一人大勝負を決心した時から不安な時はいつも屏風に話かけていたのです。屏風ちゃん、貴方はあんまり大きくて中国から仕入れられて来ても20年以上も人の目にふれる事もなく暗い倉庫に入れられていたんだよ。それを私が一目惚れして貴方を主役にしてお店を設計したの、貴方を日の目に出したるって意気ごんで、夢かけて貴方も嬉しいでしょ、だから私を応援してネッ 私、一人ぽっちで寂しい時、資金繰りの苦しい時、先の事を考えて不安な時、いっつも語りかけていたんだ・・・屏風ちゃん、応援してね・・・そして資金の苦しい時程、なにくそッと遍路に旅立ちました。

 御陰様で借金も返済出来お店も落ち着き自信もついてきました。そして私は立派に屏風に御恩返しをしました。6年でお店に来られたお客様は六千人ですが、NHKのメディアに乗って本当の意味で日の目に出したのです。すっごぉぉい!)

 神様からのご褒美はまだまだ続きがあります。そして私が前向きに生きていく限りもっともっと続いていくと感じています。7年前遍路旅立ちの前日の事でした。着物作家螺細師甲斐泰造さんのアトリエを訪ねた私と京子は多大なご接待を受けました。とても感激した二人はそれに見合うお返しをと色々と考えますが思いつきません。そのまま四国遍路阿波に旅立ちました。1番霊山寺でお軸を購入する時に(そうだ、お軸をお返しにしょう)と思い立ちました。その時から私は只でさえ大きなリュックに二本のお軸を入れて歩く事になったのです。阿波を歩き終え帰って来て甲斐さんにお手紙を書きました。

 「先生、先日は大層なお接待を受け感謝致しております。お礼に四国巡礼のお軸を差し上げます。しかし何年かかるか分かりませんが楽しみに待っていて下さい・・・。」と・・・。そして7年12回の区切り遍路結願の後、高野山お礼参りも無事に終え数年振りにお電話を入れました。

fuda.jpg  「先生、お久し振りでございます。7年掛けて結願致しました。お約束通りお軸を持って京都に伺います。でも一つだけ言わせて下さい、遍路の意味も何も分からず旅立ちました。こんな私でも数百キロ歩いて行く内には色々と見えて来るものも沢山あります。↑ ̄今では遍路の意味も意義も理解できます。そういう意味で歩き遍路の汗と涙の結晶のお軸は例え身内でさえも分けられるものでは無いと言う事が途中で分かりました・・。でも春美さんは一回口に出したお約束は守ります。きっと何も分からずお軸にしょう思った時からそう言う風になっていたのでしょう。きっと前世では深い繋がりが合ったのでしょう、そうとしか思えません。森 春美、7年のお約束果たしに伺います。どうぞ大切にして下さいませね。」(かなり、もったいぷって言ったと思いますがそれぐらい言わせてよって感じで言いました。)

 京都のアトリエに7年振りにお伺いしたのは10年4月23日の雨の降る日でした。雨で着物を着て行くのを諦めました。アトリエとそこにいらした感じの優しい事務の女性は7年前と何も変わっていなくて、お訪ねするのは二回目なのにとても落着いてゆっくりとくつろがさせて頂きました。この日はゆっくりゆっくりと静かに時が流れて行きました。四国88ケ所満願のお軸がアトリエに広げられた瞬間、空気がシンと静まりました。皆の目が注がれます私は万感の思いが身体中に走ります。そして皆の溜め息、

 「7年かけて歩いたんだね、このお軸を背負って本当に有り難い事ですね、これを僕に」
それからは来られるお客様お一人お一人に私の説明をして下さり「有り難い」と言い続けられます。
「不思議な事があるんですよ、春美さんが四国を歩いているこの7年間は僕の仕事も殆ど四国の展示会だったんですよ・・・本当に四国のお客様には助けて頂きました・・・又、この7年の間は僕も人生の修行でしたよ、大病をしたり、色々な問題も抱えました。・‥僕の祖母は毎月21日はまるで彼に会いに行くようにお大師さんに会いにお寺さんに御参りしていました。このお軸は亡くなった僕の祖母からの贈り物だと思っています。」と、そうお話された時はどれほど感激したことでしょう。

 「私もこのお軸を届けに来る時は先生とは数回しかお会いしていないけれど前世で何かの繋がりがあったのだろうと思いました。お仕事のお客様が途切れた頃
「春美さん、こっちへいらっしゃい」と奥に呼ばれます。「はーい」とことことこ・・・好きな着物を選びなさい、と部屋一面に美しい色がサーッと放たれます、驚いて声も出ない私に彼女が微笑みながら・・・
「先生はね、春美さんが来る来るってずっと楽しみにしていられたのですょ、来られたら着物を貰って頂くのだってだから遠慮なさらないで頂いて下さい、先生も喜ばれますから、一緒に選びましょう・・」と本当に嬉しそうに言われます。

 沢山の着物を羽織って見て二人で選んだのは水色の着物です。裾全体に青々と比叡山の山々が描かれています。そして石段を登って行くと其処には螺鈿細工されたお寺が朱色に輝いて建っているのです。帯のおたいこにも同じ模様が描かれていました。仕立て上がり送られて来た箱を開けてみると思わず溜め息の出る様な、なんとも言えない素晴らしいお着物とお揃いの帯と、そして、配色がこれ以上の物はないと思われる紫と水色の綺麗な帯上げと帯締め、着物ハンガーまで入れて下さってました。

 娘や、お客様に見て頂きましたら口を揃えて「こんな豪華な素晴らしい着物は今までに見た事が無い」と言われます。私は教えて頂きました。人が無心で何かをやり遂げた時、無心で人や世の中に貢献した時(神に通じ神の心と一つになった時)神様はご褒美を下さると言う事を。その事を身体と心とそして魂で感じとる事の出来た人間はどれ程の力を得られるかと言う事を。教えて頂いた事を伝えていく、お返ししていく、還元していく、寄せては返す波の様にどんどんどんどん還元していく、お金は回る、恩も回る、回って回って円になり縁になり四国の円になり血の輪廻になり曼陀羅になり宇宙の無限になっていく・・・

「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」

あなたの心が 神に通じ 神の心と一つになった時
あなたの元に 幸福の種が落ちて来るのです
それは偶然の形で まるであなたが 息をするように
とても自然な姿で あなたの元にやって来るのです
決して
奇跡のように驚かせたり 奇をてらったりしないもの
あなたにだけそっと分かる あなたの人生に無理なくおさまるもの

神から送られる幸福に あなたは心から感謝し
感謝の中に 執着など生まれるはずもなく
あなたはその幸福を 多くの人に分け与える喜びを
知る事でしょう
真の幸福は 感謝の心なくしては 決して 得られぬ事を
あなたは知るでしょう

合田和厚氏「神のみる夢」より


 曼陀羅の開店の前にふっと出会った相田みつをさんの「雨の日は雨の中を風の日には風の中を」という本に感銘を受けました。そして、曼陀羅から本が送られていきます。この男性に一冊、この方に一冊、この女の子にも一冊・・・・・

 最初の年に「にんげんだもの」、三年目に難波利三さん。中浜 稔さんの「猫はもちろん猫だけど」、五年目に星野富弘さんの「鈴の鳴る道」。そして今年六年目に合田和厚さんの「神のみる夢」・・・もう既に千冊・・・千人のお方にお配りしています・・・ずーっと本をプレゼントしていきたい。そして2000年には私の遍路手記が一冊の本になってお配り出来る様になるのが夢です。

 「曼陀羅のママ?あーあ本くれる人やな」「俺、ママにもらった相田みつをっていうの有楽町のギェラリー見たで、有名やねんな」
「ママー、私、この猫の顔とこの文が大好きなの」「ママ星野富弘の本な、おふくろが感激して群馬まで絵を見に行くゆうてんで」
「昨日、すごく悲しい事があった後おそうじしていたらふと手にとったのがママから頂いた神のみる夢でした。これは何か意味があると思って再び読んでみたら何かすごく救われた様に思いました、全ての人に感謝したい気持ちです」

 曼陀羅は西宮にある小さいお店です、私はお客様に「天然ボケでなんも知らん変わったママや」と言われます。でも私、自分の好きな物に囲まれてお遍路をして曼陀羅っていう名前つけてこのお店に座っているのが大好きなの。もぅお店を始めて18年目、18年続いているお客様、今日一見で入って来られたお客様・・・自分の人生とお客様の人生と重ねあわせて見続けていきたい、そしてほんの少し遍路を伝えていきたい、温かくのんびりと60才・・・70才までも・・・そんな店が一軒くらいあったっていいじゃーない、ねッ・・・ふふふ・・・たのしーーい。私って本当に幸福幸せしあわせ。

 なぁーんてガンガンと乗って書いているうちに10月29日たみや旅館に着いて杖を洗って頂いた所からなんとB5で6枚も脱線してしまいました。でも途中で言葉が胸から溢れて出て来るような興奮を感じたときは最高でした。そろそろ元に戻って・・。

「1番霊山寺へ 」

 翌30日6時30分出発。いよいよ最後、四国最後の日です。タッタッタッとことことこ7時5分御所大橋通過‥・黙黙黙・・畑の一つ二つ三つ先の方に懐かしい7番十楽寺さんの竜宮城を思わせる朱ぬりの門が見えます、7年前を想い写真に撮りました。あの日は泣きながら真っ暗な中、やっと辿り着いたお寺でご住職さんがとても親切にして下さり朝は大きなりんごを頂いたのです。

 黙黙黙とことこ‥・民家の軒下にぶら下がる干し柿の列を写します。子供の頃、家の窓にも母親が奇麗に剥いた柿を吊るしていました。でも何故か数が減ります。どうしてだろうと?思って見ていると家の犬がおもいっきりジゃンプして食べていたのです。それが可笑しくて今でも干し柿を見ると懐かしく思いだします。とことこひょこひょこ9時15分5番地蔵寺下通過・‥足痛いひょこひょこひこひこ‥‥後数キロの道のりではあろうけれども痛む足に何度も草を見つけて座り込みます・‥ひこひこひこ11時3番金泉寺下通過‥‥もう少しもうすこし‥後すこし‥12時1番霊山寺到着!

 お寺の前には7年前には無かった立派な土産物屋が出来ていました。無事結願の報告とお礼の御参りを済ませ納経所に入って行き
「あのー7年前にここのノートに歩いて回りますと書き込みました。一昨日無事結願して今日お礼参りに来ました。ノートは?」
「わぁー7年前やったらもう倉庫の方にしまってるわ‥」
「あーそうですか‥では仕方ないですね」あのノート見たかったナ!

 ゆっくりゆっくりと境内を歩きます、私にとって大窪寺より、何も分からず寒さに震えて立ってた霊山寺の方が、込み上げて来る想い大きく、晴れ渡った空を感無量の想いで見上げました。7年前と全く同じ場所、1番霊山寺と書かれた山門の前で満面の笑顔とピースポーズで写真を撮って頂きました。終わったのです。

 私の横を立旅な白装束姿の三人のお年寄りが擦れ違って行きました。タクシーで廻られるのかしら‥・新しいリュック、靴、金剛杖を持ち今から歩き始めるだろう遍路さんがいました、話かけようか?いや、やめよう今から歩く人にいったい何を言う必要があろうか、知ったかぷりして‥・彼の明日からがその答えなのだから‥・‥心の中で合掌。

 1番霊山寺を後にします。お寺の前から続く細い道を駅に向かいます。道沿いには閉めてしまったお店が残っていました。歩きながら中をみると遍路用品が埃にまみれて積まれています。お遍路さんで賑わったであろう昔が偲ばれます。私は歩きながらさっき見た7年前には無かった大きな土産物屋の事と合あわせ時の流れの寂しさを感じていました。

 でも、又この目まぐるしく移り変わっていく世の中に於いて千年の歴史を持つ遍路が現代人に見直されている事に安心します。とことことこ最後のJR板東駅、おばあさんに近道を教えてもらって余計に迷ってしまって最後まで迷う自分に可笑しくなります。

 1時5分駅に着きました。なんと1時間に一本しか電車はありません。平成9年10月30日徳島県鳴門市大麻町板東駅打ち止め!駅とホームをしっかり写真に撮ります。1時52分発に乗り板野へ、2時34分発に乗り岡山へ、4時40分発ひかりに乗り新大阪へ。

 お四国1400キロ巡礼の旅を無事に終えられました事を、神様に、大師さんに、宿泊先の方々に、四国のあちこちでお接待して下さいました地元の方々に、京子さんに、キオールのママさんに、そして、お客様や友達、家族の者に感謝致します。ありがとうございました。お四国88ケ所を無事に巡り終えたお遍路さんは最後に高野山へお礼参りに行きます。なぜなら高野山奥の院こそ弘法大師空海のご入定の地であり、今も大師さんがその地に生きておられると信じられているからです。

「ありがたや 高野の山の岩かげに 大師はいまだおわしますなる」

 四国遍路とは大先達が歩み残して下さった沢山の素晴らしい事柄を子供達や友達に、私達歩いた者達がそれぞれに出来る形で伝え残していかなければならない。そして、それは歩いた私達の役目ではないかと心の底から思います。

 大師さんの声が聞こえてくる様です。

「はるみ、お前らしくお前なりに伝えていきなさい」「はーい・・・・」。



                      




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