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女3人お遍路日記


第5回 37番岩本寺39番延光寺

その1


清流、四万十川

 今回は土佐入野の駅から打ち始め39番延光寺を打ち1キロ戻って、寺山口バス停で打ち止めの115キロの遍路でした。今回の祈願も先祖供養と商売繁盛です。

 この手記を書き始めているのが11月11日です。遍路からすでに半年の月日が過ぎています。どうしてこんなに書き始めるのが遅くなってしまったのでしょう。今回のお遍路は素晴らしい事に出会ったのいうのに。それは、この半年あまりにも忙しく、あっというまに月日が過ぎてしまったのです。

 まずは、6月に車を買いました。今まで10年間ニューモデルに買い代えて乗り続けたフェアレデェZを、車検を機会に経費節約でカリーナEDに買い代えました。そして8月に宝塚から、お店に近い西宮に引越ししました。引越し荷物も片付いた頃、愛娘の電撃婚約でした。10月に結納を済ませ1ヶ月が過ぎ、やっと落ち着いたこの頃です。

 車を買い代えてみて、ガソリン代の安さにびっくり! 西宮に越して来てお金で買えない時間の心身共の余裕に驚き!そして、大変な良縁に恵まれた娘の曼荼羅での出会い! この一連の運命の流れは、お遍路(先祖供養)の賜物だと信じて感謝しております。

 大不況の中、知り合いも店を閉めていく中、二つの店を維持しながら・・・引越しして・・結納を済ませられ・・お金が回り・・娘が手伝ってくれていた「曼荼羅」を辞めても、時を同じくして、辞めていた店長が戻ってくるという・・・この不思議な流れ・・ これは、何度考えてもお遍路のおかげ様、一歩一歩歩く強さを、前向きに生きる強さを教えてくれるお遍路のおかげ様です。

 第4回の遍路手記の最後に書いたように、今回のお遍路だけは、行こうか行くまいか前日まで悩みました。3月4月続いた遍路で、店の資金繰り、人事、家の事、自分自身の事・・・相当に圧迫を感じていました。

 また、ママさんはすでに8キロ先に進んでいる。そしてママさんの立てた予定は一日40キロ宇和島までというばけもののような行程。どちらかと言うと
「春美、こんなに無理していく必要が何処にあるのだろう。遍路とは無理をして行くものではないはずだ。」
しかし、1ヶ月前からママさんが取ってくれている飛行機の切符・・土佐の修行を終えたいというこの切ないまでの気持ち!・・・考え抜いてだした結論は、自分のペースで歩こう。

 一日30キロ・・一人で距離を測り・・民宿を手配し・・・自分で歩き、休む。 当たり前の事ですが、三人で始めたお遍路は、ここで、はっきりとバラバラになったのです。
「遍路とは歩く事なり、人生とは遍路なり」です。
本当に「阿波の発心の道場」から「土佐の修行の道場」を歩き続けて、私は心身ともに確かにとても強くなりました。

 5月16日高知行き7時25分発に乗り、約40分後、高知空港へ・・・
飛行場前のバスに乗り、高知駅へ、電車に乗り、あの懐かしいローカルな土佐入野の駅へ・・ママさんは次の中村までです。ママさんとここで分かれて、本当にここから初めての一人歩きが始まるのです。ママさんは電車の中からホームに降りた私を写真に撮ってくれます。せいいっぱいの笑顔をつくって、Vサインをして・・まだ髪もくくらず傘もかぶらず・・不安を隠して寂しいなんていってられません。売店の人に
「こんにちはー先月のお遍路でーす。覚えてはりますかー・・・」

 ちょっと暑いかなぁーとトイレで一枚脱いで、しっかりと白装束に身を固めて行きます。ドキドキ・・春美・・一人やぞ!・・!

 いぃーお天気です。先月の打ち止めの駅前のロータリーのお花畑は満開です。ここで大師さんに打ち始めのお祈りをして出発です。

 12時に入野の駅を出発して、すぐに美味しそうな手打ちうどん屋さんがありましたので入りました。お腹が空いているのではなく、きっと心の準備をしたのだと思います。 出発から一人で歩き、一人で民宿の手配をする。自分の歩く時間と距離を計算して、「四国遍路ひとり歩き同行二人」の後ろの民宿を見て、いいあんばいの所を予約する。本当のところ、内心は不安だったのだと思います。

 ・・・・サァー!歩くぞッーーーーさっさっさっーーーッッッ

 1時40分、一条観光物産センターでバイトや知り合いのために、お土産を送りました。淀川大橋を渡って、私は何も疑わずに真っ直ぐに56号線を進みました。でも歩いても歩いても地図にある「四万十屋」や「八束中学校」がありません。おかしいなぁーと思いながらも3キロぐらい歩いたところで、不安になって走って来た車に聞きました。降りて来た若いヤンキーカップルは私のお遍路姿に、驚きながらも親切に教えてくれました。
「この地図は、俺はよう分からんけど八束中学校やったら、方向がまったく逆ですよ。淀川大橋まで引き返して下さい。」

 えぇー!!私は確かに方向オンチです。でもこの道は絶対に間違ってないと思って歩いて来たのです。まだ、遍路は始まったばかりです。こんな所で間違っていたら、この後どうなる事やら・・・泣きそうでした。それでなくとも30キロ先の下の加江の民宿までグズグズしている時間は無いと言うのに。私はどうしてこんなに馬鹿なのだろう。気持ちを持ち直して歩きはじめます。

 悔しい悔しい・・・3キロ引き返すのなら、6キロも進めたと言うのに。まだ一日目だと言うのに。ほんまに、もぉー我ながら・・淀川大橋に戻って来ました。そこでウロウロと標識を見て回り、ルート321を歩けばいいようです。

 とことこトコトコ歩いていると「四万十屋」がありホッとしました。4時15分でした。ここで少し休みました。ここには四万十川の渡し船の乗り場がありました。そこに居たお兄さんに写真を撮ってもらいました。

「ゆっくりなんかしていられないわ」と歩き出しました。すると・・・農家のお花畑があんまり奇麗なので写真に撮りました。

 日本最後の清流・・四万十川・・川下り・・鮎・・海のような川をズーッとすぐ左に見ながら歩きます。
「ふぅーん、これがあの有名な四万十川か、本当に大きいなぁー、海みたい。確かにすごくきれい、でも私は立ち止まってみている暇も感傷にひたってもいられない、歩かなきゃ、進まなきゃ・・・」とことことこ
「あっ、八束中学校があったぁー」地図通りに歩けている事に安心して先に進みます。

 18キロ歩いた地点、5時30分でした。出光石油スタンドでトイレを借りました。12時に土佐入野を出発しているのでやはり1時間3キロの私らしいスローペースです。後12キロ歩かなければなりません。このペースだと4時間かかります。わぁー夜になってしまうなぁー・・頑張ろうっと・・とことことこトコトコトコ黙黙黙黙もくもくもく・・

 7時10分、24キロ地点、山本ストアを通過しました。

       遍路とは歩く事なり 人生とは遍路なり

「人が他人と同じ人生を歩めないように、遍路も一人で歩くもの」だと改めて思いました。

 山本ストアから今日の宿泊先、下ノ加江の「安宿」さんまでの7キロは、私にとって地獄でした。今回からの遍路は私も賢くなっていまして、一人歩きの行程のページをコピーしてポケットに折りたたんで入れています。ここから先はその地図をいったい何度、ポケットから出して見た事でしょう。ワープロを打ちながら思い出しても涙が出て来ます。もう、空は真っ黒です。今朝の飛行機で大阪から来て、昼からずーっと一人で歩き続けています。疲労も激しくお祈りの言葉も

「おじいちゃーん、おばあちゃーん おかあちゃーん ゆりー・・・」の言葉も涙でぐちゅぐちゅ・・地図もボロボロ・・田圃の蛙がゲロゲロゲロ・・・500メートルごとに地図を確認、痛む足を引きずり・・もう少し・・もう少し・・あぁーあぁー見えた見えた・・遠くに「安宿」の看板が・・なきべそをかきながら、やっとたどり着いたのは8時30分でした。

 私は、今日の遍路で色々の事を学びました。私のような普通の頼りない甘えた人間でも、やろうと思えば大抵の事は出来るのだと。また、ボロボロになったコピーを見て思い出しました。私達歩き遍路にとって、もし500メートル毎のこの詳しい地図が無かったら「四国遍路ひとり歩き同行二人」を作成して下さいました宮崎さんは、竹内春美にとってはまさに弘法大師なのです。

 自らも歩き、そして一人で歩けない人達とご一緒に歩き、立て札を直し、シールを貼り、記載事項の修正に努力を重ねておられる感謝の涙とともに、その無償の行為に、ただただ頭の下がる思いでした。有り難い事でございます。私の大師さんきっといつの日かお会い出来る日が来ると信じてる私でした。

宮崎さんに会った

 「安宿」さんで朝食を食べていると、ご主人が宮崎さんはよくここに泊まらっしゃると言われるので
「もし、今度来られたら宝塚の竹内が来て、泊まった。」と必ず伝えて欲しいと頼みました。
(しかし、この朝の私は・・まさか・・この日に神様に出会えるとは・・・いったい誰が予想できたでしょうか・・・)

 また、ここのご主人は足摺岬の38番金剛福寺で一泊して39番に進む方が一番の近道だと地図を持って来て説明して下さいました。元気な少し強引な御主人でしたが、私も不要な荷物は預かってもらえるし距離も楽だし、言われる通りにする事に決めました。改装して広く奇麗になったと嬉しそうにおっしゃっていました。ここのおばあさんが、物腰の柔らかいホンワカした気持ちのいいおばあさんでした。

 昨夜の泣きべそ春美さんは何処へやら・・朝になって元気になった私は「安宿」さんの前で、そこの息子さんに写真を撮ってもらって17日の7時30分「イサ!出発」ふんふんふんふんルンルン機能の事で少し自信の付いた私は目をキラキラして朝のおいしい空気を、お腹一杯に吸い込みます。さぁー今日と明日は距離も25キロと楽だし、頑張るぞー!!!!とことことこトコトコトコ足取りかるくーくタッタッタッーーーー

 めざすは25キロ先の38番金剛福寺です。37番岩本寺からは、中村、清水を経て100キロを超す距離です。札所と札所間の距離は88カ所中一番長い距離であり、黒潮洗う岬の最南端の霊場です。先月に夜通し歩いてから昨日歩きやっと今日・・・お寺に着くのです。嬉しいです。「安宿」のお婆さんが、
「昔の人が歩いて歩いて、それでも着かない、とうとうわらじもすりへって、足も痛い痛い・・・そこから足ずりと言うのだ」と教えてくれました。

 清々しい朝の冷気に身を引き締めながら歩いていました。私は大きな道路を歩いていました。右側は家と畑が並んでいました。畑の向こうに狭い生活道路があるようです。そこを反対方向から白装束のお遍路さん達がぞろぞろ十人くらい歩いています。私の性格は人懐っこく、明るく、又、やんちゃなところもあります。家と家の間の畑の空間の部分の所を歩く、お遍路さんと目が合いました。私は嬉しくなって笑いながら大きく手を振りました。向こうのお遍路さんも手を振ってくれます。

 私はその瞬間・・・様々な思いが矢の様に、一瞬にして回りました。お遍路さんが沢山で、きっちりとした白装束で歩いている。
(普通のお遍路さんは、バスか自動車です。歩き遍路はほとんどが一人歩きです。沢山では歩かないのです。)
思うが早いか私は大きな声で叫んでいました。
「すませーん、すいませーん・・・」向こうのお遍路さんの一人が、私の声に立ち止まって下さいました。
「そこに宮崎さんは、いてはりませんかーーーー・・・」
「宮崎さんなら先頭を歩いてますよ。」
「えぇーーーー!!!!!!止めてー止めてー止めてーーーーーー」私は全速力で走ります。
走って走って、追いつき
「宮崎さんは、宮崎さんは!!!」先頭に走って行って、宮崎さんらしき人に飛びついていきます。

 「宮崎さん、私は宝塚の竹内春美です。会えましたね!本当に会えたんですね。それもお遍路中に・・・」
宮崎さんもビックリ!! それもそうでしょうー、いきなり見ず知らずの者が飛びついてきたのですから・・・

 でも、すぐに分かってくれて、
「みなさーん、この人が新聞に連載されている竹内さんです。」と紹介して下さいました。
(縁あって、私の手記の1回分が、宮崎さんの手から愛媛新聞に渡り連載されたようなのです。)でも私は目を通していません。私は感激のあまり
「会えましたね、会えましたね」としか言葉は出てきません。

「昨日も宮崎さんの地図のコピーを、握り締めて歩いてボロボロになってしまったんですよ。・・・」 後ろでは、他の人達が口々に
「まぁーこれはこれは本当に有り難い事や・・・こんなことがあるんやねぇー・・」
「弘法大師の引き合わせだ・・・有り難い事や」
「竹内さんの連載を楽しみにして読んでるんですよ・・・」と女の人が・・
私は混乱と感激でぐちゃクチャ、しかし・・いつまでも感激に浸ってはいられません。 お互いに、先を急ぐ身です。

 この感激をしっかりと記念写真に収めました。宮崎さんとピースポーズの私の、にっこり笑ったこの一枚は、私にとって宝物です。逆の方向に別れました。私は38番金剛福寺を目差して・・・逆戻りコースの宮崎さん達は39番延光寺をめざして・・私は歩きながら、あふれ出る感激の涙を押さえる事はしませんでした。涙の流れるままにしておきました。

 この広い四国の地で、偶然の一瞬に出会えました事は、弘法大師のお引き合わせでなく、いったい何と説明出来るでしょう。そして、私には沢山の先人達が励ましてくれている。私には、もう怖いものなんか何も無い!もう何にも負けない!と思いました。

 5キロぐらい歩いた所で、多分ママさんが昨夜泊まったであろう「民宿二浜ドライブイン」がありましたので、寄って聞きました。
「すみません、昨夜、女のお遍路さんが一人で泊まりはりませんでしたか?」
「あぁー泊まりはりましたよ。貴方が寄ったら、よろしく伝えてくれ、と朝早くに立ちはりました。」
(良かった、ママさんも元気で先を歩いているのだわ、私も頑張ろうっと)

 とことこ歩いていると、遠くで缶コーヒーを買っているお兄さんがいました。とことことこ近付いていくと、何とその人は照れたように私に缶を差し出してくれました。
「有り難うございます」と受け取りました。びっくりしましたけど嬉しかったです。トコトコトコと歩いて10キロぐらい歩いた所で、やっと喫茶店を見つけて入りモーニングを食べました。10時30分でした。

 以布利郵便局の所から遍路道に入ります。漁港の所でおじさんに写真を撮っていただきました。そこを自転車で通りかかったおじさんに、私は、なぜかニッコリ笑いかけました。この遍路道は道ではなく海岸に降りて行きます。えぇー嘘でしょ。ここは海じゃないの。!?

 私が「おかしいなぁー」と遍路札を捜していると「おーいおーい」と誰かが手を振りながら、こっちに走ってきます。その人は、私がさっき笑いかけたおじさんでした。 「この遍路道は難しくて分からんのや。わしに付いてきなさい」と先に歩いて案内してくれます。なんとそこは、海の砂浜をずいぶんと奥に進んで、草をかき分けかき分け登っていくのです。

 道幅は狭く、おまけに真ん中には小さな小川が流れています。これはまったく道ではありません。たったの1キロぐらいの遍路道です。
「この道は絶対に雨のときは、歩いたらだめやで。真ん中の川が洪水のようになってあるけんからな。ここまで来たら後は分かるやろ」と引き返して行かれました。本当に有り難い土地の方の人情です。ほんの少しの遍路道でしたが、道路に疲れた歩き遍路にとってはつかの間の憩いの道でした。歩き遍路が、この荒れた遍路道を歩いて歩いて、後の人のために残していくべきだと思いました。

 木々で覆われた遍路道を、登りおわると家の横に出て、もうそこは山道の道路でした。歩いていくとまた大きな道路に出て、とことことこ黙黙黙トコトコトコ・・・12時になりました。あと、11キロくらいかなぁー。道路の横に海を見下ろして休息しました。

 清く澄み渡る空、くだけ散る白い波、雄大な海を見ながら、私は今朝からの事を考えました。お遍路をできる幸せをしみじみと有り難いと思いました。今回のお遍路だけはずいぶんと、行こうか行くまいかと悩んだんだなぁー。
でも、本当に来てよかった。本当に来てよかった・・・。宮崎さんにも会えたんだもの・・・。


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