HP TOP】 【プロフィール】 【フラメンコ
写真館】 【句集】 【瀬戸市紹介】 【新何でも帳】 【フラメンコ掲示板

お遍路メニュー】 【お遍路1】 【お遍路2】 【お遍路3】 【お遍路4】 【お遍路5】 【お遍路6】 【お遍路7】 【お遍路9】 【お遍路10】 【お遍路11】 【お遍路12


女3人お遍路日記

第8回 44番太宝寺から58番仙遊寺


「夜行バスで松山へ」

 今回は44番太宝寺から2キロ歩いた伊予鉄バス久万営業所から打ち始め、58番仙遊寺で打ち止めの88キロの遍路旅でした。仙遊寺にタクシーを呼び、今治港から船に乗りました。次回は仙遊寺から歩こうか、今治港から直接に59番に向けて歩こうか悩んでいます。地図を見てみても港から歩いたとしても途中を飛ばした事にはならないとは思うのですが・・・何か気持ちがスッキリとはしないところもあります。まッ、それは次回に考えよぅ−とッ!今回の祈願も先祖供養と阪神大震及の犠牲になった姪の供養で歩かせていただきました。

 10月22日西宮北インター0時00分発の夜行バスに乗ります。今回の遍路は行きたくて行きたくて仕方がない。どうしてだろう・・・?この遍路が終われば11月には阪神大震災で流れていたスペインへのハネムーンにやっと行ける!ルンルンその為にも先に苦しい修行の旅を済ませとこうと考えました。夜行バスは前回と違って、隣のおじさんの鼾とイヤホンから漏れて聞こえてくる演歌の音で全然眠れませんでした。(眠っているのだったら音楽消してよッ!とムッ!としていました。)

 うとうとも出来ずにイライラとしてとうとう朝の6時に松山に着きました。前回の打ち止めの久万営業所行きのバスが来るまではまだ1時間以上もあります。私はうろうろしながら考えました。そしてタクシーに近付いて行って
「あのー久万までどの位かかりますか?」
「そうやなぁー1万ちょっとかなぁー」
「あーあどうも・・・すみませんでした。」私は又、うろうろと(ちょっと高いぁー・・・後1時間でバス来るじゃ−あない、そんなにお金も持って来てないし、まだ初日だし後あと何があるか分かんないし無駄づかいはダメだわ・・・でもね春美ここで1時間のロスより1時間早く着いて歩き出す方が賢いんじゃ−ない!時は金なりって言うじゃ−ない。うん!そうだわソウダワ!)

 トコトコトコさっきと違うタクシーにもう一度
「あのー久万までいくらぐらいですか?」と聞いた時、前方で
「お−い姉ちゃ−ん何処まで行くんや−安く乗したるからこっちへおいで!そっちに乗ったら高いで!」
「こっちへきいー言うたら、何も心配せんでえぇーて」前方では数人が輪になって笑っています。別のタクシーみたいです。私はどうしょう・・・と思いました。 安いと言われると心が動きます。でももぐりのタクシーみたいで怖くもあります。こっちのタクシーの運転手さんは苦笑いをしながら「乗りなさい」と言います。

 私は知らない土地でもあるし、やはりタクシー乗り場にきちんと待っているこのタクシーに乗り込みました。走り始めて前方の人達の所を通り過ぎるとき、さっきの人が
「おぉーい三千円でいったりやぁー」と叫びました。 私はタクシーに乗っている間中、最初に聞いた1万と今聞いた三千円の事で頭が一杯でした。一体いくら取られるのだろう・・・

 タクシーでも随分長い距離を走って前回の打ち止めの伊予鉄久万バス営業所に着きました。メーターは七千円を表示していました。 最初に一万以上掛かると言った人はナンデダロウと不信感を持ちました。少しまけてくれるかナと期待しましたが七千円でした。 前回と同じ場所でタクシーの運転手さんに写真を撮ってもらいさよならしました。

 営業所に向かって打ち始めのお祈りをしていると部屋にいる人が驚いてられるので私はにっこり笑いました。その人は白装束のお遍路に対しての丁寧な会釈を返されました。 7時40分さぁー出発です。やはりバスを待たずにタクシーに乗りいっときでも早くこうして歩き出せて良かったと思いました。 ゆっくりゆっくり歩いて8時30分、根性無しの私は目に付いた喫茶二十番館に入りました。ここは九万カントリークラブの横で今からプレイの人や打ちっぱなしの人で賑わっていました。白装束の私はいつでも場違いの所でコーヒーを飲んでいる気がします(ゴルフかぁー、私がゴルフするなんてだぁーれも思わないだろうなぁーんちゃって・・)さぁー歩かなきゃ。よっこらしょと。

 とことことこ10時30分三坂峠の車道と遍路道の別れ道に来ました。もちろん私は遍路道を選びますがここのドライブインで しっかりおでんを買いました。山の中でリュックを降ろして土の上に尻餅を付きおでんを頬張る事の楽しさは歩き遍路ならです。ルン 遍路道の終わりに、大師が綱を掛けて大石を運んだと言う名残りの綱の目の付いた大石があり写真に撮りました。ホンマカイナ!

 ここが綱掛石大師堂でした。しばらく歩いているといきなり左手に46番浄瑠璃寺が現れびっくりしました。12時40分でした。 門の前には正岡子規の有名な「永き日や衝門三郎浄瑠璃寺」の句碑が立っていました。さっさとお参りを済ませ先を急ぎます。

 とことことこ1時20分47番八板寺に着きました。このお寺は苔むした七重塔が愛らしかったのを覚えています。さぁー出発! 黙黙黙とことこひょこひょこ・・・ここら辺から眠たくて眠たくて仕方がない。昨日一睡も出来なかった疲れが出てきた様です。 歩き遍路札の示す通りに田圃の横の畦道を歩きます。すると田圃のど真ん中に一本だけ柿の木が柿を一杯つけて立っていました。 遥か向こうにお日さんの光りで白く輝いている山々を背景にして、痩せた木がたわわに柿の実を実らせてうんこらしょっと立って いるのが面白く又都会では見る事の出来ない珍しい景色なので私は写真に撮りました。

   はぁーしんどー・・・眠たいなぁー・・・ ネムタイ足痛いねむたい足いたい・・・ひょこひょこ3時40分48番西林寺に着きました。どのお寺に着いても誰かに声をかけて写真を撮っていただきます。とても嬉しい瞬間です。頑張って歩いて来たんだぁーって満足の一瞬です。だからいつもにっこり笑っています。私の老後の楽しみの一つです。

 四国のお寺の納経の時間は5時までです。私は次のお寺に5時までに着き たいと思いました。疲れた身体にむちを打ちよっちらこっちらと頑張ります。頑張れがんばれふぅーフウー4時30分もうーダメ!フラフラと久米小学校に入って行ってドサリと休息!ストレッチ!あぁーでも、もうちょっとで49番浄土寺だー頑張れ!

 小走りに走り人に聞いてハッハッフッフッやったぁー着いたーなんと4時54分間に合ったー間に合いました。あぁー神様!▽私はその時思いました。「時は金なり」朝タクシーを選び早く歩き始めたから今日の納経に間に合ったのだと。本当に嬉しかったその日の内に納経を済ましているのといないのとでは歩き遍路にとっては大違いです。気がむけば夜明けの3時や4時からでも宿を発つ時があります。宿の側に札所がある場合、納経を済ませていないとお寺が開くまでは発てないと言う事になるからです。

 国の重要文化財に指定されていると言う単層寄せ棟創りの本堂を正面から撮りました。又、仁王さんのいらっしゃるどっしりとした溝えの山門とその奥に真っ正面に見える本堂を撮りました。子規の空也上人を歌った句碑も撮りました。浄土寺の近くの旅館たかのこ荘に着いたのは5時20分でした。昔は栄えた様子が残っていましたが今はひっそりとしていて寂しかったです。でもここのおばさんは昔の気質を残していて一本ビシーッと筋の入った感じがしました。

 お風呂は歩いてすぐのたかの子温泉に行かなければなりませんでした。カラカラとつっかけを履いて行くとドーンと大きな建物のたかの子温泉が現れました。大規模な宿泊施設があり、あーあこういうのが建ったので昔からのお遍路宿みたいな小さい宿が寂れて行ったのかー。でも時の流れでもあるし、確かにお風呂は気持ち良く土地の人達も車でやって来て利用されてる様子でとても混雑していました。

 10月23日7時15分出発です。50番繁多寺に8時に着きました。ここのトイレは目が痛くなる程に臭かったけど快便▽!繁多寺の山門の前で撮って貰った写真は、石段に腰掛けて後ろには私と同じ様に犬も横座りしていて構図がバッチリで評判が良く私もお気に入りの一枚で平成8年の年賀状にも使いました。

「はるみ遍路人形」

 さて、今回は次の51番石手寺に行く間にある高橋正治さんのお宅を縁があってお訪ねしました。高橋正治さんは「高商(現松山大学)の高橋か高橋の高商か」とうたわれた高商・松山高大の名物先生、山頭火を変容させ山頭火の最期を見取った高橋一洵さんのご令息です。正治さんは書道家で、私は不動明王の描かれたお手紙を頂いています。そこには「歩いた後が道になるガンバレ春美さんガンバレ曼陀羅」と書いてあります。

 このお不動さんは、あんぱんマンが怒っている様なとってもおもろい顔をしてはりお会いしたことのない御夫婦に親しみを感じて、私はこの遍路に出るのを楽しみにしていました。奥様の満利子さんは創作人形の先生だと言う事です。

 繁多寺を打ち終えてトコトコと歩いて、八幡三島神社の右投に腰掛けて満利子さんを待っていました。普段着でトットットッと走って来られた満利子さんは、私を見るなり
「わぁッ!春美さん?」
「はい、そうです。森春美です。こんにちは」・・・。
私達はその瞬間から十年の友の様に気が合い語り合いました。満利子さんは、私の為にお饅頭を用意していて下さり(実は私が電話をして買っといてと頼んだのです。)

 抹茶とコーヒーを頂きながら、二人でわぁーわぁーとお喋りしました。 私達はきっと前世から繋がっていたとしか考えられません。正治さんの個展の時の写真や、満利子さんの作られたお人形を見せて頂きました。一つは、隠れキリシタンの細川ガラシャのお人形です。ガラシャが死の決意の時に
「私は潔く死を選びます。私は清らかに天に召されていくのです。」と言うガラシャの凛とした美しさは見る者の心を打たずにはおれません。

 もう一つは山頭火の奥様のお人形です。放浪の旅に出て、長い間帰って来ない夫を想いながら夫の着物を一針、一針と縫っています。すると、あらッ、夫の足音が聞こえた様な気がする・・・と首を傾げます。その瞬間の女の心の内を全身に切ない程に表しているこの人形を見ていると自然に涙が出てくるのです・・・。

 そして、満利子さんは奥から人形を持って来られ
「春美さんをイメージして作ったのよッ」と、言われました。その人杉は、すげ笠を被り白装束で右手に杖を持ち左手にお数珠を持って少し首を傾げて、ほっぺが丸くてだんごっ鼻で本当に私にそっくりでした。私は本当に嬉しくて、うれしくて、嬉しくてこの人形には満利子さんと私の魂がしっかりと入っているのを感じました。私はこの人形に「はるみ遍路人形」と名付けました。

 正治さんのお宅の床の間には、俳人の中塚一碧楼の掛け軸が掛かっていました。その横には山頭火が被ったすげ笠もありました。それらをバックにして「はるみ遍路人形」をしっかりと胸に抱き、満面の笑顔で写真を撮って頂きました。先を急ぐ私に満利子さんはそこ迄と言いながら、結局次の石手寺までつっかけ姿でご一緒して下さいました。

 お寺では山頭火の句碑の前で写真を撮り満利子さんと二人の仲良しスナップ写真を撮り、なごり尽きない満利子さんと此処で別れました。何度も何度も振り返る私に、いつまでもいつまでも手を振って答えて下さる満利子さんのまるで如来様の様なお顔を、私は一生忘れる事はないでしょう・・・・。

 石手寺と言う名前は、お遍路の始まりだと伝えられる衛門三郎が生まれ変わったと言われる河野息方が、このお寺で初めて左の手を開き握っていた石を落としたと言われる事からつけられたそうです。そのせいか道後温泉に近いせいかどうか分かりませんがムッチャ観光化していて私は嫌でした。でも曼陀羅のお客様のあやちゃんが「ママ、石手寺に行ったら絶対に洞窟に入ってね!」って何度も言っていたので満利子さんと入って行きました。お金を入れて下履きを替えて順にウロウロと回って行くのですが、最後は仏様の前を通って終わりとなります。その聞テープから音楽が喧しく流れていて・・・私は嫌な気持ちが残りました。

 歩き始めます。満利子さんの事を思って歩きます・・・・。はるみ遍路人形はリュックサックのポケットの中に布にくるまり箱に入っています。私はニッコリ徽笑みます。幸せだなぁー私ってどうしていつもいつもこんなに恵まれて生きているんだろう・・。お人形を作ってとは頼まなかった、お訪ねしたらもう出来ていた・・・・。不思議だわ、一度も会った事のない人なのに・・・。(後から人に聞いたのですが高橋満利子さんはNHKテレビにも紹介された事があり、又お人形は数力月前から頼んでいても、なかなか難しいぐらい待たなくてはならないそうです。)どっちにしても私と満利子さんはとても気が合いました。

 今回のお遍路はとても行きたかった事を思いだし、(あーあそうか太師さんはこのプレゼントが待っているので私を呼んで下さったんだわ)と思いました。私の胸は、感謝と幸せではちきれそうになりました。

 黙黙黙とことことこもうすでにクタクタです。11時20分松山大学の門の前に座りこんで休息!(北条の門田旅館まで後20キロ・・歩けるのだろうか)あかんたれの私は1時に又、喫茶店で休息して頑張って歩き出します。途中で荷車を押しているおばあさんと並びました。トコトコトコごろごろごろトコトコトコごろごろご・・・なんと!?私の歩幅はおばあさんに負けてしまったのです。(えぇ−!ウソやろ−)・・・しかしおばあさんの方が確かに早くて追い抜いて行きます。むっちゃショック!

 2時40分52番太山寺に着きました。大きなお寺で仁王門から150メートル歩いて納経所があり、なんとそこから又350メートル先に本堂があるらしい・・・もう−カンニンしてやー。次のお寺に昨日の様にちゃんと納経の時間に間に合う様に着きたいんだからーこのお寺では本堂の石段に腰掛けて「中北百合平安供養」の祈願所を胸に写真を撮っていただきました。(百合ちゃん安らかに)さぁー出発です。この時間になるといつも相当足にきています。

 (痛いいたいイタイ・・・)ひょこひょこずるずるずる53番円明寺に4時に着きました。ホッ!この後はえんえん歩いて北条の旅館までいけばいいのです。時間を気にする事はないのです。私はこのお寺で歩き遍路の松元園心さん(亀岡市の西光寺)と自家用車で遍路中の西幸重雄さん御夫婦(愛媛県北条市)に会いました。園心さんは大師さんと同じお姿ですが、お若くてヒョーヒョーとしていました。お寺のご住職の命により、歩き通し遍路の途中で番外まで全部をゆっくりゆっくりと回られているそうです。後に無事満願のご報告がありました。

 沢山の方達からのお接待のバナナやみかんで袋が膨らんで重そうで笑ってしまいました。さっき写真を撮って頂いた西幸ご夫婦と私達は皆で仲良くみかんを食べながらお話しました。西幸さんは私が今日、北条の門田旅館に泊まる事を聞くと自分達の家に帰る途中に門田旅館が有るので荷物だけでも先に運んで上げましょうと言われます。最初に、どうぞ車に乗って下さいと言われた時に
「有り難うございますでも全部歩いて回っていますので」と答えた後しばらくしてからのお話でした。私の顔は感激と嬉しさと驚きで目が輝きました。
「え−え本当ですか?うれしいーーー!!背中の荷物が一番辛いのです、お願い出来ますか?本当に?有り難うございます▽」
「そんなに喜んで下さらなくても私達は帰る道すがらですし、後ろに積んでいるだけでなんともないのですから」と言われます。

 園心さんと西幸さんとお別れをして身体の軽くなった私は歩き始めました。円明寺から北条までの夜の10キロを久し振りの泣き泣き遍路と覚悟していました。菩提伊予!大師は西幸さんに入り私を助けて下さり菩提の心を教えて下さったのだと思いました。

 国道196号線を歩きます。左は海です。足が相当疲れています。芝生が目に止まり入って行きます。海を眺めながらゆっくりとあぐらをかいてストレッチします。後ろではビュンビュン車が走っていますが私の目には夕暮れの海が広がっています。そして、心は満利子さんの春美遍路人形の事と、西幸ご夫婦のお優しいお心とで温かい気持ちでいっぱいです。もう一度しっかりと菩提の意味をかみしめながら大きく深呼吸しました。ふぅーーーーッはぁーーーッ・・・よしッ!出発だッ!

 とことことこと言いたいのですがもう既に暗くなっています。よっちらこっちらヒョコヒョコずるずるずるり・・・・自分自身との戦いです。大声で祈りの言葉を唱えながら頑張ります。海と道路の間に歩行者の為の道があるので安心です。それに誰も歩いていませんみんな勿論車ですずーっと前の方に黒い人影の様な物が見えます。近付いて行くとやはり人でした。それも西幸さんの奥様でした。
「え−えどうしたのですか?どうして今頃こんな所にいらっしゃるのですか?」
「ええ、森さんが歩いて来られるのを待っていたのです。必ず此処を通られると思って・・・明日はどういう予定なのですか?」
「はい、明日は54番延命寺まで25キロ歩いてそれから4キロ程先で泊まる予定です。」
「それでしたら、私達も明日延命寺に御参りしますので門田旅館に荷物を置いて歩いて下さい。私達は荷物を引き取り延命寺まで運んで納経所に頂けておきますから。」

 私は信じられない思いでした。こんな、こんな事があるの?今まで徳島から何百キロと歩いて来た。沢山の方達の「どうぞ乗って下さい」とのお言葉を有り難く思いながらも丁寧にお断りして歩いて来ました。でも、荷物を運んでおいて頂けるなんて・・・

 私は涙が出てきました。人の情けに胸が詰まりました。遅い私が歩いて来るのを西幸ご夫婦はいったいどれ程の時間此処で待たれたのだろう?私はこのお話を有り難く素直にお受けしました。辺りは真っ暗で私の泣き顔を隠してくれます。大きく手を振り走り過ぎるご夫婦を見送りました。
「神様はどこにでもいらっしゃるほら、あなたの側に」私にとって西幸ご夫婦は神様でした。

 よっちらこっちらずるッずるッ6時30分出光石油通過・・・痛い足いたいイタイ・・休み休み歩きます。若いお兄さんに呼び止められお接待ですと渡されたお金は千円でした。
「わぁ!多すぎます」
「いえ、受け取って下さい。僕は歩き遍路の人を見掛けたら持っていたら必ず千円お接待する事を決めているのです。」

「あーあそうですか、では頂きます。有り難うございます。」 やっとのおもいで門田旅館に着いたのは8時でした。私の懐かしいリュックはちゃんと届いて私を待っていました。嬉しいです。

 24日門田旅館の看板を入れて写真を撮って頂いて7時30分出発です。雨です。しかし荷物はウエストバック一個だけです。リュックは又西幸さんが旅館に取りに来て54番延命寺に届けて頂ける事になっています。嬉しいうれしいウレシイ・・ふふふ 

 今日は三日目、相当足にきている痛い!とことこ歩きます。遍路道の立て札があり少し考えましたが遍路道を選び進みました。暫く歩いて行くとさっき見掛けたお兄さんが走って来て
「おーいそっちの道はやめとき、国道を歩いた方がいいよ」
「でも歩き遍路の立て札がありますので私はこちらを歩きます。」
「うん、でも雨の日は道が悪くて大変だから国道を歩いた方がいいよ」
私はとても感じのいいお兄さんだったので引き返す事にしました。

 黙黙黙もくもくもくモクモクモク・・国道196号線・・雨、足が痛い・・雨で休息する所も無い・・道路の端の路肩に座るとふくらはぎがズキズキする・・・雨に打たれ水しぶきをかけられ日はうつろになりとても淋しい・・1時間2キロしか進まない・・悲しい位遅い私の歩幅・・・・えんえんと続く菊間町の瓦工場。南の中をとことこ歩く白装束の女遍路一人・・昔ながらの手作業で瓦作りを手伝う女の人達と、雨で憂鬱な灰色の工場の菊間町。私の心までじっとりと灰色になりながら足を引きずります。

 雨はどんどんひどくなり私は只この雨の中、この足の痛い中、リュックを背負わないで歩けている事を神に大師様に西幸夫婦に感謝し続けていました・・・。3時50分54番延命寺に着きました。辛い道のりだったのでお祈りも、胸に込み上げてくる思いもひとしおでした。このお寺の鐘は周囲に寺の歴史が凝ってある貴重な物で戦時中も絶対に提供されなかったそうです。私はこの話に感動していましたのでお寺の人に聞いて見に行き写真に撮りました。

 納経の方はおばあさんがお二人でした。濡れながら歩いて来た私にお茶とタオルを下さいました。ここにはタオルが沢山おいてありました。そういえばここ今治市はタオルの町らしく歩いているとタオル工場を何度か見掛けました。

 此処から歩き遍路の地図を見ながら市墓地の中を通り抜けうろうろウロウロ何度も人に聞いて、真っ直ぐ進んだり間違えて引き換えしたりしながらやっと、示テル青雲閤に着いたのは6時でした。青雲閣の手前の和菓子屋さんでお饅頭を買いましたが、私がお店を出るとすぐ店じまいをされました。私は自分が乞食の様に嫌がられたみたいでとても切なかったです。私はきっと濡れて疲れた情けない乞食の風体をしていたのでしょう。

 青雲閤は町の人でさえ「それ、どこや?」と言うラジウム温泉と言うお風呂屋さんの上でした。痛い足を引きずりながら階段をなんと三階まで登り部屋に案内され
「あの食事は・・?」と聞くと
「すみませんねぇここは素泊まりなんですよ、食事はどこか外で食べてもらえませんか」(絶句ぜっくゼック・・食事が無い!そんな馬鹿な!今までの遍路で食事が無い所なんてなかったわ!)私はショックでもうガックリ・・・・・・

 朝7時から12時間も雨の中を歩いて来てやっと旅館に着いたのに食事も無くお風呂は又階投を三階下まで下りなくてはならないなんて・・・外で食べた丼飯のなんと不味く味気なかった事でしょう。唯一さっき買ったお饅頭を食べれる事が心の救いでした。今度から予約の時に食事の有無を確かめなければ、うん!

 25日6時50分に発ち7時に55番南光坊に着きました。朝の御参りのお爺さんに写真を撮って頂きましたが、ちょっと心配なので、もう一人のおじさんにも撮って頂きました。現像したら二枚ともちゃんと写っていました。ごめんなさい、お爺さん。

 さぁ−頑張って歩きます。黙黙黙とことことこ8時56番泰山寺に着きました。ちやっかりと自転車で走って来た高校生に写真を撮ってもらい御参りも手早く済ませて先を急ぎます。

 黙黙黙とことことこ9時15分57番栄福寺に着きました。今日は今回の遍路の最後の日です。この辺の札所は距離が短いので歩けるだけ歩いて先に進んでおきたいのです。栄福寺を後にして坂道を小走りに下りていると自転車に乗って犬を連れたお兄さんが恥ずかしそうに200円お接待して下さり嬉しかったです。

 仙遊寺に向かう遍路道は距離は短かったけどとても気持ちが良かった。心が洗われる様な小径だった。歩いて行くと道沿いにすすきに囲まれる様にして石仏様がいらっしゃいました。ふふふ前掛けに誰が入れたか柿が一個袋からはみ出して落ちそうでした写真に撮りました。出来上がった写真はすすきがお日様で白く輝きだいだい色の柿を重たそうに胸に抱えた石仏様のなんと愛らしい事でしょう。私のお気に入りの一枚です。

「仙遊寺」

 10時30分58番仙遊寺に着きました。奇麗な池がありましたので写真に撮り ました。池の奥に石のお不動さんがいてはりましたので撮り、ふと視線を移すとまぁーなんて美しい石の観世音菩薩が魚にのっていらっしゃいました。そのお姿は柔和でふくよかな物腰は色気さえも漂わせていて私はいっぺんに惚れ込んでしまいました。私もこんな女性になりたいなぁーと溜め息つきました。そしてどこか満利子さんに似てはるなぁーと感じました。

 打ち止めのお祈りを心ゆくまでします。お寺を修理中の大工さんに写真を撮って頂きます。無事に予定を終えられた事の嬉しさと充実感で満足の笑顔は最高です。ふと見上げると風格のある立派な本堂だったので写真に収めました。赤ん坊を抱いた石仏様も珍しいので撮り山の上から見下ろす街が美しくて撮りました。

 お寺にタクシーを呼び今治港に11時30分に着きました。12時15分の高速船に乗り三原へ1時30分に着きました。ソレッ!一目散に走って走って新幹線ひかり1時33分に飛び乗り(ふぅー危機一髪!)大阪に3時30分に着きました。主人が
「おかえり、ごくろうさん」
「へへへ。ただいま」

 ▽夜から仕事△この遍路から帰って来て暫くすると、東京の秋田書店「歴史と旅」から特集「今こそ四国遍路」の為の原稿依頼がありました。えぇーなんでー私なんかに?秋田書店もそんな本も知らんヨ?本当に驚きました!落ち着いて考えた私の気持ちはこうでした。
(これは私にとって遍路の流れの中の修行であり又、チャンスでありそして、わたしの役目なのだと。私を推薦して下さった方のお心も有り難いと感謝し逃げてはいけない)何日も夜明けまで店でワープロに向かって何度も書き直し涙した事は「歴史と旅」平成8年3月号を手にした時に全てむくわれました。全国の書店に並んだ10万部のこの本は私の宝物です有り難うございました。

お遍路メニュー




supertag


hama_topホームページへ

bar-mandara@nifty.com